やはり野に置け蓮華草③

 体育館までの道のりは相変わらずの長さだったが、決して永久に続いているわけではない。長い自主休部についてどんな弁解をするかも決まらないうちに目的地に着いてしまったが、すみれは迷うことなく全身の力で扉を引いた。

 言い訳は得意だ。軽い気持ちで更衣室に乗り込んだ菫が見たものは、憎々しげに一枚の紙切れを凝視する鞠佳まりかの姿だった。


「あ、菫ちゃん! ほんとに来てくれたんですね!」

「え? ああ、うん。おひさしぶりです」


 声を弾ませたあさひに手を握られ、菫は反射的に頭を下げる。歓迎を受けつつ室内に入ると、鞠佳が見ていたものが今日配られた期末テストの順位表だとわかった。


「いいわよねあんたは、どうせ順位の心配なんかしたことないんでしょ」

「そんなに結果悪かったの? いいじゃん別に、次頑張れば」


 地を這うような鞠佳の声を菫が軽くあしらうと、今度は美景みかげが補足する。


「鞠佳さん、成績によっては部活に来られなくなるかもしれないそうなんです」


 両親の反対で部活を辞める生徒がいるとは聞くが、その主な原因は成績らしい。事の重大さを把握した菫は、段ボールに腰掛け両手で顔を覆う鞠佳に初めて同情を寄せた。


瀬尾せおちゃん部活辞めちゃうの?」

「親がうるさいのよ。次回のテストで、順位が学年の半分以下だったら危ないらしいわ」

「え、それおかしくない? 瀬尾ちゃんD組じゃないっけ」


 そうだけど、と答えた鞠佳になぜそんなことを聞くのかと言いたげな目を向けられ、菫は淡々と持論を展開する。


「条件設定がおかしいじゃん。この学年ってF組までなんだから、入学した時点で半分以下なのに」

「あんたねえ、自分が成績いいからって人を馬鹿にして――ちょっと薫子、何あんたまでなるほどって顔してんのよ!」

「いや、確かに、と思って……」

「いい加減にしなさいよね! こっちは本気で悩んでるのにどいつもこいつも!」

「馬鹿になんかしてないってば、基準が変だと思っただけだもん」


 ここで火に油を注ぐわけにはいかない。どうどうと鞠佳をなだめながら、菫は絶対に自分の順位を言うまいと決意した。ポケットに入れた成績表を鞠佳の目に入れないよう注意する必要がありそうだ。


「わたし、お二人の仲がよくわかりません」

「あたしも」


 復帰早々元気に言い合う菫と鞠佳をチームメイトが遠巻きに眺めている。美景と旭はずいぶんと例の口論を重く捉えていたようだが、鞠佳も二人が思うほどしつこくはない。言うだけ言って気が晴れたところもあるのか、自然に突っかかってきてくれて助かった。

 ややあって体育館にやって来た井浦は、菫の姿を認めて満足げに笑った。


「よかったよかった、心配してたよ。やー、セイちゃんもたまには先輩っぽいことするんだね! 今日は来るって聞いてたけど、あんまり信じてなかったや」

「はい。ご心配おかけしました」


 ようやくきちんと謝る機会を得た菫はぺこんと頭を下げる。遅れて平原も合流し、無事七人が揃うこととなった。以前と変わらないメニューをこなし、休憩時間を利用して井浦が全員を呼び集める。


「じゃ、久々にみんな集まったことだし選考会の話でもしておきますか。中学にはなかったけど、毎年新人戦前に行われる大会です。ほら、二年は前の年の成績が残ってるけど、一年はまだ大会に出てない子もいるわけだから。シードを決めるための材料がないわけよ」


 そのため一、二年生全体での上位選手を決める必要がある――順当なやりかただ。昨年優勝したという巻幡まきはたゆいのように、一年のうちからシードに入る力を持った選手もいるだろう。今年なら静井しずいみやこあたりは平気で上位に食い込みそうだ。

 選考会ではインターハイ予選同様シングルスのリーグ戦を行い、出場選手に順位をつける。上位八人がそのまま個人戦のシードに入るわけだが、団体戦はと言うと各高校内で上位二人の順位を足し、その合計が少ない順にシードを決定するのだという。


「じゃあダブルスはダブルスで総当たりになるんですか」

「いや? 地区大会は予選リーグからだし、ダブルスのシードは決めないんだと思うけど」


 何気ない質問によくわからない回答が与えられ、菫がぱっと真横を向く。平原はちらりとも後輩のほうを見ず、それが何か? という顔で取り澄ましていた。


「もしかして、次の大会ってダブルスの試合はなかったりします?」

「……うん、シングルスだけ」


 早くも事情を察したらしい井浦が口元を震わせる。しばし現状の理解を拒んでいた菫は過不足ない井浦の説明を反芻し、とうとうじとりとした目で平原を睨んだ。


「先輩人のこと騙しましたね」

「ダブルスを真剣にやってほしいとは言った。『シード選考会で』とは一言も言ってない」

「そういうの詭弁って言うんですよ、新人戦までダブルスやらないなら別に今から部活に出なくてもよかったじゃないですか!」


 さらりと言ってのける平原に再び菫が食ってかかった。まあまあ、と間に入った井浦はどうにか笑いを噛み殺している。


「ほら、そろそろ戻った戻った。休憩終わり~!」


 井浦が手を叩くとほぼ同時にストップウォッチが鳴り、部員たちが卓球台へと戻っていく。自分が早合点をしたのは事実だが、依然として恨み言のひとつでも言いたい気分だった。

 頬を膨らませたままボールを高く投げ上げた菫は深い位置に上回転のサーブを出す。それを鞠佳がカットで返す――時に短いツッツキや粒高でのストップを交えて鞠佳を前後に揺さぶりながら、菫は淡々とドライブを打つ。


 自分とペアを組んだからにはダブルスで結果を出せ。筋が通っていると思った。菫は平原の主張に納得し、きたる大会までにコンディションを戻そうと早めに復帰したのだ。

 しかし来月のシード選考会ではダブルスのトーナメントがないという。新人戦までは二ヶ月近く間がある。これは練習を積むには十分な時間だ。ペア決めを行った後に練習期間を設けたのはダブルス経験がない部員のためであって、一通り基礎を学んだ今はシングルス中心の練習メニューに戻ったということなのだろう。

 であれば、なにもシード選考会に合わせて自分を追い込む必要などないではないか。むくれる菫に、鞠佳が呆れ顔で声をかけた。


「あんたって成績のわりに馬鹿よね。っていうか、さっきからダブルス云々言ってるけど自分の順位はどうでもいいわけ」

「あんまり。シードになっても本番で負けたら意味なくない?」

「そりゃそうだけど」


 極論じみた物言いに鼻白んだ鞠佳は、言い返すかわりに甘く入ったドライブをぱちんと打ち返した。やはり十日間のブランクは無視できないもので、遠くのボールに追いつくための一歩が出ない。

 足からボールに追いつくこと。中学時代に叩き込まれた基礎はすでに無意識のレベルに位置していたが、今日ばかりは意識して丁寧なフットワークを心がけた。

 練習が終わる頃にはそれなりに息が上がっていて、ひょろひょろとした足取りで階段を上った菫は、私物と備品が散乱した更衣室の床にばったりと倒れ込む。


「スミちゃんはずいぶんお疲れだねえ」

「おかげさまで……」

「菫ちゃん、そこにいると踏みそうで危ないかも」


 すかさず旭に注意され、菫は靴から遠ざかるように隅のほうへと転がった。この暑さでは制服の下に練習着を着ておくわけにもいかず、冬には体育館でさっさと着替えを済ませていた平原も夏は更衣室を使わざるを得ないようだ。

 三年が引退して以降は全員で片付けを行っていることもあり、更衣室の人口密度は以前よりぐっと高くなっていた。

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