一輪咲いても梅は梅③
「四番シングルス
オーダー表を手にした生徒に名前を呼ばれ、選手たちが進み出て一礼する。オーダー確認を終え、再度頭を下げた両校の選手はばらばらとベンチへ帰って行った。
「それじゃあ僕は男子のほうを見てきます。みなさん、悔いのないよう頑張ってください」
激励の言葉を残して中庭が走って行く。直接指導しないとはいえ、男女両方の顧問というのはさすがに忙しそうだ。試合前に円陣を組む
「どうするセイちゃん、うちも円陣でもやっとく?」
「今更やる意味があるの?」
「だよね~。じゃあいつも通り、
そう言って髪をきつく結び直した井浦がひらりと手を振る。誰より先にコートに出て行く井浦の後ろで、今度は平原が立ち上がった。
畳んだジャージを腕に掛け、擦り切れたラケットケースを持って軽々とフェンスを乗り越える。無用の長物となった監督用のパイプ椅子を寄せて体を動かすスペースを確保しようとする平原に、足を崩して座った
「あれ、平原さんもう準備するんですか」
「進藤さんはここで見てていいから。2ゲーム差がついたらすぐアップして」
はあい、と気の抜けた返事とともに菫が小さく敬礼のポーズを取る。二台進行の団体戦では一、二番の試合のどちらかが終わり次第空いた台で三試合目を開始するのだが、片方の試合だけが異様に長引くことはまずない。四試合目に出場する
得点時のかけ声と部員たちの手拍子があちこちで聞こえる。勝ち残った選手たちが気迫に満ちたプレーを見せる一方、すでに試合を終えた学校の生徒は閉会式までの長い時間を持て余したように無駄話を繰り広げていた。
フロアには深い集中が、応援席には弛緩した空気が流れる会場の雑多な雰囲気は、三日続いた大会が終わりに近付いていることを否応なく感じさせる。
ともに短い練習を済ませ、井浦と
先一本、集中、ファイトです――青木
青木は静井都同様に一年時から正藍寺のレギュラーを任されている。同じカットマンということもあり、中学時代に県大会で見かけた青木の姿は鞠佳の記憶にしっかりと残っていた。
ろくにラリーを続けずに点を取りに行く攻撃的カットマン。巧みなサーブの打ち分け。何度も対戦した八倶坂の青木
夏のシード決定戦では井浦が九位、青木光希が五位だったが、井浦のプレースタイルを考えれば順位の比較はさほど意味を持たない。たとえ相手のランクが自分を上回っていたとして、井浦はいとも簡単に実力差のある相手から勝ちをもぎとってみせる。
自分のやりかたに対応できるか否か。井浦が相手に迫るのは単純な二択だ。先に打っていこうとした青木のドライブがコートの外へと飛んでいく。ナイスボール、と声をかける鞠佳の横で、美景の試合を応援していた
「青木さん、さっきからネットミスもオーバーミスも多いよね。これってやっぱり、井浦さんが狙ってやってるんでしょうか」
「そうね。
「でも……正藍寺の人って、すごく強いんですよね。粒高の相手がそこまで苦手ってこと、あるんですか?」
短いツッツキをプッシュで返した井浦が続けて得点する。手元では拍手をしながらなおも解消されない疑問を抱えているらしい旭に、今度は菫が補足を加える。
「まあ、井浦さんはただの異質じゃないもんね。菫はバックが粒高だから、バックに打てば粒で返されるってことは相手もちゃんと理解してる。けど井浦さんはぎりぎりのとこで反転するから、どっちのラバーで来るか全然読めないんだよね。それで準備が遅れてミスが増えたり、今度はそのミスを利用されたりする」
ラバーの色で判別できるとはいえ、粒高と表ソフトのどちらで打つかが直前までわからないというのは非常に不利だ。 井浦がラリーの中でラケットを反転した時、今使っているのと反対のラバーで打つのだろうと思っていてはまだ甘い。
そこからさらに半回転、ラケットを完全に一回転させればまた同じラバーが現れるのであって、反転の技術に習熟した選手はたびたび相手を攪乱するためだけにこの手を使う。このうえ裏面打法まで交えられると間近で見ていてもわけがわからない。
独特な組み合わせのラバーを使い分け、反転ペンというトリッキーな用具の特徴をフルに使って相手を押さえ込む。そのうえゲームメイクの能力にも長けた井浦は、いつも相手に全力を出させないことに全力だった。
相手のペースを乱すことに特化した井浦の強さは純粋なランキングでは測れない。正藍寺が浜崎ではなく井浦を要注意人物と定めていたのも井浦のような選手が他にはまずいないからなのだろう。
「林ちゃんおつかれ~、はい飲み物」
「すみません、ありがとうございます」
美景と土田佐奈の試合は早くも1ゲーム目が終わったらしい。薫子に話しかけられ、ペットボトルを握りしめた美景が何度か頷いている。その横でぱたぱたと美景を扇ぐ菫は、井浦と青木が試合を行う第七コートにさりげなく目をやった。
正藍寺も井浦との対戦を機に異質相手の対策は取っていると聞く。いかに井浦のプレースタイルが独特だと言っても、何度も対戦を重ねるうちにその優位性は薄れていくだろう。しかし今回は比較的相性のいい青木との再戦だ。数年ぶりの再戦ということもあってか、青木は見るからに粒高の処理に手こずっていた。
井浦が青木のカットを粒高でぽんとすくい上げる。打ち頃の高さで返ってくる微妙に回転が残ったボール。すでに何本もスマッシュミスをさせられている青木は面倒そうに顔をしかめた。
落下地点を読んで数歩ステップ、ボールの位置を確認しながら軽くテイクバック。ここで安全に入れにいこうものなら狙い澄ました井浦のカウンターが飛んでくるに違いない。鞠佳と同じことを想像したのか、青木も全力でスマッシュを打つ。
たとえミスの確率が高くなろうとも相手の思惑に乗るまいと懸命にプレーする青木は、その時点ですでに井浦の思い通りに動かされているのかもしれない。
「萌さん、どうぞ」
1ゲームを先取しベンチに戻ってきた井浦に旭がスクイズボトルを手渡す。無言でそれを受け取る井浦の表情はいくぶん柔らかさを欠いていて――鞠佳は強烈な既視感を覚える。
普段の軽さとは一線を画す勝負に没入したその顔は、鞠佳の見てきた井浦そのものだ。こみ上げる懐かしさにぎゅっと膝を抱えた鞠佳は、大きく鼓膜を震わす歓声にようやく正気を取り戻した。
土田がいいプレーを見せたらしく、正藍寺の応援がにわかに勢いを増す。次一本、と声をかけながら、床を手で探った菫がラケットケースを持ち上げる。
「ごめん、菫そろそろ抜けるから。石田ちゃんあと応援よろしく」
「わかった。頑張って」
第七コートのスコアは9-6。間もなく土田が2ゲーム目を取ろうというところだった。空いたコートの脇、他校の荷物を避けるようにスペースを見つけた菫はその場で数度飛び上がると、何度か深く屈伸してからラケットを手にする。
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