残る桜も散る桜④

「ほんと、容赦ないわね」


 呆れ気味に呟いて、鞠佳まりかが軽く爪を噛んだ。実際に見てみれば、県北出身の三人が井浦いうらについてあれこれと語っていたことが美景にもよくわかる。

 井浦のプレーはとことん相手のペースを崩すことのみに特化していた。攻撃やサーブでのポイントもあるが、それはあくまで試合を自分の思い通りに進めるためのアクセントにすぎない。粒高つぶだかの使い方ひとつとっても試合の中で対応するのは困難で、結局ろくな抵抗もできないままに試合が終わってしまう。

 先月見た部内リーグ戦の時とはまるで違った。大会ではそう目立つ順位でもなかったが、井浦が正藍寺から警戒されていたのももっともだ。


 続く二回戦も危なげなく勝利し、赤いペンで勝ち上がり線を書き込んだ美景みかげは次なる組み合わせを確認した。一次予選トーナメント、第二ブロック決勝戦――井浦いうらもえ浜崎はまさき海玲みれい。パンフレットをのぞきこんだすみれがあれっと声を出す。


「浜崎さんって正藍寺にいたんだ。びっくり」

「高校からの編入らしいわ」


 鞠佳まりかが端的に答える。浜崎海玲は園部中のエースとして活躍した選手だった。その実力は確かで、編入した正藍寺でも団体メンバーの座を掴んでいる。

 決勝トーナメント進出を懸けた大事な試合で、手の内を知り尽くした元チームメイト同士が当たることとなった。


「どっちが勝つと思う?」

「……調子が最悪でなければ、海玲さんでしょうね」


 独り言めいて尋ねる菫に、鞠佳もまた前を見たまま言葉を返す。山の上下に配置された二人が順当に勝ち上がった結果とはいえさすがに複雑なのか、普段の口数はなりをひそめ、鞠佳はじっと次の試合が行われる十一番コートを見つめている。

 鞠佳らしからぬ態度だった。と、チームメイトの奇妙な落ち着きを訝る美景の前にさらなる混迷が現れる。


「来たよマリカちゃん、さっきぶり~!」

「一緒に次の試合見ようよ~」


 とたとたと走ってきた二人がそれぞれ鞠佳の座る座席の背もたれを揺する。老朽化したプラスチックなら容易に折れそうな勢いに跳ね起きた鞠佳は、片手で髪を押さえたままがばりと後ろを振り返った。


「危ないでしょうが! あんたら自分の試合はどうしたのよ」

「試合? どっちももう終わっちゃった。二次予選もダブルスもまだまだだからみんなの応援してたの!」

「二人でミギ先輩の試合見てたんだけど、次はマリカちゃんと見ようと思って~」

「あっこれパンフレット? サラ、第四ブロックの結果書いたげるね」


 言うが早いか赤いマジックを構えた紗良が大胆にペン先を動かし、美景の書いたものよりだいぶアバウトな線を記入していった。第四ブロックの決勝戦は田宮二高の小野寺おのでら正藍寺しょうらんじの青木というカードになったらしい。小野寺みぎわ――たしか、こちらも園部のレギュラーだった粒高のカットマンだ。ミギ先輩とは彼女のことなのだろう。

 井浦萌と浜崎海玲。違う高校に進学した部長とエースの対決は、ばらばらの学校に進んだ後輩たちにとっては特別な感傷を抱かされる試合のようだ。薫子かおるこに席を譲られ、美園高校のジャージを羽織った双子はいそいそと鞠佳の隣に並んで座った。


「園部めちゃくちゃ仲いいじゃないですか。あ、これ勝手に食べてください」

「いいの? ありがと~!」


 振り返った菫に大袋ごとチョコレートを差し出され、それぞれ包みを手に取った双子は長い指でちまちまと包装紙をめくっている。


「園部はみんな仲いいよね~。すっごくいいチームだったし、萌ちゃん先輩は超キャプテンだったし」

「大きい目標もあったし?」


 打倒正藍寺、と真顔で声を揃えた双子はすぐにころころと笑い出したが、やがてどちらかが――美景にはまだ二人が判別できないので名乗られない限りどちらかとしか言えないのだ――口元をぱっと手で隠した。


「あっでも、そしたら海玲先輩の応援できなくなっちゃうよ」

「じゃあこれからは、打倒海玲先輩以外の正藍寺の人たち、にしよ?」


 そうしよう、と笑ってクランチを口に放り込む双子の横で、むっつりと黙り込んでいた鞠佳がいつもより低い声を出した。


「いいわねあんたたちは、切り替えが早くて」

「ほら~、またすぐそういうこと言う。単純だって言いたいんでしょ」

「マリカちゃんはいっつも人のこと馬鹿にするんだから」

「してないわよ。羨ましいって言ってるの」


 打倒正藍寺。口に出すにもなかなか勇気を要する目標だが、園部中は事実正藍寺との死闘を演じてみせた。

 高い目標を掲げてまとまっていたチームのエースが、まさにライバルと目していた正藍寺に編入する。

 同級生とすら口を利いたことのない美景が去年編入した先輩に声をかけられるわけもなく、浜崎がどんな理由で決断を下したかなど知りようもない。しかし後輩たちは、少なくとも鞠佳はまだ浜崎の選択を支持できてはいないようだった。


 試合開始が近づくにつれ正藍寺の部員の姿が増えていく。昔と同じく、応援のためだけに会場まで来た控えの部員は何組かに分かれて行動していた。試合前から盛んに声を出す部員たちの視線の先、11番コートではすでに井浦と浜崎が練習を始めている。

 スイングするたびきっちりと結い上げられた髪が背中で跳ねる。薄い青をベースに、両サイドに太い藍色のラインが入った正藍寺のユニフォームに身を包んだ浜崎は、引き締まった表情で井浦と握手を交わした。

 サーブ権は浜崎から。試合球を手の平に乗せ、浜崎が長い静止からすっとボールを投げ上げる。


「わ、いきなりだ」


 クロス方向のロングサーブを井浦が低く抑えて返球するが、回り込んだ浜崎がフォアで三球目を振り抜いた。途端に聞こえる大勢の歓声に、薫子がわずらわしげに右横を見る。

 続けてストレートに長いサーブを打った浜崎はやはり三球目を狙いに行く。二点を先取した浜崎は、明らかに粒高のレシーブを狙っていた。


「効いてるね、海玲先輩のサーブ。速いロングサーブって粒で受けたら浮いちゃうもんね」

「セオリーだよね。表で打ち返したって三球目でやられちゃうしね?」


 サービスからの早い組み立てに北沢双子がしみじみと感服している。速攻だから――それも、フォア表の速攻だから使える手だ。

 無回転のナックルサーブは粒が倒れにくいことから粒高相手に有効と言われているが、変化幅の大きい井浦のラバーなら多少浮いたとしても無視できない量の回転がかかってくる。

 スピードと伸びを重視する以上速いサーブにはいくぶんかの上回転がかかるわけで、井浦のレシーブは緩やかな弧を描きながら明確な下回転で戻ってくるわけだ。

 美景なら、三球目でこれを強打しようとは思わない。まずはネットにかからないようドライブ気味の返球で様子を見るだろう。

 しかし、浜崎にそんな保険は必要ない。ある程度回転を無にできる表ソフトなら井浦のレシーブをむりやり強打に持ち込める。両面に裏ソフトを使う美景のような選手と違って、浜崎には粒高が生み出す回転に左右されづらいという強みがある。


 かといって、井浦が表ソフトに切り替えてもミスマッチは解決しない。浜崎海玲はあくまで速攻なのであって、井浦が攻めたレシーブを返したところでナックル回転の速いラリーに分があるのは浜崎のほうだ。

 つまり、井浦がどんなレシーブをしようとも相手の優位は変わらないのである。浜崎が攻撃をミスすることはあるだろうが、基本的には双子のコメント通り効果的なサービスになっている。


 フォア表の異質速攻型。粒高ではまず攻撃しない菫とは違い、浜崎は表ソフトを主体にして速攻を仕掛けてくる。同じ戦型でもラバーの組み合わせによって個々の戦い方がまるで違うのが卓球の面白いところだ。

 井浦は先手を取って厳しいコースを突き、手数の多さで相手を翻弄する。大抵の相手は粒高と表の組み合わせに戸惑い、予想外の返球に圧倒される。

 しかし三年間ともに練習してきた浜崎なら井浦の狙いを予期できてもおかしくはない。井浦が苦手とするのは、もしかすれば自分のプレーをよく知る相手なのかもしれなかった。だとしたら、井浦のプレーに慣れているうえ地力でもその上を行く浜崎海玲はまさに天敵だ。


「それなら、表で打たせないようにバックに返すしかないんじゃ」

「意味ないわ。海玲さんはバックのほうが得意だし、粒高で返す間に回り込む余裕もある。井浦さんだってそれはわかってるわよ」


 いまだ不機嫌そうな鞠佳が薫子の言葉をすげなく否定する。これで10-6。フォア前に出したサーブから互いに短くつないだところで、井浦がたたんだ腕を素早く前に押し出した。

 不意を突いたプッシュになんとか対応し、横に一歩踏み出した浜崎はやや台から離れてバックハンドを振る。


 一瞬の構えから、右腕全体を使った中陣でのバックドライブ。


 威力のあるボールを井浦が粒でブロックするが、立ち位置を前に戻した浜崎が高い打点からスマッシュを打ち込んだ。

 しゃあっ、と甲高い叫びを追って大勢の拍手が後に続く。互いに一礼してベンチに戻る二人に、観客たちが惜しみない拍手を向けた。

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