藍より出でて④

「練習終わり。みんな一旦集合して」


 高等部のレギュラーが練習を行う体育館に朗々とした声が響く。ピンポン球が跳ねる音が止んでから部員たちが壁を背にして整列するまで長い時間はかからなかった。

 全員が揃ったのを確認すると、巻幡まきはたゆいは額縁におさめられた応援旗の真下に立つ。正藍寺しょうらんじ学園高等部の完全下校時間は午後七時。今日も時間通りに締めの挨拶をするのかと思いきや、巻幡がさらりと口にしたのは重大な事柄だった。


「今月の新人戦、団体メンバーを変更しました。二年は佐奈さな海玲みれい、一年はみやこ光希みつき。今回わたしは不出場なので、ここにもう一人誰かが入ることになります」


 突然の発表に部員たちが色めき立つ。次第に大きくなるざわめきを土田の声が遮った。


「どういうことだよ不出場って。そういうの勝手に決めるか普通?」

「今言った通り。わたしは今回団体戦には出ないことにしましたが、コーチの許可は取ってあります。個人戦は普通に参加するから心配しないで」


 まったく答えになっていない。コーチの名前を出すことであらゆる反論を封じた巻幡は、言葉に詰まった土田をよそに静井しずいの前に歩み寄る。


「今回のエースは都、ダブルスはゆかりと組みなさい。もし上手くいかないと思ったらダブルスには出なくてもいい、それなら佐奈に二試合出てもらうから。でも五番手は都がやって」


 戸惑いに頬を引きつらせた静井はここではまだ返事をしない。レギュラー陣が顔を見合わせる中、巻幡の言葉にもっとも驚いていたのは古見こみゆかりだ。

 高校の登録メンバー上限は八人。基本的に団体のオーダーを変えない正藍寺は、優勝を決めた後でも手を抜かずベストメンバーで戦う。浜崎海玲の編入という予想外の出来事こそあったが、ここ数年登録メンバーは一人も替わっていなかった。

 とはいえレギュラーの間にも格差はある。正藍寺の選手として個人戦には出場するものの、団体戦での出番がない部員――ゆかりもこの中の一人だった。


 中学では一時団体にも選ばれていたゆかりだが、一人が二試合に出ることが許される高校ではどうしても団体戦に出場する人数が減ってしまう。

 六人が五人に、あるいは四人に。そこで弾き出されたのがゆかりであり、同じく個人戦にのみ出場しているチームメイトであった。控え部員から見れば贅沢な悩みなのだろうが、ゆかりは以前と変わってしまった自分の立場にやりきれないものを感じてきた。

 一年でレギュラーに入る程度の実力はあっても、団体レギュラーを押しのける自信はない。そんなゆかりにとって、巻幡の提案は願ってもない話だった。もしここで、都とのダブルスで結果を出せたなら、今の立ち位置を覆せる可能性だってある。

 なによりここで自分の名前を挙げてくれたことが嬉しくて、ゆかりはそっと巻幡の横顔を盗み見る。


「じゃあ今日は解散です。残りたい人はどうぞ、消灯までよろしく」


 お疲れ様でした、と声が重なる。練習着のファスナーを下げたゆかりは、鼻歌混じりにラバーの手入れをし始めた。





「お前、さすがにあれはないよ。レギュラー全員の前であんな話してどうすんの? 静井の顔見た? せめて本人呼び出して直接言うとかしろよ」


 苛立たしげに呟いた土田佐奈はタオルでわしわしと顔を拭く。その後もぶつくさと続く土田の文句を聞き流し、巻幡は右手でパウチタイプのゼリー飲料を押し潰した。

 鉄分入りと書かれた栄養補助食品を半分ほど吸い込み、ごくんと嚥下して一息つく。


「逆にみんなに聞かせなくてどうするの、これは正藍寺の話なんだから。わたしと都だけで喋ったところで意味がない」


 頭からタオルをかぶった土田が二、三度頭を振った。おそらく布の向こうには呆れ果てた顔があるのだろう。体育館の片隅に座った巻幡と土田は、ひとつだけ残された台で練習を続ける後輩の姿を見るともなく眺めていた。

 卓球台付近の明かりを残して消灯した体育館は薄暗い。スポットライトのような光の真下で、静井は淡々とサーブを出し続ける。

 台の端での長い静止。指先までぴんと揃えた右手、照明が目に入りそうに高いトス。肘を後ろに引いて上体をひねり、強く足を踏み込むと同時に解き放つ。鋭く右に切れていく横回転のサーブを、静井は毎日一心に磨いている。

 もう何本打っただろうか。自分でピンポン球を拾いに歩き、再びかごに中身を開けてはサーブ練習を再開する静井の目に、終わりを待つ先輩の姿は入っていないらしかった。

 土田は時計に目をやると舌打ちする。今日の自主練習はやけに長い。


「で、お前は何が不満なの? 静井は十分強いのに、ここで試すような真似して何になるんだよ。おかげであいつ妙なスイッチ入ってるし」

「試す? そんなつもりじゃないけど。わたしはただ、プレッシャーがかかる場面で都を平原ひらはらせいと当てたいだけ。都! ちょっとこっちに来て。片付けが終わってからでいい」

「わかりました」


 巻幡の呼びかけに静井がまとめた髪をほどく。先ほどまでの熱意はどこへやら、巻幡が声をかけた途端網を手にしてボールを拾い始める後輩の従順さに、土田はいつも薄ら寒いものを感じてしまう。


「平原と当てたい、って……うちと花ノ谷かのやが五番まで回るか? ダブルスはまだしも、平原抜きで二勝はきついんじゃ」

井浦いうらもえがいるでしょう、花ノ谷には」


 最終ゲームまでもつれこんだ中学での試合を思い出し、土田が苦い顔になる。

 平原誓と井浦萌とは厄介な選手が揃ったものだ。以前の花ノ谷は三年中心のオーダーだったが、上級生になった二人を使わない手はないだろう。井浦の特殊なプレースタイルには正藍寺も手を焼いていて、初対戦で敗れた光希はいまだに異質への苦手意識を持っている。

 今のレギュラー陣でもっとも分がいいのは浜崎だろうが、なにせ正藍寺は最初から他校にオーダーを晒しているのだ。花ノ谷がわざわざ浜崎に井浦を当ててくるとは考えづらい。


「なるほどね。落とすとしたら、井浦のところと――」


 ダブルスか、と言おうとして、土田がはっと巻幡を見る。個人戦で巻幡とダブルスを組んでいるのは静井で、団体戦でもそのペアが起用されることが多い。その場合巻幡と静井が二試合に出場し、団体メンバーは総勢四人となるわけだが――巻幡を欠くというのは、チーム最強のダブルスを失うということでもある。

 静井もダブルスがうまい選手だが、古見ゆかりと組んだところで巻幡とのペアよりは数段落ちるだろう。


「あのさ唯、まさかとは思うけど、お前五番手まで回したくて団体に出ないとか言ってんの? 本気か?」

「だからさっきもそう言ったのに。わたしは都を平原に当てたいんだって。もちろん、そううまく花ノ谷が勝ってくれるかはわからないけど」


 巻幡に悪びれる素振りはなく、それどころか仲間の物分かりの悪さを咎めるように手を腰に当てている。巻幡の奇行には慣れている土田だが、それでも気が遠くなる思いがした。


「それ古見には絶対言うなよ、あいつ普通に喜んでたし」

「どうして? 別にゆかりを傷つけようと思ったわけじゃない。最近あまり練習に集中できてなかったから、一度団体メンバーに選んでみたらまたやる気が出るんじゃないかと思ったの。それに、ゆかりに出てもらったほうが花ノ谷との試合で競る可能性も高くなる」

「お前は本当に人の心がないな」


 それを利用と言わずして何と言うのだ。球拾いを終えた静井が台を片付ける傍ら、土田はため息混じりに高い天井を見上げる。

 正藍寺を強くするため――二言目にはまじめくさってこう言い切る巻幡だが、やることなすことの大概はろくでもない。それでいて部員には慕われているのだからわからないものである。

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