薫蕕器を同じゅうせず⑤
伏せた上体をぱっと起こし、平原がボールを高く投げ上げる。
極端に高いトスは相手のタイミングを狂わせやすい。ゆったりとしたテンポで繰り出されたサーブを捉えようと、
ダブルスのサーブはコートの右から右へと対角線上に打つことが定められており、センターラインを越えて左側に落ちればアウト扱いになる。始めからコースが決まっている分レシーブは容易になり、シングルスに比べて二球目から攻撃しやすい。そのためネット前に短く落とすサーブが多くなるのだ。
右利き同士のペアはどうしても立ち位置が重なって満足にスイングできない場面が出てくる。これでは本末転倒だが、少しでも早く下がろうと思うあまり手元がおろそかになることも多かった。
前に体重を残して丁寧にレシーブし、薫子は斜め後ろへステップを踏む。基本は時計回りに、大きく左右に振られた時は横にスライドするように入れ替わる。相手を見ながら打球するのにも少しずつ慣れてきたが、まだ習熟とはほど遠い。
体の正面に来るボールはミドルと呼ばれ、フォアとバックのどちらで打つか判断するのが難しい。ペンはシェイクに比べてミドルの処理がしやすいと言われているが、台に近すぎたせいか返球がわずかに浮いてしまった。露骨なチャンスボールというわけではない。しかし、速攻相手に一瞬でも時間を与えてしまえばおしまいだ。
「とっ!」
軽快に回り込んだ
パートナーが次のボールを返してくれるダブルスで打った後の体勢を気にする必要はない。無理にでも打ち切れるのはダブルスならではの利点と言える。薫子と美景はピンポン球を拾いに走った。
「すみません……」
「ううん、今のはわたしが悪い」
薫子は軽く手を上げ、謝る美景を制す。スマッシュは返せなかった人より打たせた人が悪い――えみりの言った通りだ。早く動こうと意識するあまり、前に出すぎたところを利用されてしまった。それにしても、平原がチャンスメイクを狙うとは。
一人で決めに行くのではなく、コース選択で相手を崩して菫に打たせる。平原主体のペアと思いきや、意外なことにダブルスらしい組み立てで決める場面も多かった。あくまで練習ではあるが、平原たちはすでに幅広い点の取り方ができている。
一方薫子と美景にはまだ具体的なイメージがない。来たボールをただ返し、ただパートナーの動きを見ているだけで、点を取るパターンが見えてこなかった。
平原が二本目のサーブに入る。今度は投げ上げではなく低く鋭い横回転だ。短く息を吐いた薫子はバウンドにリズムを合わせ、台の外に出たボールを思い切り擦り上げる。曲げていったドライブを菫が打ち返すがやや甘い。
余裕を持って前に出た美景がラケットを振り抜く。決まった、と薫子が確信した時、平原が半身で構えるのが見えた――ブロックだ。
コースを読んだとしか思えない位置に立った平原が美景のスマッシュを体の前で捌く。ラケットをかすかに上に動かして衝撃を和らげる見本通りのバックブロック。
速度を殺されたボールがことんと台に落ち、ラケットを振った姿勢で固まった美景の体に当たる。台の近くに残った美景めがけて打たれては、後ろで構える薫子にはどうしようもない。
「ナイスコースです。あとさっきのは菫の返球が微妙でした」
「わかってるなら直して」
「は~い……」
瞬時にコースを読み切り、至近距離からのスマッシュを完全にコントロールして返す。意味のわからない技術を見せられた薫子たちが黙り込むのをよそに、菫は淡々と先輩のプレーを讃えていた。中学からの後輩にすればこの程度は見慣れたものなのだろう。
平原の手が台から転がり落ちたピンポン球を拾い上げる。次にサーブを打つ薫子へとそれを投げようとした平原は、思い直したように途中で手を止めた。
「林さん、いつから卓球やってるの。練習は週に何回?」
「……一応、一年生からです。練習は週二でした」
不意に競技歴を問われ、美景がびくついた声で答える。後輩が警戒心をあらわにするのも気にせず、平原はくるりとラケットを回した。
「わたしも小一から、練習の回数もそのくらい。だけど、年数の長さがそこまで有利にならないことは林さんももうわかってるんじゃないの」
「あのー、これ何の話ですか?」
菫がさりげなく止めに入るが、平原はなおも美景から目を離さない。
「努力の差なんてすぐ詰められる。中学から始めた人を初心者って言うけど、部活は毎日あるんだから。経験者が週に何度かやってた練習を毎日続けていくわけでしょ、部活って。まともな顧問がいれば初心者も三年で十分成長する。当然個人差はあるけど――小学校までのアドバンテージは絶対的なものじゃない」
薫子は諾々と先輩の声を聞いていた。小五からの経験者と言っても、自分の二年間はあっという間に埋められる程度のリードだったのだ。美景に向けたはずの言葉は隣に立っていた薫子にも突き刺さった。
平原の指摘はまったくもって明快で、だからこそ薫子を納得させた。けれど美景には、これを正論と認めること自体がショックなのかもしれない。
一口に小学校からの練習量と言っても、美景と自分とでは卓球に懸けてきた思いがあまりにも違う。近所に教室があったというだけの理由でラケットを握っていた自分と、正藍寺に入るほどの選手だった美景の意欲が同等であろうはずもない。
その努力を一言のもとに切り捨てられるのは受け入れがたいことなのではないか。薫子が何の反発も覚えずに頷いてしまうのは、自分の努力がさほどのものではないとわかっているからだった。
「林さんの場合は特にそう。歴が長ければ経験値も多いはずなのに読みも判断も遅い。速攻にしては打ち切るかどうかの判断が悪すぎるけど、それはもともと? それともメンタルの問題? 今まで誰からも注意されなかったの? それに――」
「はいはいそこまで! 終わり! 部長の命によりストップです」
飛び出してきた
「後輩への助言はいいことだけど、にしてもセイちゃんはものの言い方っていうのを考えたほうがいいよね。そのへん学習してこ? 人間日々成長だよ」
「わたしは事実しか言ってないけど」
「直す気ないな~! じゃあミカちゃんたち、あたしたちと交代ね。休憩入れてもいいよ」
薫子はこくんと頷く。本来なら交代まではあと何分か猶予があるはずだが、美景を一人にするのが先決だと判断したのだろう。こういった井浦の細やかさは実に部長向きだとは思うのだが、世の中には気を遣われるほど肩身の狭い思いをする厄介な人間も存在する。それこそ薫子がそういう性格で――おそらくは、美景も同じなのではないか。何度も頭を下げた美景は逃げるような足取りで体育館を出て行った。
「あーあ、なんかルコちゃんに押しつけるっぽくなっちゃった。ごめんね?」
「いえ、別に」
よろしくねえ、と背中越しに声をかけられながら、薫子は美景の後を追った。春先は行き来するのに肌寒かった外廊下は、この時期にはむしろ気持ちのいい場所に変わっていた。
目の粗いコンクリートに自分の影が長く伸びる。もうひとつの影は、部室棟のそばに備え付けられた水飲み場から伸びていた。
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