第16話 義憤に駆られる
長坂を越えた俺達の目の前には民の集団が曹操軍とおぼしき集団に襲われていた。
いや、曹操軍だ。
この辺で兵を出しているのは曹操軍しかいない。
そして逃げ惑う民を笑って殺害している。
醜悪極まりない。
俺は馬に乗ったまま民を襲っていた曹操軍に突っ込んだ。
「ぎゃははは、こんな楽な仕事はねえぜ。うん?なんだあ~、ぎゃあぁぁー!?」
ほぼ無抵抗な民を斬り突けていた者を無言のまま槍で突き刺した。
槍を人間に突き刺した感触に眉をしかめたが、続けて周りに居た曹操軍にそのまま襲い掛かる。
突く、突く、突く。そして払いのける。
途中襲い掛かってくる兵達に俺は躊躇いなく槍先の刃を向ける。
断末魔の叫びを何処か遠くで聞いている感覚。
耳に聞こえているが、聞こえていない。
ただ無表情に無感動に突き、払う。
どれぐらい経っただろうか。不意に俺は肩を掴まれた。
「もう死んでるよ」
分かってる。
「もう止めるんだ!」
分かってる。
「公徳!」
俺は俺の名前を呼ぶ者に振り返る。
そこには関平がいた。
関平が何か言っているが俺には聞こえない。
関平だけでなく他の者も何か言っているが聞こえない。
そして俺は意識を失った。
※※※※※※
驚いた。
目の前で起きていた惨劇にも驚いたが、もっと驚いたのは劉封だった。
劉封はこの一月で人が変わってしまった。
以前は少し偉そうにしていて、劉備様の養子になった事を誇らしげにしていた。
剛胆で直情で裏表のない性格。
私にとって劉封は好ましい人だった。
その劉封が一月前に倒れた。
私と稽古で打ち合っていた最中の出来事だった。
原因は私の槍先が劉封の頭を掠めた事だ。
その後劉封は三日も寝込んでしまった。
私は責任を感じて誠心誠意看病をしていた。
中々目覚めない劉封を見ていて恐ろしかった。
私が劉封をこんな目に合わせてしまったと責任を感じていた。
直ぐに目を覚ますと思っていたのに一日過ぎ、二日過ぎても起きずに、三日目でようやく目覚めた。
そして目覚めた劉封は記憶が曖昧になっていた。
劉封の目が覚めた事を劉備様達に知らせたら、劉備様達は仕事を放りだして彼の下に来てくれた。そこで劉備様が劉封に話し掛けた時、彼の表情には戸惑いがあった。普段見た事のない表情だった。そんな劉封に劉備様は自分達の事を問い掛けて話を続けた。劉備様も劉封の変わり様に戸惑っていたが、彼の笑顔を見て安堵していた。
それは私も同じだった。
記憶は時間が立てばまた戻るだろうと思ったからだ。劉備様達の事は直ぐに思い出したので、そんな大した事ではないと思った。
残念だったのが私の事を分かっていなかった事だ。あんなに親しかったのにそれはなだろう?
しかし劉封は劉備様達と話をしている途中で、また気を失ってしまった。
その後また三日経って劉封は目覚めた。
そして目覚めた劉封が以前の劉封ではない事に気付いた。
気付いてしまった。
槍の修練をしていた時に劉封が手を痛めたので布を巻き付けていたら、見た事の無い傷痕を見つけてしまった。
目覚める前の劉封にあの傷痕は無かった。
それに劉封は以前に比べて優しかった。
物をぞんざいに扱っていたのにきちんと直す様になったし、挨拶も丁寧になった。
劉封のあまりの変わり様に目覚めた彼は別人だと思った。
気付いたのは私だけではない筈だ。
でも誰もその事には触れなかった。
触れては行けない事だと皆が感じていたのかも知れない。
それに私は変わってしまった劉封も嫌いではなかった。
物腰は柔らかになり、周りに気を使う彼は好意に値する。
そんな彼が目の前の民の殺戮を見て、豹変した。
無言のままに騎馬を駈り曹操軍に突っ込んで行った劉封は、倒れる前の彼と重なって見えた。
以前の彼と同じか、それより鋭い突きで兵を殺していく劉封。
そして劉封に遅れて私達も曹操軍に襲い掛かる。
民を襲っていた曹操軍の数はそれほど多くはなかった。
一通り辺りを見回して敵が居なくなったのを確認していると劉封が倒れてた者達に執拗に止めを刺していた。
その姿は目覚める前と目覚めた後の彼とも違っていた。
何が彼をそんな風に変えてしまったのか?
それはこの惨状を見れば分かる。
分かるのだが、彼が激情を叩き付けるほどの事だろうかと思ってしまった。
この逃避行で民に犠牲が出る可能性は高かったし、それは民も分かっていた事だ。
分かっていて起きたのがこの光景だ。
それを見て劉封の何かが外れた。
そう見える程の変わりようだった。
劉封に秘められた激情はどれほど熱いのだろうか?
それを見た私は彼に惹かれていると感じた。
そして私はそんな劉封の肩を掴んで声を掛けた。
周りで劉封に声を掛けている陳到殿と徐庶殿の声が聞こえていないようだったからだ。
危険だと廖化殿は言ったがそんな事は思わなかった。
声を掛けた劉封は私を見た。その目には何も写っていなかった様に思えた。
そして劉封は私にもたれ掛かってきた。
彼を抱き締めた時、既に彼は気を失っていた。
※※※※※※
どれほど気を失っていたのだろう。
目が覚めると目の前に関平の顔が見えた。
そして自分の状態を確認すると寝ている事に気付いた。
更にショックな事に俺は関平に膝枕をされていたのだ!
驚いた俺は飛び起きて関平に謝罪した。
男の膝を枕にするなんて恥ずかしすぎる!
でもこれは古代中国では結構当たり前の事なんだよ。
親しい人の膝で寝そべるのは信頼、親愛の証なんだと。
それを知っていてもこれは恥ずかしい。
「俺はどれぐらい寝てた」
「一刻も経ってないよ」
「そうか。すまない」
「気にしてないよ」
いや、そこは気にしようよ!
そして俺は周囲の状況を確かめる。
どうやらさっきの場所から移動していたようだ。
それと同時に俺はさっきの光景を思い出して吐いた。
人を殺した感触を思い出したのだ。
不快感が体を襲って来て気分が悪くなったようだ。
それと少しだが記憶が流れ込んだ。
劉封の記憶だ。
劉封の記憶は長坂から曹操軍の追っ手に追われて夏口に逃げ延びるまでの記憶だった。
そこでもさっきと同じような光景が見えた。
そしてそこでも劉封(俺)は同じ行動を取っていた。
劉封の感情は分からないが記憶の中の彼はとても怒っていたように感じた。
今の俺と同じように。
おそらくは今も記憶と同じようにそこかしこで曹操軍による殺戮が繰り返されている事だろう。
そしてそれは当たった。
「孝徳殿。目を覚ましましたか?」
「すまない。先走って迷惑を掛けた。今の状況は?」
「この周囲の民が曹操軍に襲われていました。ほぼ全滅です。至るところで略奪も行われています。それに流民だけでなく、近隣の住民も被害に有っていますし、野盗も出てきています。ここは危険です。多少遠回りになりますが他の道を行くことにしましょう」
徐庶の進言を俺は無言で首を横に降って否定した。
「民を襲った曹操軍ですが、狙いは俺達です。ならばこれ以上の被害を民に出さない為にも俺達は姿を晒す必要が有ります。身勝手な事を言っている事は重々承知しています。皆を危険に晒す事も分かっています。でも、それでも、俺は……」
話の途中で俺の肩に手を掛けた人がいた。
「よく分かった。やっぱりおめえは兄貴の息子だ。てめえら分かってるな!」
張飛の力強い手はとても暖かい、いや熱く感じた。
「「「おおう!」」」
張飛の号令に皆が答えてくれた。
「みんな…… ありがとう」
その事に本当に感謝しかなかった。
それと同時に申し訳なく思った。
俺は知っている。この後に起きる出来事を。
それはとても辛く残酷な出来事だ。
でも俺はそんな事が再び起こる事はさせない。
それが自分の身を危険に晒す事になっても。
そんな事は絶対にさせては行けないんだ!
「孝徳」
「伯秀」
関平が俺を真っ直ぐな目で見ている。
「戻・っ・た・ん・だ・ね・」
「ああ」
「そうか、分かった」
関平はそう言って微笑んだ。
そしてその後ろには兵達が俺を見ている。
俺は俺に熱い視線を向けている兵達を見た。
俺は一人一人の顔を見てその顔を頭の中に刻み込む。
この先決して忘れないように。
俺が死地に送り込む人達を忘れないように……
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