一輪咲いても梅は梅⑥
強引にバックハンドで持ち上げたボールに、平原が体の前でラケットを構える。ぱちんとピンポン球を叩くコンパクトなスイング。上体が軽く仰け反るほど勢いよく腕を押し出しストレートを狙った平原の打球は、台の中央で構えた静井の横を抜けていった。
「セイちゃんさっすが~!」
派手なカウンターの応酬に会場がどよめく。
昨日の口論がまだ尾を引いているのか余裕たっぷりにチームメイトを煽る井浦だが、隣に座る
鞠佳が視線をこちらに――正確に言えば、薫子の奥にいる
「……あんた、何泣いてんの? 意味わかんない」
底冷えのする低い声。ほとんど蔑むように美景を見た鞠佳が爪に歯を立てる。この盛り上がりの中でろくに声を出していなかったのを見咎めたのか、唐突な叱責を受けてようやく頭を起こした美景に、鞠佳はなおも批判を続けた。
「なんであんたが今泣くわけ? これは個人戦じゃないんだから、誰かが負けてもそこで終わるわけじゃないでしょ。なのに人の応援もしないで自分のことばっかり――あたしが言えたことでもないけど、どこまで自己中なのよ? まだ試合中なのに自分のことで泣かないで。せめて全部終わってからにしたらどうなの」
なっさけない、と情感豊かに吐き捨てる鞠佳の勢いに、
「なによ、あんたはなんとも思わないわけ?」
「や、情けないとは思わないけど……あ、でも、試合に出といて泣くなとは思うかも。メンバーに選ばれた人が選ばれてない人の前で泣いちゃだめだよね」
「ほら、同じことじゃない。あたしもそこは気に入らないわ」
「えー、同じじゃないよ。
「違うわよ!」
「はいはい、二人ともお静かに」
ジャージを肩にかけた井浦がきゃんきゃんとやり合い始めた後輩たちを制す。まだもの言いたげにしている鞠佳はぱっと美景に視線を投げたが、すぐに目をそらすとふんと鼻を鳴らした。
「……あの、薫子さん。わたし、」
「別に謝らなくていいから」
先回りをして答えれば、ただでさえ暗い美景の表情が陰った。鞠佳や菫の言い分も正しいとは思うが、薫子は別段腹を立てているわけではない。
思うに、これまでの立場が違えば意識もまた違うのだ。中学時代の大半をレギュラーとして過ごした鞠佳たちにはレギュラーの選手はこうあるべきという自分なりの規範があって、それは例えば控えの選手に対して責任を持つことであったり、個人の勝利よりチームの勝利を優先することであったりするのだろう。
しかし、控えの経験が多かった薫子にはそんな誓いを立てる余裕などなかった。自分が団体メンバーに入れる可能性、チーム内での現在の序列。おそらく自分と美景はそんなことばかり考えてきた。
ならば薫子には美景の振る舞いを糾弾する権利などない。自分が同じ立場であれば同様に振る舞うことは目に見えているのだから。だから薫子は、声を低めて問いかける。
「林さんは、何がそんなに悔しいの」
エッジすれすれのコースに強打を叩き込んだ静井がベンチに座ったチームメイトと得点を喜び合う。個人戦でのイメージとはまた違う、感情をあらわにした姿。
巻幡に代わって五番手に起用された静井は並々ならぬ気概を持ってこの試合に臨んでいるようだった。薫子の問いにしばし考え込んだ美景は、闘争心を前面に押し出した静井を見ながら話し出した。
「わたし、今日は以前よりいいプレーができたと思っています。前よりずっと、ずっときちんとした試合ができて――だけどそれは、成長したからじゃないんです。
スコアを見ればストレート負けだが、美景と土田佐奈の試合はワンサイドゲームというほど一方的な展開にはならなかった。無理に仕掛けることは避け、確実なチャンスを逃さず攻めていく。
終盤こそ突き放されたものの、本人の言葉通り善戦したという印象を受けた。試合後に握手をした土田も笑顔で元後輩のプレーを讃えていたのだが、当の本人はなにひとつ自分に納得できていないようだ。
「少し守備的に打つことを心がけたら、余裕も出てきて。自分の打ちたい時に打てた気がして、それはよかったんですけど……なんでもっと早くこういう風に、いろいろ試してみなかったんだろうって。わたし、自分では何か変えようなんて思わなくて。ただ、もっと速攻らしくならなくちゃって。強くなるためには、そうするのが正解だとばかり思って」
美景がまた目元に手をやる。たしかに今日の美景は前陣速攻らしい試合運びをしてはいなかった。強い相手にはなかなか自分から攻めていけず、無理に打とうとして自滅する。部内リーグ戦でも二年生と当たった時の美景は普段とはほど遠い出来だった。そんな美景が今回に限って速攻らしいプレーに固執せず試合に向かった理由を、おそらく薫子は知っている。
ゆったりとした動きでボールを呼び込み、たたんだ左腕を振り抜くと同時に素早く手首を返す。平原のバックドライブは例のごとく相手にコースを読ませない。相手にすればこのドライブを打たせないようにするしか手がなく、ボールを拾いに走る静井は次のポイントをどう組み立てるか思案していることだろう。
「それは――平原先輩に言われて、やりかたを変えたってこと?」
先輩の得点に拍手をしながら尋ねると、美景がこくりと頷く。読みが悪い、速攻なのに打つかどうかの判断が遅すぎる――ダブルスの練習で、平原は美景にそう指摘した。これを安直に受け取れば、速攻に向かないと言われているに等しい。
「小さい頃からずっと速攻をやってきましたけど、あまり自分に合ってないんだろうな、とは気付いてたんです。でも、先輩に言われるまでプレースタイルを変えようなんて考えたこともありませんでした。本当なら、わたしが自分で気付かないといけなかったのに」
ほとんど独り言めいて自分を戒めるように呟いた美景は、テープの貼られた木目調の床を穴が空くほど強く見つめていた。正藍寺の応援もベンチの声も、深い内省に浸る美景には届いていないようだったが、突然に顔を上げた美景は思い出したように指先で両目を拭うとチームメイトの並ぶほうへ向き直った。
「……でも、試合中に泣くのは自分本位だったと思います。すみませんでした」
「そんな、別に謝らなくても」
頭を下げる美景に旭が慌てて声をかける。ちらりとこちらを一瞥して、鞠佳が呆れたようにため息をついた。
「そう思うんだったら、謝るより試合を見なさいよ」
はい、と答えてもう一度目元を拭った美景がコートに視線を移す。拮抗したスコアのまま、1ゲーム目は終盤に入っていた。
ゆったりと構え、まっすぐにボールを投げ上げる静井の動きに一切の淀みはない。サーブを出す立ち位置を変え、ミドルを狙ったロングサーブで今日何度目かのサービスエースを奪うと、静井は再びベンチに向かって拳を握りしめた。
張り詰めた緊張感と意外なほど気迫に満ちたプレー。団体戦に懸ける強い思いをうかがわせる静井に対し、淡々と自分の卓球を貫く平原の態度はどこを取っても普段と変わらない。
これがチームの勝敗に直結する試合とは思えない落ち着きで、それでいて切れ味鋭い攻撃で会場を沸かせるのだから相変わらずだ。平原誓は揺るぎなく強い。
コースを突いたサーブで相手を崩し、浮いたレシーブを台上でぱしんと払う。表情ひとつ変えずに先行した平原は、静井を待つ間に細く息を吐いた。その様子をひたと見つめる美景に、井浦がこの空気感には似つかない緩慢な口調で話しかけた。
「でもさあミカちゃん、なんか思い詰めてたみたいだけど自己中心性も大事だよ。特に卓球はそうなんじゃないかな、あたしもそういうとこあるしね。それにほら、目の前にいい見本がいるじゃない?」
励ましとも気休めともつかない井浦の言葉に菫がへらりと破顔した。口元を押さえた鞠佳がすぐさまうちわで井浦を叩き、薫子が俯いてこみ上げるおかしさをこらえる横で、当の美景は唐突に笑い出したチームメイトをぽかんと見渡している。
そんなベンチの惨状には目もくれず、ピンポン球を投げ渡された平原がサーブの構えに入った。
ゆっくりと上体を伏せた平原の横顔を短い髪が覆い隠す。長い静止から体を跳ね上げるようにしてボールを高く投げ上げ――落ちてくる白いボールを見つめる誰もが息を飲む。まっすぐな高いトスから、平原が小さくラケットを振り抜いた。
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