藍より出でて②
それにしても、あの試合に背中を押されて
「でも、菫あれ違うと思うんだよね。
「……何が違うんですか?」
思いがけない論の展開に目を丸くした美景は、ややあってゆっくりと問いかけた。菫の口にしたことがしばし理解できなかったのは美景がひとり感慨にふけっていたためではなく、その見解があまりに突拍子もないものだったからだ。
どう言ったらいいかな、と左右に首を傾げ、菫はサイドテールの結び目に触れる。
「林ちゃん、前に正藍寺はレギュラーと控えで分かれて練習するって言ってたよね。レギュラーに左利きって何人いた?」
「そうですね、静井さん以外だと……ダブルスに一人。それからカットマンも」
ふうん、とひとつ相槌を打った菫の目が美景を捉えた。試合でもそうだったが、普段のゆるい雰囲気とかけ離れた視線の鋭さに美景は毎度まごついてしまう。
「じゃあさ、静井さんがその二人にもカーブドライブ打ってたかどうか覚えてる?」
美景はあっと口を押さえた。静井が左利きのチームメイト相手にどんな試合をしていたかは覚えていないが、ここまで聞けば菫の意図は明白だった。なぜ今まで気付かなかったのだろう。美景は興奮を隠しきれず両手を床についた。
「左利き同士だと、あのドライブが牽制にならない!」
静井はフォアでしかカーブドライブを打たない。左利きの静井がクロス方向にフォアを打つと、ボールは卓球台の左側から左側を――つまり、右利きのバック側を通る。
利き手が同じ二人は自然にクロスを打ち合うことができるが、右利きと左利きの選手ではそうはいかない。右と左の対戦は、基本的にこのミスマッチを意識しながら行われることになる。
静井のカーブドライブは右利きの選手がフォアで打とうと回り込んだところに打つからこそ強いのだ。どれだけ余裕を持って動いても自分に近付いてくるボールを満足な体勢で打ち切るのは難しく、これを一本打たれるだけで思い切って回り込む選択肢を取りづらくなる。
しかしこれが左利き同士のラリーだと、静井のドライブはフォア側に逃げていくボールになる。逆を突くことはできるかもしれないが、右利きを相手にした時のように体に食い込む一打にはならない。それどころか飛びついて返球される可能性すらあった。
「だから、細かく言うと『右の速攻キラー』だよ。あれで回り込みが止められるのは右だけだし、菫がそこそこやれたのは粒だからでしょ」
今度こそ納得した美景は小さく息をついた。静井が速攻に強い理由の一つはあのカーブドライブで回り込みを封じられるところにある。
速攻の側は攻撃の選択肢を狭められ、静井のほうは相手の手札が減る分だけ守りやすくなるのだ。右利きの菫が善戦できたのは、本人の言う通り
言われてみれば正藍寺には近い学年に左の速攻がいなかった。控えにはいたかもしれないが、静井なら実力差のある相手には地力で勝つに決まっている。
しかし、もしそれが実力の伯仲した選手であればどうだろう。速攻と言わずとも、静井の多彩な攻めを捌いて前に出られる左利きの攻撃型であれば。美景には一人だけ心当たりがある。
「……菫さんは、勝てると思いますか?」
「え? なにが? ……あー、もしかして平原さんのこと言ってる?」
誰が、とは言わずとも通じると思った。もしかしたら最初からそれが言いたくてこの話を始めたのかもしれないとさえ思ったが、さすがに美景の邪推だったようだ。瞬時に美景の考えを察した菫はつまらなそうにバック面の粒を指で押し潰している。
「そりゃ勝てるでしょ。でも静井さんとは当たらないと思う。正藍寺って最初の試合でオーダーばらしちゃうんでしょ? なら
美景の口からああ、と絶望的な声が漏れた。平原誓は相手のエースとしか試合をしない。それが勝てる相手でも負けが予想される相手でも等しくだ。これは平原が団体線に出るうえで譲れない条件なのだそうだが、こと正藍寺相手となると傍迷惑としか思えない。たとえ平原でも巻幡と当たってしまえば勝ち目はないのだ。
静井都に勝てる選手は全県を見渡しても数人いるかどうかだが、平原誓なら本当に勝てるのかもしれない。にも関わらず平原は、負けるとわかっている巻幡としか試合をしたくないと言う――花ノ谷には平原のほかに静井に勝てる選手などいないのに。
これはもはや自分本位な我儘ではなかろうか。美景には、菫が平然と平原の言い分を認めるのが信じられない。
「どうしても変えてくれないんでしょうか、その、エースとしか戦わないっていうのは」
「無理無理。だってあの人団体戦のこと個人戦のための実践練習としか思ってないもん」
「菫さんはそれでいいんですか?」
「別にいいけど。みんな自分のために卓球やってるんだから、監督とかならまだしも他人が口出す権利なんかないんじゃん? 菫だっていちいち面倒なこと言われたくないし」
縋るように同意を求めてみたがすげなくあしらわれてしまった。
「菫さんは、もっと団体戦にこだわりがあるのかと思ってました」
「あはは、失望した? でもさ、団体戦で絶対勝ちたいとか勝敗はどうでもいいとか、そういうのも人の勝手だよ。花ノ谷に思い入れとかさらさらないし、菫はどっちかっていうとどうでもいい寄りだけど――だからってわざとひどい試合をしようとか、そういう趣味は全然ない。どうにかして味方の足を引っ張ってやる~、とまでは思わない」
やや極端な話だが、美景は首を縦に振らざるを得ない。勝敗という次元において意欲の程度など関係ない。試合にかける気持ちがどうであれ、記録に残るのは明白な結果だけだ。
自分が持てる力すべてを発揮しているなら、それは選手としてなんら問題のない行動と言えるのかもしれない。平原の団体戦での貢献度は美景も認めているが、それでも飲み込みきれない不満が残った。
「平原さんだってそうじゃん――わざと負けたり手を抜いたりはしないでしょ、あの人。さっき個人戦の練習とか言ったけど毎回勝つ気でやってると思うしさ。それなら別に、どこが悪いとか直せとか言おうとは思わないけど。菫はね」
林ちゃんがむかつくならむかつくでいいんじゃない、と続けた菫は、跳ねるような足取りで立ち上がった。
「そろそろ戻ろ。休憩終わってるかもしんない」
「そうですね」
どれだけ長く話していただろうか。数分に過ぎないのであろう時間がその何倍にも感じられるほど、美景にとっては価値のある会話だった。静井のプレースタイルのこと、それから団体戦での平原のこと――けれど何より、自分が菫の試合を見てどう思ったかを本人に伝えられただけでずいぶん気が楽になった。
新人戦まであと一ヶ月。正藍寺との対戦が、すぐそこまで近づいていた。
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