綺麗な薔薇には棘がある②

「わたし、正藍寺しょうらんじに行こうと思う」


 もえには最初に言っておこうと思って。

 真剣な面持ちでそう告げる浜崎の声は凛としていて、ずっと彼女のどこかにあった不安とか遠慮とかいった弱々しさが抜け落ちているようにも見えて、このことを決めるまでによほど逡巡したのであろうとよくわかった。

 しかし何を言い出すかと思えば、なんでまた鞠佳まりかがいる時にこんな話をしてくれるのだうちのエースは。後輩がステージ裏に引っ込んだのを見ていなかっただけとは思うが、これでは鞠佳がしばらく出てこられない。

 それどころか最後まで聞きたくもない話を聞かされる羽目になるだろう――あの後輩が直情的な怒りに任せて、途中で飛び出してでもこない限りは。


 ともかく浜崎はこの場には井浦しかいないと誤認していた。こうして、おそらく部員の誰より先にとんでもない決断を告げられた井浦は、自分の形をした入れ物の中をあらゆる感情がごうと突き抜けていくのを感じた。

 問いただしたくて罵りたくて引き留めたくて考え直してほしくて、手酷く裏切られたような気になって、ぺらぺらと回るはずの井浦の口が一向に開かずにいるのをどう思ってか、浜崎はさらに言葉を接いだ。


「このチームにはすごく感謝してる。園部じゃなかったら、みんながここまで本気じゃなかったら、わたしもこんな風に卓球に必死になれなかったかもしれない。だから決めたの。もっと強くなるための選択をしようって、そう思うようになった」


 井浦は耳を疑った。園部は――あたしたちは――この三年であの正藍寺と競るまでのチームになって、本気でチャンピオンを倒すのだと言い切れる唯一のチームのはずで、それはあたしの何より大事なものなのに。

 正藍寺がそのまま高等部に持ち上がるように、高校でもまた一緒にやれたらと願っていたのに。

 部活のために高校を選ぶ生徒はほんの一握りで、大学進学を視野に入れた進路を選ぶのが普通だというのは重々わかっていた。というか本来なら井浦こそが成績のほうを重視される生徒の筆頭なのだが、そんなことはどうでもいい。


 このメンバーでまた一緒に部活がしたいと、井浦が胸のうちに子供じみた執着を膨らませたところで全員が誘いに乗ってくれるはずもない。けれど井浦は浜崎を信じていた。また一緒のチームに入るのだと疑いもなくそう思っていたのに、浜崎はとても奇妙なことを言う。

 園部があったからもっと強くなれたと。だからさらなる高みを目指すため正藍寺に行くのだと。井浦にとっては特別なものだったこの三年間は、浜崎が正藍寺に行くための正当な理由に置き換わってしまった。


「……海玲みれいはさ、あたしが今何か言ったら、考え直してくれる気あるの? ないの? それだけ教えてよ」


 説得の余地はあるのか。より直接的に言うなら、この話に関して井浦の存在が翻意の要件になりうるか。尋ねれば、浜崎ははっきりと首を横に振る。後ろで結った髪がそれに従って揺れるのを、井浦は鼻で笑った。

 井浦萌という人間に備わっているのはここで未練がましく泣いてみせるほどのかわいげではなく、煮え立つような敵意を奥底に押し込めて浜崎を見据える峻烈さだった。わかったよ、と明るく返して、感情を殺した井浦はとびきり可憐に笑う。

 ことあるごとに褒めそやされてきた自分の容姿は嫌いだが、その有効な使い方というやつは井浦の深層心理に叩き込まれている。


「あたしは反対、大反対。でも決めたなら好きにすれば? ならこっちも好きにするから」


 井浦としても後輩の前でこんな愁嘆場を演じたくはなかったが、こればかりは仕方がなかった。構図は単純。目下の仮想敵だった正藍寺に歯向かうことは変わらない。では何が変わるのかと言えば、高校からはそれが井浦たち――園部中女子卓球部の目標ではなく、井浦萌固有の目標になるというだけだ。


「ちゃんとレギュラー獲ってよね。そしたら今度は、海玲ちゃんごとぶっ叩くから」

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