桃李もの言わざれど③
「ありがとうございました」
頭を下げた
試合を終えた鞠佳は壁際にずらりと整列したペットボトルとタオルの列から苦労して自分の分を見つけ出した。田宮商業高校の講堂はこの人数で集まれるほどに広いものの、さすがに全員の荷物をステージに置くわけにもいかなかったのだ。
田宮商業と溝端高校、そして花ノ谷の三校合同という形で毎年開催されている練習試合は、総当たりの団体戦に始まって個人戦へと移っている。平原がいないのはいつものこととして、
花ノ谷の人数は下限ぎりぎりの四人で、二点起用が続いた井浦は他校の知り合いを捕まえて堂々と休んでいた。
他校の選手に対戦を申し込む形で行う個人戦ではやろうと思えばほぼエンドレスに試合ができる。積極的に試合をこなしていた鞠佳はラリーの邪魔にならないよう濃茶の壁に寄りかかると、タオルの下から手帳を取り出し、折り曲げた膝を机に新しいページを開く。一試合ごとに細かな記録をつけるのは中学時代からの習慣だった。
ここまでの三試合は二勝一敗。敗れた一試合目のスコアの下に反省と所感を書きつけ、鞠佳は次のページに二試合目の記録を始める。中学時代にも対戦した速攻との試合ではここまでで一番いいプレーができた。
相手の攻撃を止めきれず2ゲーム目を落としたが、3ゲーム目からはカウンターを主体に主導権を取り返すことができた。終盤は前後に振られることが増え、少しでも甘いボールであればドライブで返球するよう心がけた。
このパターンからいくつか得点できたのもよかったと思う。完璧などとは言えないが、自分のペースで試合を運べたのは収穫だ。
バックではカットに専念し、フォアはカットとドライブを織り交ぜる。台上での展開では機を見て仕掛けるが、攻撃型相手に無理に攻めても意味がない。
ドライブを完璧に返されたとして、自分はそこからスマッシュにつなげられるだろうか? 速攻の選手であれば容易いことだろうし、ドライブ型にしても練習してきた形のひとつだろう。しかし鞠佳にはそれを決める自信がない。カットマンは速いテンポで打ち合うことに慣れてはおらず、攻撃に気持ちが傾きすぎての自滅もままあることなのだ。
だから鞠佳は連続攻撃をしない。一度仕掛けて返されたならおとなしくカットに切り替えるか緩いドライブで体勢を整える。
フォアに来た攻撃をドライブで返すことが多いだけに攻撃的カットマンと認識されがちな鞠佳だが、本人にそんな意識はまったくなかった。
鞠佳が返球にドライブを用いるのはフォアカットがそれほど上手くはないからだ。相手のボールを抑えきれないと判断した時、鞠佳の場合カットで返球するより上回転をかけて打ち返すほうが入る確率が高い。
浮いたカットを強打されるより無難に返したほうがいい。鞠佳の多用するフォアドライブは消極的な選択であり、間違っても攻撃的と呼べるものではなかった。
マリちゃんはうちには珍しい正統派だよね――かつて井浦がそう評したように、鞠佳はあくまで平凡なカットマンだ。園部の先輩だった小野寺のように粒高を操り異様に切れたカットができるわけでもなく、正藍寺の青木のように精度と威力を兼ね備えた攻撃を繰り出せるわけでもない。
ただ勝ちたくて勝ちたくて、先にミスをするのが嫌で、一球でも多く打球を返すため確率の高い選択肢を選び続けているだけだ。
それこそ進藤菫にはこんなカウンターではかなわない。去年の団体でもカットしきれず打ち返したボールをいいように狙い打たれ、自分から攻撃できた場面は皆無で――手元でぱきんと音がした。
よほど力が入っていたのか、開いたページに強く押しつけていたシャーペンの芯が折れたのだ。おかげさまで4ゲーム目の得点にいびつな線が引かれてしまった。なんとも見づらいが数字はどうにか読み取れる。鞠佳は黙って六角形のシャーペンを置いた。
認めたくはないが、菫の言う通り自分はよほど当時の負けを根に持っているらしい。書きかけの文面に散った黒粉に息を吹きかけていると、ぽんと頭に手を置かれた。見ると、明るい黄緑のユニフォームを爽やかに着こなした井浦がそこにいる。
「マリちゃん、ちょっと熱くなりすぎ」
井浦の声はいつもの能天気なそれではなく、先輩として部員をたしなめるときの落ち着きはらったものだった。二人分ほど間を空けて鞠佳の横に腰を下ろした井浦はライトブルーのスクイズボトルを口元に運び、前方に両足を投げ出す。
「ここであんま手の内さらしすぎないようにね。次の大会で当たるかもなんだから」
「だから手を抜けって言いたいの」
「そ。抜くところは抜いてもいいんじゃない、という先輩からの提案です」
どう? と尋ねかけられ、鞠佳は間髪入れず言い返した。
「嫌よ、練習試合も試合でしょ。練習だろうが本番だろうが試合は全力でやりたいの。いけない?」
「いけなくはないけど。ま、かといって褒められたことでもないよね」
井浦は基本的に人を叱らない。異なる言い分を聞き入れたうえで大局的な見方を提示する、その寛容な姿勢で周囲から信頼を集めてきた。誰に肩入れするでもなく集団を導いていける井浦はある種類い希なキャプテンシーの持ち主で、中学時代も自然の摂理のごとく部長に推薦されたのだった。
基本的に園部のチームメイトは誰しも井浦を優れた主将と認めており、鞠佳もその例外ではない。しかし鞠佳は今、慣れ親しんだ先輩の物言いに心のもろい部分が鈍く痛むのを感じていた。
鞠佳は大いに戸惑っている。なぜかこのやりとりで井浦に手酷く突き放されたと感じている自分に。
どうしてわかってくれないの――そう言いたかった。ぐっと手帳を握りしめた鞠佳は今更ながら自覚する。要するに鞠佳は、井浦にこの気持ちを否定されたくなかっただけなのだ。
やっとわかった。あたしはこいつに、自分と同じ気持ちでいてほしかったのだ。そう認めるだけで、意識の隅に引っかかるあらゆることに説明がついていく。
菫だけが平原と気兼ねなく喋るのと同様に、自分は他の部員より井浦という人間に詳しいのだと思っていた。
園部中での井浦はそれはもう負けず嫌いで、大事なポイントほど深く深く自分の中に閉じこもっては思考を研ぎ澄ませるタイプの選手であって、鞠佳はその近寄りがたさが好きだった。
勝負事となると普段の軽さを内奥に封じ込め、別人のような怜悧さで相手に立ち向かうのが井浦萌だ。部内リーグ戦で平原との試合を見た自分がショックを受けたのももっともな話だ。
試合中に相手のプレーを褒め、自分の得点で明るくおどける。鞠佳はあれほど集中とはほど遠い様子で、悪く言えば雑に試合をこなす井浦を初めて見た。たとえ非公式の試合でも、あんな風に振る舞う井浦は鞠佳の憧れた井浦ではない。
「でもさあ鞠佳、練習と本番ってやっぱ違うよ」
鞠佳の沈黙をどう受け取ったのか、井浦は水分補給の合間にぽつぽつと言葉を続けた。
「自分がどれだけ本番と近い精神状態を作ったって相手が同じくらい真剣でいてくれるとは限らないし。スミちゃんなんていい例だよね、あの子は絶対本番以外で全力は出さない。練習はあくまで練習だって割り切ってるわけじゃない? だからこういう機会は張り切って普段はやらない戦術を試したりする。たとえば粒高で打ったりとか」
いつもは打たないループドライブを使うとか? 口には出さず先輩の言葉を引き継いで、鞠佳は爪をいじり始めた。そんなことはわかっている。あいつのやりかたにだって理由もメリットもある。
本番で勝つことを一番に考えるなら菫のほうが正しいのかもしれないのだし――少なくとも井浦はそう考えているらしい。けれど自分は菫のプレーが気に入らなくて、昔自分を倒した相手が本気になってくれないのが腹立たしくて、そもそもあの態度がどうしようもなく気に障ったのだ。勝手にあれこれ思い出しては傷ついたのだ。
鞠佳の感情はあくまでもこちら側から見た一面的な事情によるものでしかなく、菫も菫でなにかしらの事情を抱えている。だからああして言い合いになるのも道理なのだと、鞠佳は自分の感情を整理できていた。
それなのにちくちくと棘が刺さったように喉のあたりが締めつけられるのは、気付いてみれば実に安易な理由によるものだった。
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