第十四話  捨て石

 


 産業用ドローンには用途に合わせた機能のカスタム開発が欠かせないが、様々な目的にあったドローンをカスタマイズするのがドローン・エンジニアである。宮古島出身の根津達夫は、もともとコンピューター・プログラマーであったが、近年需要が高まっている産業用ドローンに目をつけ、ドローン・エンジニアとして忙しい日々を送っていた。主だった需要は、PRビデオの空撮、農薬散布や種苗の運搬、建築や土木の測量、橋梁やトンネルなどのインフラ点検、災害現場での調査や捜索など、引く手あまたの状況であった。

 その根津の日常を一変させる重大な出来事が起こった。中国軍によるミサイル攻撃で、駐屯地で自衛隊員として勤務していた、無二の親友の五木が死亡したこと、そして生まれ故郷の宮古島が、こともあろうに中国軍に占領されて、住民にも犠牲者が出ていると報じられていることである。

 親友の五木とは、一年前の正月に帰省した折、地元の居酒屋で久しぶりに酒を酌み交わした記憶がまだ生々しい。その頃、五木は生家の自動車整備工場を手伝い、マイカーの整備などで生計を立てていた。しかし自衛隊の宮古島駐屯地拡張が決まり、隊員現地採用の好条件に惹かれて間もなく入隊した。所属は経験を買われて、駐屯地内で使う車両の整備などを受けもつ車両班だという。

 家業の自動車整備工場は、車の電子制御化が進んだことで、整備士が手を加えることのできる箇所が少なくなり、また車の耐久性も向上したことで、仕事も年々減少していた。そのため五木は、思い切って島を離れ、人手不足が深刻な大都市で職を求めようかと悩んでいたところに、自衛隊からの勧誘があったのである。長男で、両親の老後の心配もしなければならない五木にとって、島で安定した仕事に就けることになったのは幸運だったと、泡盛のグラスを片手に上機嫌で話していた。根津にとっても島に帰省した時に酒を酌み交わす相手がいなくなるので、五木が島を離れてしまうのは寂しいと感じていただけに、新天地での活躍を祝福した。

 その五木が、島の周辺海域で軍事作戦に従事していた中国艦艇から発射された一発の巡航ミサイルによって、車両整備を担う建屋もろとも吹き飛ばされた。ほぼ即死の状態だったという。自衛隊などに入隊していなければこんなことにはならなかった。いや、島に対艦ミサイル部隊などが配備されていなければ、中国軍の目標になることもなかったであろう。

 

 宮古島出身の根津の祖母キヨは、嫁いだ先の沖縄本島で太平洋戦争末期の沖縄戦を経験している。夫は現地徴用で帝国陸軍の軍務に就き、上陸してきた米軍との間で繰り広げられた、首里城近くの激しい戦闘で戦死していた。しかし、乳飲み子を連れたキヨにとって、本当の苦難はそれからであった。

 日米双方におびただしい数の死傷者を出した首里陣地を巡る攻防の末、地下に設けられた司令部を放棄した日本軍は、南部方面にじりじりと退いて行った。旧日本軍はどうして首里陣地を死守することなく、多くの住民を巻き添えにする撤退を選択したのか。

当時の司令官だった牛島満陸相はその後、「沖縄は本土防衛の礎となる」との辞世の句を残して自決するが、戦後は靖国神社に祭られ現自衛隊にもあがめられている。


約一か月にわたって絶望的な持久戦を展開するための拠点として、各地に点在するガマ(自然洞窟)が使われた。そこには兵隊だけではなく、民間人も一緒に避難しており、米軍の攻撃を逃れるための逃避行は凄惨を極めた。キヨはあるガマの中で、飢えからくる栄養失調が原因でまだ赤子の長女を失い、終戦を迎えた時には、周囲にいた多くの民間人が犠牲となっていた。

 その後宮古島に戻って再婚し、孫の根津に家系が継がれたのであったが、キヨからは沖縄戦での地獄のような体験を、何度も繰り返し聞かされていた。

「敵はアメリカ軍だけではなかった。いや、日本兵の方がもっと恐ろしかった。」

 当時の日本軍の「戦陣訓」として、「生きて虜囚の辱めを受けず」、つまり捕虜になるくらいなら死を選べ、という精神が貫かれていた。そして日本軍は、住民も兵士と同じように命をかけて国を守るべきという「軍官民共生共死」という指導方針をとり、住民が米軍に投降することさえ許さなかった。そうしたことが背景にあり、ガマの中では多くの民間人が病死したり、自ら命を絶ったのである。日本軍は沖縄の住民を守るどころかむしろ死に追いやったのだと、沖縄戦で苦しんだ多くの住民が戦後に証言している。


 そして今また、沖縄が本土のための捨て石にされようとしている。本土の政治家たちは、沖縄に在日米軍基地の7割以上が集中していることを百も承知で、中国との軍拡競争を進めてきた。台湾有事の際には、地政学的に沖縄が真っ先に戦渦に巻き込まれることが想定されていたにもかかわらず。絶対に許せないとの思いが、琉球民族の血が流れる根津の心を支配していった。

 振り返ってみれば、中国と日本の関係が急激に悪化してきたのは、2010年に尖閣列島沖で、中国の漁船と海上保安庁の巡視船の衝突があり、故意に漁船を衝突させた中国の船長らが逮捕されたことに端を発したといわれている。尖閣諸島の領有権を主張する中国は、対抗手段として、レアアースの対日輸出を規制するなどの強硬姿勢を取った。

 それまでの日中関係は、イデオロギーの違いから、政治的な軋轢を抱えながらも、経済的な互恵関係を享受してきた。だが、2010年に国内総生産(GDP)で中国が日本を逆転し、世界2位の経済大国となり自信を強めた背景もあった。そして2012年に、当時の民主党政権の野田首相が尖閣列島の国有化を発表すると、中国外務省は「中国の主権を侵害し、1970年代以来、続いてきた日中関係正常化の大局的な関係を損ねた。」と日本側を批判し、中国各地では、民衆による反日デモがおこった。一部の暴徒化した集団が日系の商業施設を襲撃、「国交正常化以来、最悪」と言われるほど日中関係は険悪になったのであった。

 2012年に習近平国家主席が中国共産党書記の座に就くと、日本に対して更に厳しい立場をとるようになった。そして南シナ海などで次々と人工島を作り、軍事基地化を図るなど、軍拡の傾向が顕著な中国に対抗するように、対中国強行派が台頭する自民党政権が親台湾の政策を打ち出すと、両国の関係は修復不可能と思えるほど悪化した。

 一青年の銃撃事件で死亡した安倍元総理を引き継いだ岸本現政権も、両国の関係改善に熱心とは言い難い。51年前、戦後、長らく交流が閉ざされていた中国との国交正常化の実現を企図して、電撃的に中国を訪問した田中元総理や、大平外相時代のようなダイナミックな外交など期待すべくもない。失敗を恐れて外交努力を避け、自己保身に徹するただの薄っぺらな世襲政治家としか、根津には映らなかった。


 戦争はなぜ起きるのか。2022年に開始された、大国ロシアによるウクライナへの理不尽な侵略戦争に驚愕した世界の人々の間で今、改めて問われているテーマである。プーチンのウクライナ侵攻にも影響を及ぼしたと言われる、19世紀プロイセンの軍事学者クラウゼビッツの戦争論によれば、「戦争は、政治の延長」なのだそうだが、さらに付け加えるならば、「戦争は、政治の失敗の結果」が真実なのではないのか。

 日本があの太平洋戦争を引き起こしたのも、領土的野心から旧満州に傀儡政権を樹立したことが発端であった。その権益の自衛のためと称して日中戦争を仕掛け、やがては欧米を相手にした身の程知らずの太平洋戦争へと突き進んだ。その間、欧米との外交交渉によって、戦争を避ける機会は何度もあったはずである。

 当時、日本の指導者はその努力さえ怠り、むしろ欧米連合国を仮想の敵と見立てて民衆の敵愾心を煽り、権力への求心力を得ようとした。権力者の常套手段としていつの時代でも用いられてきたことではあるが、民衆が煽情的なプロパガンダに乗って非合理的な熱狂に陥ると、破滅に向かって突き進むしかなくなってしまう。太平洋戦争開始当時の日本がまさにその状況であった。その結果として300万人を超える日本国民が犠牲となり、最期は焼け野原となった国土だけが残る、惨めな敗戦に追いやられた。

 今日でも「台湾有事は日本の有事」、あるいは「日本周辺を取り巻く安全保障環境の大きな変化」など、国民の間に、軍事的脅威が差し迫っているかのような危機意識を植え付け、その結果として石垣、宮古、与那国といった平和な南の島々が中国の軍隊によって占領されてしまうという、取り返しのつかない結末を招いてしまった。


 これが政治の失敗と言わずして、どこに怒りの矛先をぶつければよいのか。政権批判や戦争反対の声が、徹底的に弾圧された太平洋戦争当時と違って、この国には権力を批判する野党も、マスコミも形の上では存在する。しかし彼らが、その権力監視の責務を果たしてきたと言えるのか。権力側からの検閲ならぬ、日本社会の特徴である異論に対して不寛容な同調圧力から、自らの手足を縛ってしまう自己検閲に陥っているような気がする。戦時中の大政翼賛状態の再現と言っても過言ではない。


 民主主義の根幹をなす主権在民の原則に従えば、国家のかじ取りは、国民による選挙によって付託を受けた為政者が行う。しかしそのプロセスは、果たして正しく機能しているのだろうか。米国の元トランプ大統領も、ロシアのプーチン大統領も選挙によって選ばれた政治指導者である。両国の良識ある人々が、これらのクレージな権力者に危機感を覚えたとしても、それを支持する民衆が大多数を占める限り、政治を変えることはできない。

 ロシアが民主国家であるかどうかは別として、一応は選挙という体裁を整えて権力の拠り所としている。太平洋戦争当時の日本と同様に、反対を唱える者はすべて反逆者として排除され、マスコミも声をあげられない状況が生まれている。 一人の絶対権力者による暴走としか言いようがなく、終わりの見えないウクライナ侵攻を停める手立ては、少なくとも同国内には見当たらない。恐らく、政治テロという名の最終手段を除いては。

 もしプーチン大統領を秘密裏に計画された暗殺によって排除することができるとすれば、どれだけの数のウクライナ国民や、ロシア軍の若い兵士の命が救われるのであろうか。このまま戦争が続けば、恐らく両国併せて百万人を超える犠牲者が生まれるはずである。それを阻止する行為は、十分に条理にかなった正義ではないのか。

 

 翻って現在の日本を俯瞰した時に、安全保障政策で明らかな失敗を犯した現政権を倒す勢力は存在するのか。恐らく政策にかかわった誰もが責任を取ることもなく、選挙で国民の信任を得ているとして、そのまま政権に居座るに違いない。南西諸島で多くの自衛隊員の血が流れ、与那国、石垣、宮古島という、平和そのものだった日本の領土を占領されている状況にもかかわらず。

 太平洋戦争で敗戦に追い込まれたこの国では、戦犯として指弾された軍部の指導者が、米国が主導する連合軍によって開かれた東京裁判で裁きを受けた。決して日本人自身の意思で裁いたわけではなかったのである。

 しかし、戦争は政治の失敗によって引き起こされる。その摂理に従えば、侵略戦争に深く関与したはずのあの当時の政治家がほとんど裁かれることもなく、戦後も政治の中枢を占めることができたのはなぜだったのか。また、あれほど国民を扇動したマスメディアには、何の責任もなかったと言えるのか。

 日本人の手によってあの戦争をきちんと総括できなかったことが、戦後、この国の政治にまん延する、無責任な風潮を許しているのではないかと思う。

 今回も同様に、沖縄の人たちを悲惨な状況に追い込んだ責任を、政治家が取らされることはないとするなら、何らかの方法によって裁きを受けるさせるべきではないのか。例えそれが、どのような手段であったとしても。





 


 


 

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