第15話 長坂での最後の一夜


 言ってやった。言ってしまった。



 しょ、しょうがないじゃないか!



 俺は劉備の養子で俺の肩に手を掛けている張飛が居て、後ろには熱い視線を俺に向けている兵達が居るんだ。


 自分の事だけ考えて降伏するなんて言い出せる訳がない。


 だから現状維持で良いんだよ。



 それに俺は蜀の大ファンなんだ!



 劉備達と離れるなんて出来るわけない!


 いや、…ちょっとは考えたけどさ。


 でも俺は彼らの身近で彼らの活躍を見れる今のポジを手放すつもりはない。


 今は絶望的な状況だがここさえ乗り越えれば後はそんなに苦労しない、よな?



「ははは、そうか。それがお前の答えか。劉封と言ったか。お前の名前はしっかりと覚えたぞ」



 ははは、嫌だな~、今すぐ忘れてください。


 あなたみたいな有名人に覚えて貰わなくても結構ですよ。



「よっしゃ!話は終わったな。じゃあ、俺の番だな」


 そう言うと張飛が橋の中ほどまで出ていく。


「え、益徳殿?」


 俺と俺の後ろに居た者達が戸惑う中、張飛は矛を前に突き出した。


「我が名は張飛。字は益徳。ここを通りたくばこの俺を倒して行け!それが出来ない臆病者はさっさと家に帰りな。さぁ、どうする? 挑むか。逃げるか。さっさと決めやがれー!!」


 張飛の宣言が木霊する。


 それは周囲にビリビリとした緊張感と、その背からは威圧感を感じさせた。


 そして張飛に挑発された曹操軍は今にも襲い掛からんとしているように見えた。



 だがそれは曹操の言葉で遮られる。


「我が軍数万の兵を見て、なおその気概。快かな。そして我が誘いを断るその忠烈。また快かな。張飛よ。その勇と忠に免じて我らは一旦下がろう」


 ほっ、良かった。


 このまま数を頼りに攻め立てられては危なかった。


 それに橋の上では思うように動けないし、張飛を道連れにする兵が居てもおかしくない。



 後は曹操軍が去った後にどうするかだが……



「けっ、格好つけやがって」


 や、やめてー! 挑発しないでー!


「では、さらばだ。また会おう」



 嫌です。二度と会いたくありません。


 曹操を見れたのは正直嬉しいが、味方じゃなくて敵だからな。


 今度また会うことが有れば、それは戦場だ。


 乱世の奸雄かんゆうとのエンカウントなんて恐ろしくて想像したくない。




 そして曹操は悠々と去っていった。




 曹操が去ると同時に数万の軍勢も一緒に退き上げた。


 あまりに呆気ない撤退にしばし呆然としてしまった。


 その後俺達は曹操軍が戻ってくるのではないのかと身構えていたが、日が落ちたのでその場に夜営する事にした。



「いや~。さすがにあれは緊張したよ。二度とあんな目に会いたくないね」


「ははは。でも孝徳。新野では曹仁相手に一騎討ちを挑んだろう。あの時は噛んでなかったじゃないのか?」


「だ、誰から聞いたんだよ? あ、あれは自分からだから大丈夫だったんだ! それに夜だったし。あんな大勢じゃなかったし。さっきのは不意の事で覚悟が出来てなかったんだよ!伯秀はくしゅう(関平)もあんなに注目されれば緊張するに決まってるよ!ああ、でも。あれが曹操なんだな。初めて見たけど正直足が震えたよ」


「なんでえ、なんでえ。あんな小男に怖じけてどうする。関兄のほうがよっぽど怖ええぞ」


「ぷっ、それは違いない。父上の怒った顔は確かに怖いな。でも孝徳の言う事も分かるよ。曹操。あれは確かに怖い。父上とは違った怖さを感じたね」


「おいおい、伯秀まで何言ってやがる。あんな奴の事気にすんな。それよりも明日からどうするかだろうが!」


 確かにな。張飛の言う通りだ。


 いつまでも曹操の事を考えてもしょうがない。


 ではここは頼りになる軍師様に意見を聞いてみよう。


 お願いします徐庶さん。


「明日は日が上る前にここを発ちましょう。その時に橋は落とします。万が一ですが曹操軍の追っ手が後ろから追い掛けて来ないようにしなければなりません」


 橋は落とすのか。


 演義では確か橋を落としたから曹操に追撃されたんだよな。


 確か伏兵を警戒したから橋で戦うのを躊躇ったっけ。


 でも、あんな大軍を見てたら伏兵を警戒したから兵を退いたなんて有り得ないよな。


 今回は張飛に免じて兵を退いてやると言っていたけど、案外本当に張飛に恐れを成したのかな?



「元直殿の言ですと、後ろ以外に襲われると解釈してよろしいか?」


「はい、正にその通りです」


 廖化の問いに徐庶が答える。


 えっ! そうなの?


「曹操がすんなりと兵を退いたのはおかしいと思いましたが、やはりですか」


 陳到は落ち着いてるな。


「江陵は既に落ちているか、もしくは兵を伏せているかのどちらかと思われます。そうですな?孝徳殿」


 うえっ!?いきなり話を振らないでくださいよ。徐庶さん。



 え~と、え~と。よし、状況を整理しよう。



 まずは劉備達は既に漢津で関羽と合流している筈だ。


 確定ではないがな。


 そして難民は既に散り散りになってバラけている。


 最小は百人から最大で数千人と纏まった数で散っている。


 現状俺らは民に足を引っ張られる事はない。



 そして俺達の数は三千ちょっとで騎馬は少なく歩兵が中心。


 糧食を運んでいる馬車もない。馬車は全て民にやってしまったからだ。


 手持ちの糧食は数日分で水も少ない。


 正直心許ない。



 この後の行動としては……



 一つ、江陵に向かう。


 これは駄目だ。徐庶の言う通りで既に曹操軍が先回りをしていると考えて良いだろう。



 二つ、漢津に向かう。


 でも漢津に向かっても船が有るのかどうか?


 それに俺達は囮役だ。


 劉備達の逃げる先に行っては行けないと思う。



 三つ、難民に紛れて潜伏する。


 これが妥当なのかな?


 ただ民を巻き込むことは避けたい。


 曹操軍が残党狩りをしないとも限らない。



 さて、どうしたもんか?


「元直殿の言われる通り江陵は既に落ち、この先は曹操軍の伏兵が居ると考えていいかと思う。いや、居る。ならば漢津に向かうのも手だが、それだと劉備様達が危険に晒される。我らは囮。最後まで囮の役をやりきるべきだ」


 真っ当な事を言っているが、後は徐庶に丸投げしよう。


 新野でのお返しだ。


 この中で考える役目は徐庶だ。俺じゃない。



「うん、そうだな。孝徳の言う通りだ」


 関平~


「実は先ほど孔明から知らせが参りました」


 何! 本当!? いつの間にやって来たんだ?


「孔明の報告では既に劉備様は関羽殿と合流したようで、これから夏口に向かうそうです。そして我らには逃走用の船を用意しているとの事です」


「本当か、そりゃ?」


 いやいやさすがは孔明。


 疑うのはよく有りませんよ張飛さん。


「間違いありません。ですから我らも明朝漢津を目指して出発致しましょう。それで宜しいですな。孝徳殿?」


「孔明殿の策に乗りましょう。何れにせよ。劉備様とは夏口で合流しなければなりません。明日は漢津に向けて出発しましょう」


「「「おう」」」


 孔明ありがとう!これで生き延びられるぞ!



 こうして俺達は朝日が上る前に出発した。


 勿論橋は落としてだ。


 意気揚々と進む俺達の前にそれは待っていた。




 曹操軍に寄る地獄絵図が待っていたのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る