一輪咲いても梅は梅⑤

 まっすぐに揃えた指先。十分な静止からボールを投げ上げた静井しずいが天井を見上げる。

 何度も何度も反復した結果一分の隙もなく洗練された間違えようのない動き――特徴的なフォームの選手は他にもいるが、静井みやこのサーブは中でも綺麗だと薫子かおるこは思う。鋭い回転にやや浮いてしまったすみれのレシーブを、古見ゆかりが厳しいコースへと押し込んだ。

 ネット前を狙ったボールに平原が冷静に対応するが、その返球を待ち受けていた静井は鞭のように左腕を振り抜いた。


 応援席から歓声が殺到する。コースは読めていたもののドライブを止めきれず、ブロックを弾かれた菫はすぐに素振りで面の角度を確認した。相手のコートに返ることなく真上に上がったピンポン球をぱしりと掴んだ平原に焦る様子はない。

 ゲームカウント2-1で迎えた第4ゲーム。7-8と正藍寺が一点先行した場面で静井が二本目のサーブに入る。出番を終えて戻ってきたばかりの鞠佳まりかが部員たちの並ぶ列の端に腰を下ろし、両校のメンバーは唯一試合が行われている第七コートに視線を注いでいた。

 ダブルスとほぼ同時に始まった四試合目はストレートで浜崎の勝利に終わった。本来ならば第八コートで五試合目が始まっているはずなのだが、五番手である平原と静井は双方ダブルスにも出場している。三試合目が終わらない限り次の試合を行うことはできず、おのずと全員でダブルスを観戦する運びになっているのだった。


 奇数ゲームは比較的余裕を持って試合を進めていた平原と菫だが、静井のボールを菫が受ける組み合わせになる偶数ゲームでは苦戦を強いられていた。

 それでもこのゲームは大差で落とした第2ゲームに比べはるかに内容がいい。静井がドライブを決めれば平原が積極的なレシーブを決め、互いのエースが点を取り合う展開に応援にも力が入る。

 スコアを何度目かの同点に戻したところで回ってきたサーブ権に、井浦いうらが明るく声を張り上げた。


「スミちゃんここリードしよう!」


 サーブ一本、しっかり、と相次いで飛んだ声援を聞いているのかいないのか、切迫した場面にしてはあっさりとサインを出した菫は、長い静止からまっすぐにボールを投げ上げ――かん、とボールが弾んだ。

 意表を突いたノーモーションのロングサーブに、薫子は思わず息を飲む。咄嗟に合わせるだけになった古見のレシーブをクロスに打ち抜いて、平原が短い前髪を払った。

 ナイスボール、平原先輩ナイスです、とすかさず盛り上がるベンチの中、美景みかげは呆けたように目の前の卓球台を見つめている。自分も大きな拍手を送りながら、薫子は隣に座るチームメイトにどうしたのかと問いかけた。

 美景ははっとして肩をびくつかせ、手から落ちかけたうちわを慌てて握り直すと、消え入る声でこう答えた。


「……わたし、前にも見たんです。今のプレー」

「え?」


 聞き返してみても美景の答えは要領を得ない。それきり黙ってしまった美景は、試合が終わるまで口を開こうとはしなかった。

 静井のお株を奪うようなカーブドライブで平原が得点を重ね10-8。このゲームで初めて二点差が開いた。正藍寺しょうらんじはすでに一試合一回と定められたタイムを使ってしまっている。マッチポイントを握られ、静井の出したサインに頷いた古見は、緊張を吐き出すようにひとつ息をついてサーブの構えに入った。


 大きくテイクバックを取り、低い打点から繰り出す短い下回転のサーブ。丁寧なツッツキで返した平原に続き、静井もミドルを狙ってつなぐ。

 体の正面を狙ったボールに、菫は回り込もうとはせず余裕を持って粒高つぶだかを振る。プッシュほど速くはなく、ストップにしては長いボール。バックの返では短く落とすことを徹底していた菫が初めて見せたボールの軌道に、ネット前をカバーするように動いていた古見の反応が遅れる。

 古見が打ち返したボールはネットに当たり、台上で弾んで転がり落ちる。審判の手が上がるのを見て、花ノ谷かのやベンチは安堵と喜びに包まれた。

 対戦相手と握手を交わした二人がベンチに戻って来る。声をかけられたくないのか鬱陶しげに輪から離れた平原の分まで祝福を受けた菫は、盛大に扇がれてはためく髪を手で押さえた。


「お疲れスミちゃん、最後のプレーすごいよかったよ」

「そうよ、あんたいつからああいう打ち方するようになったの? いつもなら無理無理フォアで打つじゃない」

「ちょっとね、先日有意義なご指導を賜りまして」

「ああ、某チャンピオンにね?」


 井浦がいたずらっぽく笑うのを鞠佳がきょとんと見ている。菫が労われる一方で、五試合目を残した平原は休憩もそこそこにベンチを立った。すかさず律儀に立ち上がったあさひが恭しくペットボトルを受け取りに行く。


「じゃあよろしくセイちゃん、あたしほんとに期待してるからね」

「はいはい」


 井浦におざなりな返事を残し、淡い桃色のユニフォームをまとった平原がまだ誰もいないコートへと歩を進める。鞠佳ですらその背中に一応の声援を送っているというのに、遅々とした動きで応援の列に加わった菫には先輩に声をかける素振りもなかった。

 薫子はそれをやや意外に思う。単に応援したくないのか、それとも逆に、平原の勝利を確信しているからこそ応援する意味がないと考えているのか。傍目にも仲が悪いようには見えないのだが、八倶坂の人間関係は複雑怪奇だ。


「団体戦ってあと一試合でしたっけ? 夕希ゆうきちゃんがいるとこですよね」

「うん、次は田宮商だね。スミちゃんはそろそろ学校名を覚えようね」


 ペットボトルに口をつけた菫が片手を上げて返答に代える。ダブルスを取って平原につなぐことを前提とした今回のオーダーにはさすがに気疲れしたのか、上着も着ずに座っている菫に鞠佳がジャージを手渡している。

 和やかな一幕のすぐ横で、美景が小さく鼻をすすった。旭とともにベンチを温めている薫子は、ダブルスの試合終盤から美景がこんな調子でいることを知っている。ポケットティッシュを差し出すべきかどうかと旭が頭を悩ませていることも。


 平原と静井の試合ともなれば練習から迫力がある。穏やかな打ち合いから始まって次第にボールの威力が増していく左利き同士のラリーを見ながら、薫子はピンク色の主張が激しいジャージの襟元を特に意味もなく引っ張り上げた。

 平原と静井がいる第七コートから一番距離のある位置に座った美景は、先ほどから明らかに塞ぎ込んだ様子で足元を気にしていた。俯く美景が心なしか目元を赤くしていることに他の部員たちが気付く様子は今のところまだない。

 サーブ権を決め、ラケットを交換し、とうとう試合が始まっても美景が顔を上げる気配はなく、薫子は心配そうに両手を揉み合わせた旭と顔を見合わせる。隣がこの調子では応援に集中するのは難しそうだ。


 有力選手が激突する好カードとあって会場の視線もこのコートに注がれているらしい。幸先よくサーブからの三球目攻撃で得点した静井に降り注ぐ応援は正藍寺の部員だけのものではなかった。

 フェンスで仕切られたフロアのもう半分では男子シングルスが佳境を迎えている。どこかの台で得点が決まるたび大きな歓声が上がる独特な環境下でも、選手たちは集中を乱すことなく自分のプレーに没頭していた。


 静井の長いサーブから平原が仕掛けていくが、フォアドライブの跳ね際を捉えた静井が完璧なカウンターを決め――まだボールは落ちない。長い腕を伸ばした平原がそのボールに追いつき、互いに厳しいコースを狙ったフォアの打ち合いへと移行する。

 サイドを切るラリーが続く中で、平原がライジング気味に打球のテンポを変えていった。一際角度をつけたフォアハンドに、目一杯ラケットを伸ばした静井が一歩踏み出すも届かない。


「ナイスボールです!」


 菫の声にやや遅れて、静まりかえった場内にわっと拍手が起こる。平原のプレーをよく知る菫はともかく、人はこれほど凄いものを見せつけられると沈黙するしかない。今の得点ひとつ取っても地区大会とは思えない試合だ。ハイレベルなラリーに見入っていたのか、膝立ちになった旭がほうと息をついた。


「すごいです。今のは、わたしにでもわかるくらいすごいです」

「うん。あれが花ノ谷の……県北のエースだからね」


 薄桃色のよく似合う可憐な容貌に好戦的な笑みを乗せて、井浦が素朴な賛辞を口にする。県北のエース、と薫子は小さな声で繰り返した。

 かつてのチームに誇りを持った園部や八倶坂やくさか出身の部員と違い、薫子には田宮東にろくな思い出がない。はっきりとしたチームカラーを持つ園部を、部員たち一人一人に個性のある八倶坂を羨んで、有力選手の対決をただ眺めていただけで、薫子から見た平原ひらはらせいはあまりに遠い存在であった。

 そんな平原が高校の先輩となりチームメイトとなった今、長らく距離感を掴みかねていたというのが正直なところだ。そんな薫子にも、県北のエースという言葉はすっと飲み込むことができた。

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