やはり野に置け蓮華草②
「シード選考会の話ですよね。いつでしたっけ」
「来月の第二土曜と日曜。あと一ヶ月切ってるけど、どうする気?」
やはり想像通りの用件だった。ダブルスを組むことになった手前、平原には練習に出ないパートナーを糾弾する権利がある。とはいえ、そう言う平原も無遅刻無欠席で部活に出てくるようなタイプではないのだけれど。
「大会前にはちゃんと戻ります。夏休みが始まるあたりには。瀬尾ちゃん的には戻ってこないほうがいいかもですけど」
「そんなこと気にする性格だった? 中学の時なんてもっとひどかったのに」
容赦のない評価だ。
言いたいことがあれば遠慮なく、上手くなるためと思えば辛辣な言い合いも辞さない。それにしても八倶坂は気の強い部員ばかりだったもので、
「なんか、諦めたんですよ。あれ以上言っても意味ないなと思って。
勝ち進むたびに気が引けて、闘志を向けられるほど冷めていく人間の気持ちなど、きっと鞠佳は理解したくもないだろう。菫はただ、人の上に立ちたくないのだ。それはつまり積極的に勝利を望まないということで、一点をもぎとる貪欲さに欠けているということでもあった。
勝敗に責任が伴う団体戦ならともかく、負うものが何もない個人戦において菫は一切結果にこだわらない。試合そのものが楽しければそれでいい。自分の正しさを証明することを、そのために不特定多数の誰かに勝つことを動機とする鞠佳に、そもそも勝敗に重きを置かない菫のスタンスが通じようわけもなかった。
「進藤さんも悔しくないわけじゃないでしょ。田宮に負けて泣いてた」
嫌な話を蒸し返されて、菫はえへへと口元だけで笑った。この先輩は厄介な人で、先輩らしい行いをする気はさらさらないくせによく周りを見ている。事実菫は中学時代に一度泣いた。あれは、一年の新人戦でのことだった。
元を辿れば、菫が卓球部に入ったのは人数不足を憂う当時の部長に泣きつかれたのがきっかけだ。八倶坂中では部活加入が義務づけられていたこともあり、女子卓球部には七人の新入部員が加わることとなった。
そのうち経験者は二名。二年生が二人しかいなかった八倶坂は、卓球を始めて間もない一年生を団体メンバーに選ばざるを得ない。
来る日も来る日も顧問に鍛えられてどうにか格好がつくようになったとはいえ、寄せ集めのメンバーで大会に挑む八倶坂が上級生主体のチームに敵うはずもなく、園部にはまったく歯が立たなかった。しかし思いがけないことに、田宮東中との試合は五番手まで回る接戦になったのだった。
平原がエース対決を制し、続く菫が二年生に負けた。ダブルスは取ったものの四試合目を落とし、二勝二敗でもつれこんだ五試合目は一年同士の対決となる。結局は田宮東が順当に試合を制し、八倶坂は惜しくも三位に終わった。
そこまで競るとは思ってもみなかった。初めての大会で二位を目指そうなんておこがましいことは考えていなかった――そのはずだった。なのに、誰もが泣き出していた。
なりゆきで卓球を始めた同級生が、五番手で負けた部員が人目もはばからず顔を覆っている。平原は表情の読み取れない目で、値踏みでもするように後輩たちを見つめていた。
菫は自分の涙を不思議に思った。こういうのは必死に部活に打ち込んできた三年だとか、あと一歩で優勝を逃した選手だとか、そんな人に特有の感情なのだと決めつけていたから。なのに、卓球を始めて一年も経たない自分がわあわあ泣いている。負けて当然の試合に負けた。それだけのことをこんなにも悔しく思う自分が不思議でたまらなかった。
二番手を任された菫は1-3で負けた。上級生から1ゲーム取れただけ上出来だと思っていたのに、試合後に残ったのは後悔だけだ。菫は自分の無力を呪った。たかが半年。しかしその半年で、ラケットの持ち方も知らなかった菫は二年からゲームを奪えるようになっていたのだ。
だというのに初心者だからと言い訳して、敗北を正当化して、何の責任も感じないまま試合に出て、そのくせ泣くほど後悔している。ずるいと思った。これなら十分やれるとわかった途端にけろりと立場を変えた自分の都合のよさが気に入らなかった。実力以前に、結局のところ菫は本気で試合に臨んでいなかったのだ。
この試合は流されるまま部活に入った一年の意識を変え、八倶坂はその翌年に田宮東を破る。そして平原の引退後、園部を破った八倶坂は初の地区大会優勝を果たした。
たしかに菫は鞠佳に勝った。そして八倶坂は園部を破って優勝した。鞠佳のほうは八倶坂を周りの事情を気にもかけない悪役だとでも思っているのか知らないが、菫だって少しばかりは背景を理解している。
園部の連覇にかかるプレッシャーがさぞ強かったろうとは外野からでも十分想像でき、試合後の様子を見れば鞠佳がどれほどその敗北を重く捉えていたかも伝わらないではない。
でも、それがなんなのだろう。世間では、相手が自分より苦労していたら恭しく勝ちを譲れとでも言うのだろうか。そんな話があるわけもないし、鞠佳だって手を抜かれたかったわけではないはずだ。菫は個人戦と団体戦における自分のスタンスがまったく違うことを承知しているが、それを矛盾とは思わない。
とにかく最後に団体で勝つ。まとまりがないチームのわりに目標だけは一致していた。スポーツとは縁遠かった菫が気力を振り絞って三年間走り抜いたのは、きっとあのチームが嫌いではなかったからだ。その頃の菫は今以上に体力がなかったが、だからといって練習を休もうとは思わなかった。
「個人戦はいいんです全然、勝てなくても。でも菫、八倶坂は好きだったんで。団体はまあ、ちょっとは勝ちたかったんですよ」
「……よくわからない。進藤さんのそれ、責任感みたいなもの?」
片足に体重をかけて立つ平原は気のない様子で制服のリボンを引っ張っている。平原はずっとこうだ。団体戦には興味がないと公言し、相手のエースと対戦することだけを目的に試合に出てはさらりと勝って戻ってくる。
申し分のない結果を残しはするものの、一切チームを顧みず自分の成績にのみこだわる平原に反感を持つ部員は多かった。
つい数分前まで、菫は平原がわざわざ教室まで来たという事実に心底驚いていた。この先輩が誰かのために、相手を思いやった行動をするなどまずありえない。だから菫は考えた。平原が菫を訪ねたのはあくまで自身のためであると仮定すれば理由はおのずと見えてくる。
ダブルスだ。このまま菫が部活に出なければ、ペアを組む平原も次の大会で個人戦のダブルスに出場できないことになる。
しかし、それでもまだ疑問は残る。菫の知る平原ならば、また一悶着起こして組み替えを断行したとておかしくはない。菫が戻って来るのを待たずともパートナーを変えれば問題は解決するのであって(スムーズに事が進むかは疑問だが)、ご丁寧に菫の意思を確かめに来る必要などないのだ。なぜ平原がこんな面倒なことをしたのか。言葉を交わすうち、菫はその答えを掴んだような気がしていた。
「あの、誤解だったらあれですけど……ダブルスの話を出せば戻るって、思ってました?」
語尾がかすれた。菫は割合はっきりと物を言うほうではあるが、こうも図々しいことを自信たっぷりに言い切れるほどうぬぼれてはいない。だって、これで違うと言われたらとんだ勘違い野郎ではないか。
すさまじく居心地が悪い。相も変わらずぴくりとも笑わない先輩は、背を丸めて座る菫を険のある瞳で見下ろした。
「違うの?」
「違いませんけどお」
はいともいいえとも言わなかったが、平原の答えは肯定に等しかった。質問を質問で返される形になった菫は若干の安堵とともに口をとがらせる。
「でもまた喧嘩になると思いますよ。菫、園部の人たちみたいに負けず嫌いじゃないですし。今更ああはなれないし」
「別に変わらなくてもいいんじゃない」
菫はのろのろと顔を上げた。平原が珍しく棘のない言葉を放ったのが意外だったのだ。
「わたしは別に、進藤さんがシングルスに本気じゃなくてもなんとも思わない。団体戦もどうでもいい。ただ、わたしと組むならダブルスは真剣にやって。そうしてくれれば何も言わない」
「ほんとはっきりしてますね、そういうとこ」
潔いほど自己中心的な理屈に、菫は目尻を下げて笑った。自分の役に立ちさえすれば後は何をしても許す、などとよくもまあ面と向かって言えるものだ。ひょっとして助言のひとつでももらえるのかと期待した自分はまだまだこの先輩の身勝手さを甘く見ている、と反省しながら、菫は椅子の上で姿勢を正した。
「でも、はい。わかってます。ちゃんとやるんで」
「いつから?」
「えーっと、じゃあ今日から」
わかった、と短く答えた平原は、言質は取ったと言わんばかりに菫の机に手をかけた。教室を出て行く後ろ姿には余韻というものがまるでなく、ばらばらに跳ねた毛先が空気をはらんで揺れる。
平原の思考はいつも明快だ。横暴にして強引、言いたい放題正論を残して去って行く。苛烈さゆえに孤立を深めていく平原だが、菫は先輩のそういうところがさほど気にならない性質だった。
勝利だけを見据えて磨き抜いた技術をさらに研ぎ澄ませることにご執心な先輩には他の人間に払う気遣いの持ち合わせがないのだから仕方がない。
昼食の時間がことのほか短くなったのを理解し、縞模様の鞄から弁当箱の包みを取り出した菫は、ハンカチの結び目を解きながらぼんやりと考える。
望む望まざるに関わらず、何かに秀でるということは誰かに疎まれるということだ。強い人は浮く。勝てば勝つほど誰かに嫌われる。
だとすれば県で無敗を誇り、全国大会でも上位に食い込むような選手はどれほどの嫉妬と憎悪を向けられているのだろう。
たとえばたとえば
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