薫蕕器を同じゅうせず⑥
くすんだタイルに水の跳ねる音がする。
「林さん」
後ろから呼びかけると、ややあって水音が止む。
「――言われちゃいました」
蛇口を閉めて振り向いた美景は、少し寂しそうに笑った。泣いてはいない。
「でも、平原先輩の言う通りです。いくら自分で頑張ってるって言っても、成果が伴
わないならその努力は足りてなかったってことですから」
タオルで丹念に手を拭いながら、美景は瞬きもせず濡れた足元を見つめていた。
「正藍寺は、団体のオーダーを変えないんです。地区大会ではエースを温存するときもありますけど、それでも大会の間はずっと同じ六人が出続けるんですよ。わたしはどれだけ頑張っても、三年になっても団体戦に出られなくて……どんなに調子がよくても補欠にしかなれなくて。それで、諦めてしまったんです」
美景は、正藍寺以外のチームであれば間違いなくエース級と目されるであろう選手だった。練習を見ていればそのくらいはわかる。その美景が一度も公式戦に出ていないというのだから異様に層が厚い。
「試合に出られる学校を選んだって言われても、それが逃げだと思われるのも仕方ないですよね。でもわたし、きっとあのまま正藍寺にいても弱くなるだけだったと思います」
それまでの自分を変えたい。そんな気持ちは薫子にもよくわかった。没個性なプレーに悩み、必死に自分の強みを見つけ出そうとしてきた薫子が今のスタイルに辿り着いたように、美景もまた正藍寺を出て自信を取り戻そうともがいている最中なのだろう。
「わたしたち、どっちも自分のことに必死みたい」
「そんなことないです、薫子さんは違いますよ」
「違わないから。なんで組み替えになったか覚えてるでしょ」
自分と美景には共通点がある、と薫子は思う。自分たちのダブルスがうまくいかないのは、平原の指摘通り二人がシングルスと同じプレーをしているからだ。
自分というものの輪郭すらあやふやな薫子はすぐに自分の選択を疑い、決断に自信を持てなくなってしまう。その迷いが試合で一瞬の判断を鈍らせる要因になるのだ。この悪循環は、自分のやりかたを見つけない限り断ち切れない。
美景も同様に行き詰まっているのなら、薫子はその葛藤を理解できるはずだった。
「だから、少しは気が合うかも」
相手を見、パートナーのことを考える余裕。ダブルスに不可欠な要素を手に入れるためにも、まずは自分が変わらなければならない。似たような課題を抱えたチームメイトがいるというのは案外気楽かもしれなかった。やがて、美景がわずかに表情を緩める。
「……そうですね。ダブルス、がんばりましょう」
降り注ぐ陽光が肌を焼く。薫子と美景は、どちらともなく示し合わせたように体育館へと戻っていった。
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