第17話 漢津への路


 漢津に行くルートから逸れて、民を襲っている曹操軍を撃退していく。



 民を襲っている曹操軍はほとんどが歩兵で数は多くても数百ぐらい、張飛と陳到を先頭に突撃すれば簡単に粉砕する事が出来た。



 陳到。


 正史では趙雲とほぼ同格の扱いを受けていた人物と書かれていた。


 演義では存在すらしていない。


 彼は劉備在命中は軍の中心に居たが、劉備が亡くなると李厳りげんの補佐として予備役扱いになってしまった。


 正史でも不遇に合った人物だ。



 そんな彼の槍さばきは見事の一言だ。



 馬上で繰り出される正確な槍の突き。


 おそらく実戦で磨かれたと思う槍術で曹操軍の兵を串刺しにしていく。


 そして彼が通るところに道が出来る。


 陳到を恐れて距離を保っているのだ。


 これほどの将が今まで目立たなかったとは!



 陳到の武に心奪われていたが、張飛も負けていない。



 負けていないどころか、凄まじい。


 張飛が矛を振るう度に曹操軍の兵が吹き飛ぶ。


 人ってあんなに飛ぶんだなと思った。


 そして矛を避けて近づいて来た者はその拳で殴られる。


 殴るだけでなく掴み上げて降り回りしている!?



 そんな無茶苦茶な張飛の武は曹操軍に恐怖を植え付け、彼らは蜘蛛の子散らす勢いで逃げていった。



 陳到と張飛の後ろに居た俺達はほとんど何もしていない。



 思うに千人未満の戦いでは陳到や張飛のような豪傑が居るだけで有利なのだ。


 彼らの武が周りに与える影響はとてつもなく大きい。


 俺も彼らを敵に回したらとっとと逃げ出すだろう。


 彼らの武は普通ではない。



 そしてある程度暴れたので張飛はご機嫌だ。


「けっ。まるで相手にならねえぜ。おう。孝徳見てたか。俺様の活躍をよ?」



 俺は張飛のどや顔に苦笑したが、徐庶が真顔で進言してきた。


「益徳殿の活躍はさておき。これで曹操軍の本隊に我らの事が知れ渡ったと見て間違いないでしょう。おそらくそれほど刻を置かずに数千の兵がやって来るでしょう。歩兵ではなく騎馬での追撃が……」



 騎馬の追撃か? それはそうだろうな。



 劉封の記憶では漢津に逃げようとして曹操軍に捕捉された時、追ってきたのは騎馬の連中だった。


 そして騎馬で蹂躙した後に歩兵による殺戮が開始されたのだ。


 今はその騎馬隊が見えず、民を蹂躙していたのは歩兵中心の曹操軍だ。


 では本命の騎馬隊は何処で何をしているのか?



「既に江陵への道は絶たれた。このまま南下しても回り込んだ曹操軍に包囲される。ここからは漢津に向かう。俺達の姿を派手に晒したからこれからの追撃は激しい物になるだろう。皆心してくれ!」



「「「おう!」」」



「なあ、俺様の活躍は?」



 さて、これからが本当の正念場だ。



 俺達は来た道を引き返して漢津に向かうルートに戻る。


 かなり派手に暴れたのでこっちの存在に気づいている筈だ。



 ……筈なんだがな?



「おかしい。なぜ曹操軍の追撃がない?」


 疑問を思わず口に出してしまった。


「確かに変だね。あれだけ派手に動いたのに追い付いてこない。何か有るのかな?」



「はっ!大方俺様に恐れをなしているんだろうよ。腰抜けばっかりかよ。がははは」


 張飛の笑い声で周りが明るくなったが俺は不安だった。


 史実とは違う流れになっている?


 そう思うと合点が行く。



「元直殿。どう思う?」


 ここは頼りになる軍師に頼るとしよう。



「騎馬どころか、追撃事態がないのは確かに変です。これはもしかして……」



「て、敵襲ー!」



 徐庶の進言が終わる前に敵が来たようだ。


 しかし何処からだ?


 と俺が疑問に思っていたらそれは居た。



 俺達の真正面に居たのだ!



「しょ、正面だと!?」



「どういう事だ。なぜ正面に敵が居るのだ!」



 俺を含めて皆が浮き出し立ってしまった。


 しかし冷静な者も居る。



「益徳殿。叔至殿。正面をお願いします。元倹殿と伯秀殿は後ろを。孝徳殿は私と中央に」


 徐庶が即座に指示を出す。


 皆が徐庶の指示に従い動き出す。


 真っ先に動いたのは張飛、陳到だ!



「お任せあれ!」


 陳到は前からやって来る曹操軍に突っ込む。


「かっ。待ちやがれ。陳到!」


 そしてそれに続く張飛。


 二人の豪傑が並んで正面に当たる。


 しばらくしてから後方から伝令がやって来た。



「申し上げます。後方からも曹操軍が。その数、万を越えています」



 ぎりっ、俺は歯を食い縛った。


 殺られた。まんまと挟撃されてしまった。


 俺達は罠に嵌められた。



 いや、違う。罠じゃない。



 この前から来た曹操軍は劉備を追っていた部隊だ。


 おそらく騎馬による先回りをしていたら劉備が漢津に向かっているのを知って、夜を徹して追撃をしていたに違いない。


 しかし、その追撃を劉備は振り切った。


 だから今、この場所に曹操軍が居るのだ。



 いや、待てよ。



 それなら昨日の孔明からの伝令はどうやって俺達に知らせに来たんだ?


 もしかしたら孔明の伝令を発見した曹操軍が漢津に向かったが、そこには既に劉備達が姿を眩ました後で、奴らはそこから引き返して来たのではないのか?



 ああ、今は考えてもしょうがない。



 この窮地を脱するのが先決だ!



「益徳殿と叔至殿が空けた穴を広げろ!ここから抜け出すぞ!」



「「「おおう!」」」



 しかし前方から来る曹操軍は全員が騎馬だ。


 それも数は千人を越えている。


 如何に張飛達の武を持ってしてもここを無傷で切り抜ける事は出来ない。


 どれほどの犠牲を出すのか分からないが、今は迷っている暇も立ち止まる暇もない。


 ただ前に進むだけだ!



 前を進む張飛と陳到は敵が騎乗していても全く問題にならなかった。



 張飛の矛が敵を捉えるとそれを吹き飛ばし、陳到の槍先が敵を貫く。


 二人が作った道を後ろに続く俺達が更に広げていく。


 騎馬から落ちた敵は無視して前から来る敵に対処する。



「落ちた敵は相手にするな!止めを刺してる暇はない。前だけを見据えろ。生き延びる事が最優先だ!」


 そして俺も槍を振るって敵を馬上から突き落とす。


 張飛陳到のコンビから逃れた相手は体勢が不十分なので突き落とすのは楽だった。


 本当なら槍を突き刺し止めを刺すべきなのだろうが、今は速度を優先する。



 そして俺の周りでは次々と味方の兵が倒れていった。



 俺はそれを横目に見ながら先を急いだ。


 許して欲しいとは思わない。


 可哀想だとも思わない。


 だが俺は忘れない。


 俺が命じて死んでいく人達を…



「孝徳殿。この先です!漢津です!」


「孝徳。先に行きな。俺らは殿に回る」


「孝徳殿。後ろは我らで防ぎます。お急ぎを!」



 敵の囲みを破った張飛と陳到は疲れた顔を見せず、今度は後ろの敵に対処する。


 本当に頼りになる二人だ。



「伯秀や元倹を頼む!」



 俺は後ろに残っている二人の事を頼むと漢津の渡し場に向かう。



 もう少し、もう少しで着く。



「見えた! なっ!?」




 漢津の渡し場が見えたがそこには……




 何も無かった。




 孔明が用意している筈の船は無かった。

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