第十三話 総統選挙と停戦交渉

 


 中国福建省から目と鼻の先にある馬祖諸島・金門島の占領と台湾本土の事実上の海上封鎖を受けて、台湾国内では世論が大きく揺れ動いていた。台湾を主権国家として中国との統一を断固拒否するのが現政権の立場であるが、国内世論は決して一枚岩という訳ではなく、実際は中国との統一支持派も少なからず存在すると言われている。

 日本人からすると、ほとんどの台湾人は中国からの恒久的独立を望んでいると思ってしまいがちだが、決してそうではない。統一支持派の人たちは、今でも中国大陸に肉親や親戚がいたりする場合が多く、台湾で暮らしながらも同胞としての意識を強く抱いているのである。

 現在、野党に甘んじている国民党は対中国融和政策を取り、政権与党の民進党とは一線を画してきた。そして2022年の統一地方選挙では、民進党を上回る大躍進を遂げている。台湾における統一地方選挙は、通常、その二年後に行われる総統選挙の前哨戦とも言われている。今回の中国による武力行使により、総裁選挙の行方には誰もが大きな関心を抱くようになったのだが、その総裁選まではわずか半年を残すのみとなっていた。

 今回の総裁選では、ことさら各候補者の対中政策が最大の争点になると注目されている。これまで台湾では主権国家を主張する現政権支持者に代表されるように、中国による武力侵攻はないと楽観的に考える人たちが大多数であった。しかし現実に中国本土に近い馬祖、金門島が武力侵攻を受け、台湾本土も事実上の海上封鎖を受けている現実を直視すれば、中国軍による本格的な台湾本土上陸も近いのではないかとの恐怖感が人々を襲い、政治的な解決を求める声が高まっていった。

 そして中国との融和政策を掲げる野党国民党の支持率が急上昇し、来るべき総統選には、中国との関係で現状維持を唱える第三の政党、台湾民衆党との連立政権樹立の可能性さえ台頭してきた。最近になって国民党の総裁選候補者が、野党が足並みをそろえることを公約に掲げることをほのめかしたのである。こうなると、世論は雪崩を打って現政権から離れる気運が強まった。


 台湾内部における世論の急激な変化を見て取った中国政府はこれを好機ととらえ、新たな提案をちらつかせ始めた。もし現政権が下野して新政権が交渉のテーブルに着くなら、一時的な停戦もありうるとほのめかしたのである。中国にとっても、半導体産業をはじめとする台湾の経済力を無傷のまま手中に収めることのメリットは大きい。

 本格的な台湾侵攻を敢行して、全土が戦場となってしまえば経済への打撃は計り知れない。ただし、中国の一国二制度を受け入れることにもつながるこの提案は、数年前に香港で起こったことを目の当たりにしてきた台湾の人々にとって、最も警戒すべきことであった。

 中国の戦略は 決して平和的解決のみに傾注していたたわけではなかったが、停戦交渉を有利に進めるには、絶えず武力による軍事的圧力をかけ続けることが不可欠である。その定石通り、中国軍による台湾軍事基地への攻撃は絶え間なく続いた。

 台湾の空軍基地は敵のミサイルや航空攻撃からの徹底した残存性が計られ、本土を取り囲むように東西南北の沿岸部にバランスよく配置されている。中には二つの空港をタキシーウエイで連結し、隣接する山中にシェルターを掘り、そこに多数の戦闘機を収容できる東部の花蓮基地のように、地形を生かし防御に優れた軍用空港も存在し、決して侮れない。

 台湾空軍の主力は、約140機程度保有するF-16戦闘機である。この戦闘機は言わずと知れた米国製のベストセラー機であり、最近ではロシアへの反転攻勢としてウクライナが供与を熱望しているように、使い勝手の良い高性能の多用途戦闘機である。他にも仏製のミラージュ2000や国産の戦闘機なども保有するが、中国空軍が実戦配備する殲16などの主力機と対等に戦えるのは、主に電子装備でのアップデイトを施されたF-16くらいであると言われている。

 中国との軍事力の差で言えば空軍機に関しては3倍以上、海軍力に関しては10倍以上の戦力差がある。さらに短・中距離弾道弾や巡航ミサイルの数でいえば、中国は一週間程度で台湾全土を壊滅させられるほどの数量を保有しており、近年ではウクライナ戦争で有効性が確認された無人機も、新たな攻撃手段となりつつある。

 つまり台湾単独ではとても中国に太刀打ちできるような戦力はなく、この地域における米軍のプレゼンスは台湾防衛にとって不可欠であった。その米軍は負担軽減のために、日本の自衛隊に一部の軍事的役割を肩代わりさせようとしているのであるから、台湾有事の際に日本は、極めて危うい立場に置かれていた。


 だがもし、台湾国内で親中派が政権に就いて中国との停戦交渉を始めようとする事態になれば、米軍も手を引かざるを得ないであろう。自ら戦おうとしない国のために自国兵士の血を流すようなことは、世界の警察官を自認していた湾岸戦争やアフガン戦争の頃までならともかく、国内世論が許さないと考えられるからである。

 世論の分水嶺になるとも考えられる状況が、台湾国内に生まれていた。2018年に徴兵制が廃止された台湾では、18歳以上の男子には4か月間の軍事訓練義務が課されていたが、中国による近年の軍事的圧力を受けて、2024年からその期間が一年間に延長されることが決まったばかりである。そして現実となった中国との軍事衝突の勃発により、まもなく兵役該当者の出国禁止も発令されるとみられていた。

 しかしそれ以外の、多くの台湾人の海外への脱出がすでに始まっていた。行く先は米国、カナダ、日本、豪州、ヨーロッパなど実にさまざまである。中国との有事に備えて、あらゆる方法でコネを作ってきたと言えなくもなかった人たちである。この状況で総裁選を迎えれば、親中派の野党連合が政権を握ることも、充分に考える状況が生まれたのである。

 

 この台湾世論の変化に最も敏感に反応したのは、米軍であった。それは劇的な方針転換であった。ハワイに司令部を置くアメリカインド太平洋軍司令部は、対中国軍事行動に関して、相手からの直接の攻撃があった場合を除き、武力の使用を禁止するとの指令を出した。これを受けて台湾東側海域で中国海軍と対峙していた米空母打撃群は、中国が定義する第二列島線近くまで後退した。

 中国軍もこの動きに呼応するかのように、米軍との直接戦闘を避けるようにふるまい、沖縄米軍基地への攻撃も鳴りを潜めた。これで台湾有事に伴う米中軍事衝突の拡大は、何とか避けられそうな情勢が生まれつつあったのである。

 しかし依然として台湾内部での政権交代を促すかのように、台湾本土への攻撃は継続されたが、それまでのような苛烈なものではなく、台湾軍の戦意をくじくような抑制的なものに変わっていた。


 実は、中国が日本の先島諸島に対する上陸作戦を決定したのも、台湾本土への上陸作戦は避け得ると踏んだうえでのものであった。それがなければ、いかに軍事力が強大な中国軍でも二正面の上陸作戦を同時に行うことはリスクが大きすぎた。つまり戦術的な余裕が生まれたことで、今後とも敵対関係が続くであろう日本に対しての、警告的な意味合いが強かったのである。

 そして2023年12月、総統選挙を一か月後に控えた台湾では現政権が下野し、中国側との停戦交渉を受け入れることを決定した。これは台湾軍の一切の戦闘行為の中止を意味し、一国二制度を受け入れることに他ならなかった。中国政権が当初から目論んでいた平和的台湾統一が実現することが、ほぼ確実となったのである。

 問題は中国軍の上陸を許した与那国、石垣、宮古の先島諸島の帰趨であった。台湾と中国間の停戦交渉でも主要議題として取り上げられる予定はなく,日本と中国の二国間交渉にゆだねられることになった。そして、今や米軍の後ろ盾を失った日本側には、対等な交渉能力さえ有しているのかさえ疑問視された。

 事実上、米軍の傭兵的な役割を自衛隊が担うようになったのは、北朝鮮や中国からの脅威を煽り立てて軍備拡張政策に傾注してきた安倍政権の頃からであるが、日本にとっては、昇ったはしごを外されたも同然の状況が生まれてしまったのである。

 占領した先島三島に対する中国側の主張は、台湾が統一された後の周辺地域で対艦ミサイルのような攻撃的兵器の配備は容認できるものではなく、三島の完全非武装化が中国軍撤退の条件となることが予想された。これらの島々の恒久的な占領という最悪の事態は、何とか避けられるのではないかとの希望的見通しはあったものの、かねてから台湾も領有権を主張していたあの尖閣列島は、中国領土となることが確定的となったようである。



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