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綺麗な薔薇には棘がある①

 3ゲーム目、10-6。マッチポイントを迎えてややバック寄りに立ち位置を変えた井浦の視線の先、隣の台ではダブルスの試合が続いている。薫子かおるこ美景みかげは以前よりはるかに落ち着いたプレーを見せていた。

 どうせなら最後まで試合をさせてあげたい気持ちもあるが、わざわざ勝負を長引かせるつもりはない。相手が投げ渡してきたピンポン球を捕まえた井浦は、長い爪でプラスチックの表面を引っかいた。


 少し高めのトス。手前に曲げた手首を勢いよく前に押し出した井浦はすぐに腕を引いて三球目に備える。

 体の内側から外側に、普段とは逆方向にスイングして逆横回転や下回転をかけるいわゆるYGサーブ。表ソフトは自分から回転をかけづらいラバーだが、手首の柔らかい井浦は比較的回転量の大きいこのサーブを効果的に使っていた。

 テンポを変えたトスにタイミングを狂わされ、相手は素直に返球せざるを得ない。表ソフトを使う井浦にとって中途半端なレシーブは格好のチャンスボースだ。

 狙い通りフォアのクロスに返ってきたツッツキを右手を伸ばしてぱしんと払う。静かに得点板がめくられ、審判が最後のポイントが入ったことを両選手に示す。

 無言で一礼した井浦は、同学年の対戦相手とほとんど触れるだけの握手を交わした。

 

 平原とすみれが二試合を連取し、四番手の井浦がストレート勝ち。応援に回っていた選手たちが整列を始め、隣の台では途中で試合を終えることになった美景と薫子が相手ペアに軽く会釈をした。

 卓球の団体戦はどちらかが三勝した時点で決着がつく。十分ほど先に始まった三試合目のダブルスは互いにゲームを取り合う展開となり、後から始まった四試合目の方が先に終わってしまったわけだ。

 このように、団体戦では途中で試合が打ち切られることがままある。おざなりに礼をした四人の選手が遅れて列に加わり、卓球台を挟んで整列した選手たちは審判が読み上げる試合結果を聞いた。


「ただいまの試合は3対0で花ノ谷高校の勝ちです。礼」


 ありがとうございました、と両校の部員が声を揃える。溝端高校との試合を制した花ノ谷は、これで大会三日目の団体戦決勝リーグに駒を進めることになった。


 新人戦初日、女子は午前に団体戦予選トーナメントを行う日程になっていた。第二シードの花ノ谷かのや高校は二回戦からの出場となり、危なげなく溝端戦に勝利した。

 午後からはダブルス予選が行われ、これを勝ち抜いたペアは今日中にも全県出場が決まることになる。勝ち進めば夕方までほぼ休みなく試合をするわけだが、二日目にはシングルス予選とダブルス決勝トーナメントが待っている。高校ではこの試合数に慣れなければ話にならない。


 試合を終えた花ノ谷の面々は荷物を片付けて一旦応援席に引き上げる。フロアの端を歩いて出口に辿り着いた井浦たちは、帰りを待ち受けていたあさひに出迎えられた。


「みなさんお疲れさまです! これで団体予選はおしまいですね」

「ずっと応援席にいたの? あんたもこっちで見ればよかったのに」


 えへへ、と笑った旭が首元に手をやる。ジャージのファスナーをきちんと上げた着こなしは、おさげの髪型も相まって運動部らしからぬ雰囲気を助長している。

 一応登録メンバーに入っている旭は選手とともにフロアで試合を見ることもできるのだが、今日は井浦の指示で正藍寺しょうらんじや田宮二高の試合を見に行かせていた。


「それはあたしがお願いしたの。アサちゃんにもそろそろマネージャーらしいお仕事をしてもらったわけです。他校の試合を見てきてくれたんだよね?」

「あっ、はい。一応、正藍寺のオーダーを確認してきたんですけど」


 井浦に促され、小さなメモ帳を握りしめるように抱えた旭が自信なさげにページを開く。水玉の付箋が貼られた罫線つきのメモ帳には読みやすい字で二校のオーダーが書かれており、真っ先にそれを覗き込んだ鞠佳まりかが怪訝そうに眉をひそめた。


「これ、本当に合ってるの? あたし、この古見こみって選手よく知らないんだけど」

「はい、たしかにこのメンバーでした。巻幡まきはたさんが出ないから、相手の学校もちょっと動揺してる感じで。見てるわたしもびっくりしちゃって……」

「意味わかんない。ねえ美景、あんた何か知らないの?」

「いえ、何も……トラブルなんでしょうか」


 めいめいに騒ぐ後輩たちをよそに、もう一度旭のメモを目でなぞった井浦は頬に手を当てる。一番青木、二番土田、三番ダブルス静井しずい・古見、四番浜崎、五番静井――なるほど、これはにわかには信じられないオーダーだ。あくまで相対的な印象とはいえ、巻幡唯がいないだけでこうも格が落ちて見えるとは。


「いいじゃんいいじゃん、最高じゃない。これなら十分戦える」


 端正な顔に好戦的な笑みを浮かべて、井浦は爛々と目を輝かせる。相手がオーダーを変えてきた理由などこの際どうでもいい。大事なのは、ベストメンバーとはほど遠い正藍寺を攻略する確実な方法を練ることだ。

 油断でも自惚れでもなく、こちらがオーダーを間違えなければ勝てるという自信が井浦にはあった。常の軽さをかなぐり捨てた部長をぽかんと見つめる後輩たちをにこやかに見返して、井浦は悠然と口火を切る。


「青木光希みつきとはあたしがやる。このダブルスならセイちゃんとスミちゃんで勝負できるし……ここまで舐めてくれるなんて、ありがたすぎて涙が出そう。あとはセイちゃんがどこに出るかだけど、土田佐奈と当てちゃえばわりと余裕が、」

「それは無理。わたし、出るなら五番しか考えてないから」


 ようやく口を開いた平原の一言に、嬉々としてオーダーを組み立てていた井浦がぱたりと黙る。座席後ろの柵に片肘をついた平原はもはやフロアのほうへと興味を移していた。

 自分を見もせずに勝手を通そうとする平原に、井浦がわずかに頬を引きつらせる。


「……ちょっと待ってよ。セイちゃんさ、冷静に考えて? どういうつもりか知らないけど、巻幡抜きの正藍寺と戦うチャンスなんてこの先あるかわかんないんだよ。正藍寺に勝つなら今しかないの。だったら確実に勝ちを取りに行くのが一番いいに決まってる」


 今の平原が土田に負けることはまずないだろうが、対して相手が静井となると一気に勝敗が読めなくなる。わざわざ互角の相手と戦って、もしも五試合目を落としでもしたら?

 そもそも平原を五番に置くこと自体、エースまで出番が回らず負けてしまうリスクを孕んでいるというのに。平原が強い相手との勝負にこだわるのは今に始まったことではないが、それでみすみす勝ちを失うなど、井浦には蛮勇としか思えない。


「わたしも妥協してるつもりだけど? 巻幡唯がいないなら試合に出る意味もあまりないから。それでも出なくちゃならないなら、自分の相手くらい選ばせて」

「これは部長として言ってる。お願いだから二番で出て――こんな機会、今回だけだよ」


 これまで飄々とした態度を崩さなかった井浦が見せる必死さに気圧されてか、先輩同士の会話に口を挟む者はいない。しかし平原は、井浦の嘆願すらも平熱のまま受け流す。


「最初から言ってるでしょ? わたしは団体戦の勝ち負けなんてどうでもいい、一番強い選手と試合ができたらそれでいい。ずっとそう言ってきたつもりだけど」


 血色の悪い唇がしゃあしゃあと非協力的な論理を紡ぐ。一貫して自分本位で乱暴で、人の話を聞く気もなくて――あは、と井浦が笑う。なんなのだ。

 なんなのだろう、この子は。あたしが今まで、何のためにこの厄介なチームメイトを庇ってきたと思っているのだろう? 井浦はなおもくすくすと肩を震わせ、捨て鉢な気分で応援席の階段に座り込んだ。


「ふうん。結局、平原さんまであたしを裏切るんだ」

「……何を言ってるのかさっぱりわからない。けど、わたしが静井に勝ちさえすれば文句はないんじゃないの? 井浦が勝って、わたしと進藤さんがダブルスを取れば問題なく五番に回るんだから。静井と当てないつもりなら、わたしも団体には出ない」


 何を偉そうなことを――井浦は言いかけた言葉を飲み込む。強い者が偉い。それは勝負の世界に厳然と存在する理で、今更そこに腹を立てたところで何の意味もないのだ。

 立ち上がった井浦はかつかつと靴を鳴らして自分の席に向かう。びくりとして道を開けた後輩の顔には怯えが見えた。


「ああそう、じゃあセイちゃんの好きにしなよ。そのかわり、負けたら一生許さないから」


 ペットボトルを引っ掴み、エナメルバッグの持ち手を思い切り引いた井浦は大股に花ノ谷の応援席から歩き去った。後ろで涼しげに頷く平原の姿が見えるようで、苛立ちに顔をしかめた井浦の手の中でペットボトルがべこんと音を立てる。


 入部当時六人だった同級生は夏には二人になった。二人だけになったからといって殊更仲良くする気もなかった。幸い向こうもこちらに興味はなかったようで、余計な気を遣う必要のない相手ではあった。

 傍若無人で無遠慮で、あの実力でなければ許されない横暴な振る舞いは数知れない。けれど決して馬鹿ではなく、むしろ話は通じるほうで、井浦は少なからず平原誓を信頼していた。勝つために組むには丁度いい相手だと思っていたのに、またこうやって痛い目を見る。


 これだからあたしは同級生に恵まれない。肺の中の空気をあるだけ吐き出して、井浦は踏みしめるように階段を降りる。すれ違った正藍寺のジャージに、内心ではろくでもない罵声を浴びせながら。

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