残る桜も散る桜③

 大会二日目。

 花ノ谷かのや高校は無事予選を勝ち抜き団体戦決勝リーグに進んだ。一方ダブルスでは大半のペアが敗退し、三年生がシングルスに懸ける意気込みはより強いものになっていた。予選免除扱いの平原以外は、今日勝たなければ県大会には出られないのだ。

 シングルスの決勝トーナメントは三日目なので平原の試合はまだない。というわけで、一年生一同はすみれに配られた菓子をぱくつきながら井浦の試合を観戦していた。


 襟付きの黒いユニフォームを着た井浦いうらが結わえた髪に手をやる。一次予選トーナメント第二ブロック、井浦の一回戦の相手は三年生のカットマンだった。

 長身の選手だけにサーブの構えにも迫力がある。右腕を水平に振り抜く下回転のバックサーブから試合が始まった。

 速く鋭い相手のサーブを井浦が粒高つぶだかで返球する。ふわりと浮いた軌道のボールを下回転で返す相手は、井浦のコート深くにボールを集めていた。


「……あの、鞠佳まりかちゃん」

「何」

「相手の人はどうして長く打つの? ツッツキって相手に打たれないように短くしたほうがいいんだと思ってたんですけど」

「井浦さんに打ってほしいんでしょうね。結局攻撃型が一番多いんだから、ドライブを打たせて返すのがカットマンの基本なのよ。カットマン同士ならともかく、台上中心の展開に持ち込まれるのが嫌なんじゃない」

「ってことは、カットマン同士の試合はひたすらツッツキになるんですか」

「そうね。それじゃ試合が長引くから最後はどっちかが打つことになるけど」


 台上で下回転をかけるツッツキはどの選手も用いる必須技術だが、カットマンの場合はその回転量がまるで違う。しかし井浦はラケットを反転させながらほとんどのボールを粒高でさばいていた。

 フォア前に来たボールをネットにかかりそうなほど短く落とし、まずは井浦が得点する。試合冒頭から長いラリーが続き、あさひが緊張感たっぷりに拍手する。


「すごいです。カットマンより長く粘るなんて」

「井浦さんのミスしなさは尋常じゃないよね。粒高ってコントロールしづらいのに」

「あ、そうだ。粒高のことを教えてもらうんでした」


 はっと目を見開いた旭が荷物の中からメモ帳を探し出す。その勢いに苦笑しつつも、こほんと咳払いをした菫は前回の講義を振り返った。


「表ソフトは相手の回転を無視できるラバー、って言ったよね。粒高はその粒が細長くなったバージョンだから、触っただけでも粒がぐにゃっと曲がるわけ。それはボールが当たった時も同じで、インパクトのたびに粒が倒れる。そうするとボールに不規則な回転がかかる」

「普通に打つだけで勝手に回転がかかるってこと?」

「うん、だいたいは相手の回転を逆にして返すことになるんだよね。たとえばドライブを受ければ下回転になって返るとか、カットを受ければ微妙に上回転がかかるとか。うまい選手の中には自分で変化量を調節できる人もいる。まあ菫には無理だけど」


 表ソフトは粒が低く、ラバーの表面に触れれば比較的固い。対して粒高は柔らかく細長い粒になっており、それを倒すように打つことで変化するボールが出せるというわけだ。

 変化量の調節とは、どれだけ粒を倒すかを任意に操るということなのだろう。意図的に無回転気味の返球を使ってくる井浦あたりはその打ち方を体得していてもおかしくはない。


「というわけでー、表ソフトと粒高はそれぞれ違う特徴があって、『異質型ラバー』ってカテゴリになるわけ。粒高は表と違って自分からは攻撃しづらいけど、特徴がわかってない相手は勝手にミスしてくれる。中学なら粒高貼ってるだけで勝てる試合もあるかもね」


 菫の言葉通り、初心者に粒高の対処は難しい。チームメイトに異質ラバーの選手がいれば話は別だが、知識がなければ相手のラバーに困惑したまま試合が終わってしまう。そのため、中学から卓球を始める生徒に粒高を使うよう勧める指導者はいまだに多いのだった。


「じゃあ、高校では粒高で勝つのは難しいんですか?」

「そんなことない。ただ、中学と違って初心者をカモにはできないよってこと。高校から卓球始める人はあんまりいないから」


 例のごとくメモを取り終えた旭に尋ねられ、菫はいやいやと頭を振った。高校で卓球部に入るのはおおよそ中学からの経験者で、三年間卓球を続けていれば自然と粒高の特性を理解できているはずだ。


「だからねえ、井浦さんみたいに粒高メインでずっと強い人は、本当に実力がある選手。ラバーを使いこなしてる選手だよ」


 菫は試合中のコートに目を向ける。気付けばスコアは9-4と、井浦がリードしたままゲーム終盤に差し掛かっていた。

 相手が繰り出すロングサーブに対し、井浦は粒高での緩いレシーブを多用していた。カットマンを下げさせないための短い返球は、回転量が少ない分チャンスボールにもなり得る。

 またしても井浦のフォアに長いサーブを出した相手選手は、レシーブを狙い打とうと素早くバックへと回り込み――井浦がまたくるりとラケットを回した。

 力強い打球音とともに、井浦のスマッシュが大きく空いたフォア隅に突き刺さる。表ソフトでの二球目攻撃だ。ゲームポイントを取った井浦は申し訳程度に頭を下げ、立ち尽くす相手側のコートにラケットを置いてベンチへと戻っていった。


 えげつなー、と菫が笑い混じりに仰け反る。驚嘆とも呆れともつかない口調だが、それが賛辞であることに変わりはない。

 美景は詰めていた息をゆっくりと吐いた。井浦は攻撃的なレシーブを今初めて使ったのだ。それも、相手が回り込むのを完全に読んだ形で。


 回転を打ち消してしまえる異質ラバーの選手とカットマンの相性は決してよくない。どれだけ下回転をかけても表ソフトで強打される可能性があるからだ。

 しかし今日の井浦は攻撃を仕掛けることなく台上でのラリーに終始していた。点差が開いたところで相手がまず一点を取ろうと三球目攻撃を試みたのも無理はない。長いラリーでは井浦に分があったのだし、井浦が何度も見せたレシーブはかなり甘いボールだった。

 しかし、追い込まれた相手がそれを打ちに来ることまでが井浦の読み通りだったのだ。回り込んだところでがら空きになったフォアを狙われた相手は一歩も反応できなかった。

 このポイントの取り方までも計算ずくなら、どこまでも隙のないゲームメイクだ。


「あのカットマン、もう自分からは打てないでしょうね。逆に井浦はここから一気に攻めてくるはず。いつものあいつのパターンよ」


 鞠佳がさらりと言ってのけた通り、2ゲーム目の井浦はここまでとは別人のようだった。回転をかけづらいはずの表ソフトでドライブを打ち、相手のカットを粒高でネット際に落とす。素早く前に詰めた相手のツッツキをまた粒高で、どんどんと厳しいコースに押し込んでいく。

 切れたツッツキを返すことも粒高なら難しくない。速いテンポで振り回された相手は、井浦に8点目が入ったところでたまらずタイムアウトを要求した。


「……なんか、1ゲーム目よりミスが多いですね」

「無理矢理下回転をかけようとするからよ。井浦さんは粒高で一球ごとに変化をつけてる。ほとんど無回転で返すときもあるし、それを無理に切ろうとするからツッツキが浮くわけ。オーバーミスをさせられてるの」


 粒高の一番の強みは様々な変化が出せるところだ。

 相手のボールを逆回転にして返すのはもちろん、打ち方によってはナックルと呼ばれる無回転のボールも出せる。その変化と回転量は一球ごとに異なるため、回転を読み損ねた相手のミスも自然と増える。あっという間に2ゲームを先取した井浦は、3ゲーム目も出足から大きく先行していた。

 対戦相手はしきりに顔を手で拭っている。卓球は試合時間の短いスポーツだ。実力差があれば一方的な展開になることもしばしばだが、ここまで何もさせてもらえずに終わるのは屈辱だろう。

 これが高校最後の試合だというのだから泣きたくなる気持ちもわかる。多彩な井浦の打球に対処するので手一杯の相手に本来のプレーなどできるはずもなく、一貫性のない返球は慎重なのか大胆なのかもよくわからない。


 最後はサーブミスだった。トスの位置が前に寄りすぎたのだ。完全に自分を見失ったまま試合を終えた相手を置き去りに、礼だけを残した井浦がフェンス際に戻っていった。

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