第37話 風

夜羽は空を見た。

夕焼けだ。

風が吹いていった。

誰かがこの街に来たのかもしれない。


「風が吹いたな…」

「そうだね…」

夜羽は探偵事務所の前で探偵と酒を飲んでいた。

探偵の助手も一緒だが、酒は飲めないのでオレンジジュースを飲んでいる。

「誰か来た風ですね」

夜羽は視線を上げる。

帽子に隠れているので、その視線が何を見ているかはわからない。

「妄想も持ってきてくれるといいなぁ…」

夜羽は呟く。

「お前の趣味だろ、それは」

探偵が突っ込む。

夜羽は乾いた笑いを漏らした。


「誰かが出て行く時にも風って吹くんだろうなぁ…」

「誰かが動くと風が吹くんでしょうか?」

探偵の助手が素朴な疑問を口にする。

「この街にある雰囲気とか空気が動くんだろうな。多分」

探偵が答える。

「むーん…」

助手はわかったような分からないような顔をした。

「みんな、風のもとなんですよ」

夜羽がそう言う。

また風が吹いた。

「あ…出ていった風ですね」

「僕にはどれも一緒の気がします…」

助手はやっぱりよくわからない顔をしていた。


「あの時の風、覚えてるか?」

「あの時?」

探偵は一杯飲み干し、夜羽に話を振る。

助手が不思議そうに探偵と夜羽を見比べる。

「覚えてますよ。番外地にやってきた妙な風でしょう」

夜羽も軽いアルコールを飲み干す。

「喩えるなら黒い風」

探偵は手酌でまたグラスを満たす。

一口だけ口にする。

「あれ以来、人形師が大変になったとか…螺子師が言ってましたね」

「膨れるんだってな」

「ええ…」

夜羽はとりあえず相槌を打った。


「神屋跡の彼女は元気ですか?」

夜羽が話を振る。

「相変わらず、何だか虚ろだ」

「ごはん持って行っても食べないんですよ。大丈夫なんでしょうか…」

「彼女は多分俺達の知る『人』じゃない…俺はそう思うんだ」

「だから、『女神』…」

「そういうことだ」

探偵がグラスを揺らす。

酒がちゃぷちゃぷ鳴る。

不意に風。

「また誰か来ましたね…」

「ああ…」


「街が歓迎してますね…何だか僕も嬉しいですよ」

風を感じると、

夜羽は唇だけで微笑んだ。

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