やはり野に置け蓮華草⑥

 立ち上がった足が荷物の重みによろめく。試合数と室温に容赦なく体力を削られた菫はもはやこの有様だが、昼食を挟んですぐ二次リーグが始まる。

 エナメルを引きずって体育館を出たすみれはぐるんと右肩を回し、廊下に張り出された組み合わせ表を確認した。


「I2……あ、あった」


 Aリーグ、第四組。F組とG組の一位、そしてI組とJ組の二位。この計四人でリーグ戦を行うらしい。また強い選手と試合ができる。軽く拳を握った菫は、F1の欄に書き込まれた名前にあっと声を上げる。


「わ、スミちゃんも四組でしたか。立派立派、巻幡まきはたのいる組で二位っていうのは実質一位と同じだからね!」


 聞き慣れた声が真横から。ぱしぱしと背中を叩かれ、菫は裏返った声でどうも、と答える。F組一位、井浦いうらもえ。部活でこそ毎日顔を合わせているが公式戦で当たるのは久しぶりだ。


「お手柔らかにね~。じゃ、早く何か食べちゃいなね」

「あ、ちょっとだけいいですか。歩きながらでいいので」


 あと一時間ほどすれば試合が始まる。応援席に戻ろうとする部長を慌てて呼び止めた菫は、荷物を抱えてどうにか井浦に追いついた。


「菫、基本的にフォアで打つまでのつなぎって感じで粒高つぶだか使ってるじゃないですか。でもやっぱり、粒でもちょっとは攻撃できたほうがいいんですかね」

「どしたの急に。今日の試合でなにか思うことでも――ああ! もしかして、巻幡にバック狙われたんだ?」


 一発で意図が伝わった感動のあまり階段の手すりを掴む手に力が入る。なんて話が早いのだろう。菫は無邪気に目を輝かせて先輩を見つめる。


「そうです! 世界中の人が井浦さんくらい察しがよかったらいいのにって今思いました」

「あはは、それはちょっと気持ち悪くない? でもうーん、そうだなあ。スミちゃんの場合、相手が粒の対処をミスして浮いたボールを打つとか、そういうパターンはあっても粒で点を取ることってないよね。スミちゃんの粒高はあくまでフォアを生かすためのもので、それ自体に怖さはないしねえ……」


 井浦が顎に指を当てる。粒高で攻めることができればラリーで優位に立てる場面が増えるかもしれない。そう考えて中学時代にも何度か練習してみたものの、結局途中で辞めてしまった。

 粒高というラバーの特性上、強い変化を出すためにスポンジを薄くする選手が多い。例に漏れず菫もそうしているわけだが、これには大きなデメリットがある。薄いスポンジではボールが飛ばず、強く打ってもろくにスピードが出ないのだ。

 ましてイレギュラーが起こりやすい粒高はコントロールが難しい。裏ソフトと同じ感覚で打つだけでは相手のコートに入れることもできず、攻撃するには粒高特有の打ち方を習得せねばならなかった。


「まあ、そりゃあ粒でも点が取れたら楽だろうけど……あたしはペンだからフォームもあんまり参考にならないだろうし、そこはスミちゃんが自力でどうにかするしかないかな。ただ、いきなり強打は難しいと思うから、相手を崩す程度のボールでいいんじゃない? 攻撃じゃなくても、ある程度ペースを崩せれば」

「ですよね。菫はどうやってもフォア主体ですし、粒高で強打するメリットがあんまりないと思うんですよ。回り込めるならフォアで打つほうが確実だし」

「うん。やっぱりスミちゃんは速攻だからね」


 井浦の提案は菫自身の考えともおおよそ一致していた。菫の点の取り方はあくまでフォアを振ることにある。菫は速攻というプレースタイルが気に入っているし、自分の性に合っているとも思っている。

 対戦相手も速攻との試合となるとこちらに先手を取らせないよう短いボールをつないでくるわけだが、その上で相手にいかに先行するか。菫が考えなければならないのはその一点だけだ。


 普段なら迷わず強打する高さの、回り込むには躊躇するコースをふわりと突いたボール。わざわざバック側にチャンスボールを上げてきた巻幡は、別段菫に粒高のスマッシュを覚えろと言いたかったわけではないだろう。

 フォアで打つのが困難な場合、粒高でどう対処するのか――巻幡相手に普通の返球で通用するわけもなく、そこから続け様に得点を奪われた。けれどこれは、巻幡との試合に限らず今後の対戦でも起こり得ることなのだ。ただ返すだけでは異質ラバーを使いこなしているとは言えない。

 3ゲームの間に様々な選択肢が消えていった。やみくもに粒高を振っても精度の高いボールが返せるわけもなく、無理矢理フォアで打とうと回り込んでも窮屈になって打ち切れない。自分から変化をつけようと試みた菫は、何度も失敗を繰り返した末ようやく狙い通りのコースに打つことができた。


 ラケットの面を直角に。深く膝を使ってたたんだ肘を伸ばし、ほとんど真横に擦るようにしてストレートに落としたボールは、ネットすれすれに弾んで台の横へと落ちていく。

 やった、と思った時には巻幡がひゅんと右腕を振り上げていた。ラケットが床につくほど低い打点。ネットの外から飛んできたドライブは、ワンバウンドした直後菫のラケットを避けるようにぐにゃりと曲がる。

 なんて返球だろう。しばし白い残像に見とれていた菫は、これが試合中だということを思い出し慌ててピンポン球を拾いに走る。


 そこで見上げた巻幡唯は、こちらを見て満足げに笑っていた。よくできました、と唇が動いて、瞠目した菫はその場で小さく会釈した。

 取るに足らない他校の選手に課題を見つけさせ、たった数十分の試合の中で一応の解決らしきものに辿り着かせる。全然違う、と思った。

 選手としての格が違う、なんてわかりきったことを言いたいのではない。試合というものを何に使うか。その日の調子の確認、苦手なプレーの練習、単なる強さの誇示。巻幡の視点はそのどれでもなく、なんなら本人のほうを向いてすらいない。

 格下相手との試合を対戦相手のために使ってしまうなんて、菫にはさっぱり意味がわからない。わからないが、そのスケールの大きさに驚嘆するほかなかった。

 懇切丁寧な授業を終えた菫はようやく理解する。正藍寺しょうらんじのエースとはあれほど強いものなのだ。同格の相手との試合になればようやく本気を出すのだろうが、巻幡の全力がどの程度なのかも掴ませてもらえなかった。まったくもって底知れない。


「林ちゃんが脅かすからどんな人かと思ってたんですけど、巻幡さんってすっごい親切なんですね。平原さんより強いって言うから、てっきり鬼か悪魔みたいな人だとばっかり……菫変なこと言いました?」


 先輩らしい余裕を持って話を聞いてくれていた井浦は一転、見るからにこちらの良識を疑う、という風な――フランクに言うならどん引き、という感じの顔をしていて、菫ははたと我に返る。

 普通に話しているつもりが相手の機嫌を損ねるというケースは菫に限ってよくあることだが、どうやら今回は怒らせたわけではないらしい。すぐに平常の闊達さに立ち戻った井浦は、一筋頬に落ちた髪を耳にかけた。


「や、ちょっとびっくりしただけ。これがセイちゃんを先輩に持っても辞めない子のメンタリティか~、って。あれねえ、普通みんなは弱い相手をおちょくってるって受け取るし、巻幡ってわりと極悪非道みたいに言われてますから。普通に勝てるのにわざわざ格下の弱点を狙い続けるわけだから、それこそ鬼か悪魔かって感じでしょ? 巻幡を親切って言う子初めて見たよ」


 菫はむうと唸った。実際、巻幡のすることを悪く言えばそうなるだろう。何も間違ってはいないが、その捉え方は卑屈が過ぎるのではないか。


七江ななえちゃん……下西七江は、むかつくけどためになった、って言ってましたね。まず八倶坂やくさかって、初心者が試合に出て上級生と当てられるのがスタートだったので、格上の選手にぼこぼこにされ慣れてるっていうか」

「なるほどね。ま、身内にセイちゃんがいたらそうもなるか」


 納得したらしい井浦がからりと笑う。結局応援席まで井浦と連れ立って歩いた菫は、自分の席に座るが早いかチョコレートバーの封を切った。いつにもまして不安げに瞳をあちこちにさまよわせた末、美景みかげが小さな声で話しかけてくる。


「あの、菫さん、大丈夫でしたか」


 その口調は本心からチームメイトを慮ったもので、菫は少しだけおかしくなる。自分よりずっと高い実力を持った美景がこれだけ恐れている相手を、数年前まで初心者だった自分のほうは善意に溢れた人としか思えないのだから。


「うん、平原さんより優しかったよ」


 そう答えると、案の定美景は不思議そうに口を開けた。糖分の塊を咀嚼して、菫はしみじみと考える。なるほど、たしかに自分たちはそもそもの基準が偏っているようだ。

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