第35話

「……………………………………………………………ン、まずは五人だけだったか」


 木製の壁ごと外の人間を貫いていた愛剣を難無く引き抜きいて扉越しに聞き耳を立てていたハンスは、取り敢えず今近くに居る分の襲撃者は処理し終わったと判断し、それでもなるべく静かに扉を開けて通路に出た。


 消灯時間を過ぎていた所為で燭台が消されている上に採光用の窓すら無い通路は、深い森で迎えた朔の夜を思わせるほど暗かったが、身体と一緒に夜目も鍛えられたハンスにとってはそう苦になるほどでもない。


 暗闇に包まれた通路で壁に凭れて座っている二つの死体を発見したハンスは、その腐肉の詰まった頭陀袋のような物が動かない事を確認し、剣を咥えて片手を空けてから一つずつ部屋の中へと引き摺り込んだ。


「さて……これで着替える分の時間稼ぎぐらいできたかねぇ? まぁ、全員ちゃんとれたみたいだから、ワザワザ隠さなくたって問題ねぇのかもしんねぇけど……」


 回収作業を終えて顎が外れそうなほど重い剣から解放されたハンスは、両手の剣を振って血油を落としながらベッドへ歩み寄り、さっき放り投げていた鞘の両脇に剣を置く。


 すると、高価たかそうで柔らかなマットレスが金塊でも置かれたかのように黒い刃の異常な質量で沈み込み、その下の木材までもが微かに軋みを上げた。


「……にしても、コイツら一体何なんだ? 聖騎士――にしては気配の消し方が上手過ぎるし、任務中なのに揃いの鎧も着てないし……盗賊――ってワリには動きが随分洗練され過ぎてるし、そもそも、ただの盗賊にとっちゃぁ、こんなトコに入る時点でリスクデカ過ぎだろぉし……ん~~?」


 呟きながら首を傾げるハンスは、手に取った鞘のベルトを慣れた手付きで巻いていく。


 幸い、この部屋は個室とは言え広い貴賓室だったので、ハンスを囲んでいた者達とベッドの距離は十分に離れており、彼らの真上の天井にまで届いた緋色も鞘には届いていなかった。


 とは言え、流石に刺殺した二人の返り血は若干浴びていたらしく、チュニックは所々斑模様になっていたが。


「ん~~~~…………、あ。そぉいや前にセフィーが言ってたか……? 確か、聖騎士とは別の汚れ仕事専門の組織で……名前は……えぇっと、烏部隊(ラーベ)だっけ?」


 まぁ、名前なんてどぉでもいいか、と投げやりに独り言ちたハンスは、肩と腰に回したベルトの調子を確かめながらベッド脇のブーツへ手を伸ばした。


 それらもまた手早く履き終えると、ハンスは全身をざっと見下ろして問題が無い事を確認し、ベッドに預けていた血濡れの双剣をシーツで拭ってから鞘へ納める、という宿屋側的には凄まじい暴挙に出た。


 と、綺麗になった一本目を鼻歌交じりに差して二本目に取り掛かっていたハンスだが、何となく視線を感じ、手を止めないまま振り返る。


 そこでハンスが見たは、千切れたフードの中から光を失った虚ろな眼で彼を恨めしそうに睨み付けてくる若い男の生首だった。


「……どぉせ、床も壁も天井もアンタらの所為でエライ事になってんだし、別にいいだろぉ?」


 二本目の刃をなぞり上げて状態を確かめながらバチコーン!! とウィンクを返したが、当然ながら返事など戻って来る筈も無く、ハンスは虚しさを吐き出すように溜め息を吐いて二本目を鞘に戻した。


 そうして、今度は一転して感情が削ぎ落とされたように平坦な表情になったハンスは、月明かりに照らされた椅子の周りを囲むように倒れている首下達へと向き直る。


「……何にせよ、首無し騎士デュラハン共がドコのダレか分かれば、セフィーにとって良い手札カードになるか……まぁ、十中八九教団関係者だろぉけど」


 何処か誤魔化すように低く抑えた声音で喋りながら、既に痙攣も出血も治まっている肉塊の内の一つへと歩み寄り、血池から引き摺り上げてからその懐を探るハンス。


 何と言うか……もう、どちらが侵入者で襲撃者なのか分からなくなるような絵面が、そこには在った。


「えぇっと、黒塗りのスティレットが二つと、同じく黒いナイフが幾つか……どっちも、鞘にも柄にも目立った装飾は無し……んで、ポケットには何も無し……服自体もその辺で売ってそぉな物を黒染めにしたような感じか……やっぱ、そぉ都合良くはいかねぇな……」


 金目の物が見つからなかった盗賊のように落胆している王国騎士は、近くの二つや扉付近に置きっ放しにしていた達も調べるが、どれも同じ結果だった事に不満そうな唸り声を上げた。


「さぁて、どぉする……? これ以上長居したらまた来そうだし……」


 現在地が出入口を王国騎士に固められている村内の宿で、しかも相手が複数犯と言う点を鑑みて、この黒衣の暗殺者達は相応の規模を持つ組織の人間だと判断し、ハンスは嘆息しながら踵を返して部屋奥のクローゼットへと向かう。


 足跡を残さないよう血溜りを避けながら辿り着いたハンスは、さっさと荷物を回収して一つ一つ手早く丁寧に装着を開始した。


「……まぁ、まずは詰め所の騎士達のトコにでも向かうのが妥当か。この村で味方になってくれるよぉな戦力なんて他にねぇし。ついでに、聖騎士共の面倒は全部押し付けてバックレちまえば――


 あくどい笑みで呟くハンスが、王国支給の胸当て型胴鎧と剣と同じく自前の革籠手を装備し終えた時だった。


 ほんの微かに、彼が微睡みの中で感じた気配が通路側から迫って来ていたのだ。


(チッ、もぉ来るか……ったく、仕事熱心で頭が下がるねぇ)


 胸中で文句を垂れながらも手は止めず、ハンスは残るコートとバッグを即座に装備し終える。


 短時間で戦闘準備が整ったのは、元々、持ち込んでいた装備が軽装だった事が幸いした結果と言えるだろう。


 口を閉じて耳を澄ませたハンスは、僅かに聞こえてくる足音から部屋で寝ている五人の同僚と判断し、再び血溜りを迂回しながら扉へと距離を詰める。


(……数は三。錬度的にはこの五人と似たようなモンか……まぁ何にせよ、今ココで終わらせるとするかねぇ……)


 さっき自分がしたような扉越しの奇襲を警戒して、すぐ詰められる程度に扉との間隔を空けた位置に立ち、ハンスは腰の剣に手を掛けた状態で通路の足音が止まるのを待った。


 幾里もの旅路と幾つもの戦場を駆け抜けてきたハンスにとって、もはや剣を血に染める事に対する迷いや抵抗など存在しない。


 いや、正確には『剣を振るっている最中は』と付け加えるべきかもしれない。


 幾ら常人離れした戦闘能力を有するとは言え、ハンスも一人の人間であり、普通に弔意や哀悼の持ち合わせもある。


 そもそも、家族や育て親の死を目の当たりにしてきたのだから、人間の死に対して何も思わないと考える方がおかしいだろう。


 だから、『狼男ヴェーアヴォルフ』』『|血塗れ狼《ブルート・ヴォルフ』などと渾名されるハンスも、首を刎ね、胴を薙ぎ、胸を突き――そうして、今まで殺してきた者達やその家族や友人、恋人に対する悔恨の念を抱く時があるし、戦場で死した相棒の傍に寄り添う騎馬を見て心を揺さ振られたりもする。


 特にフランキスとの戦では、徴兵制の下で無理矢理戦場に立たされた平民達を相手取らなければならない事が多く、下手をすれば十年前の亡郷を騎士側に立って再現する破目にもなりかねない。


 それを極力避けたかったからこそ、ハンスは先の国境戦にて一人で敵陣へ乗り込むなどという無謀を進言したのだ。


 だが、そうやって死を重いものだと認識しているからこそ、ハンスの中で『セフィー、及び、彼女の味方』対『彼女達に剣を向ける敵対者』といった基準が明確になるし、一度敵と決めてしまえば、少なくとも追走や殲滅の最中には躊躇も憐憫も入り込む余地が無くなる。


 その結果が『首を刎ねる』という確実な手段を用いた殺傷方法で、『狼男ヴェーアヴォルフ』『血塗れ狼ブルート・ヴォルフ』などと忌み|ほど苛烈な殺戮で、後に『孤独群狼アイン・ヴォルフェ』『孤軍怒涛アインツェルゲンガー』『真紅の疾風ブルート・ヴィントシュトース』と讃えられるようになるほどの戦果だった。


 つまり、今回の襲撃についても既に彼の腹は決まっていて、だからこそ彼はこの場面で逃走経路の確認ではなく、敵勢力迎撃の算段を立てていたのだ。


 ……余談だが、捕虜が身代金の支払いで解放されるような昨今に於いて、高価な装備ごと金ヅルを斬り捨てる彼の戦いぶりは一部の文官から『金にならない』と嘆かれていたりする。


 その甲斐性無しが通路の足音が扉の正面と両脇で止まった事を察知し、正面の一人ごと扉を蹴破ろうと身構え――


 ガシャーン!!!!!!


「――!!!!!!」


 背後からの破砕音に、ハンスは堪らず振り返った。


 そこで彼が目撃したのは、ガラスを蹴破って順に部屋へ侵入して来た二人の黒衣達だった。


 この部屋は館の二階に位置するのにどうやって、と侵入者達の背後に目をやったハンスは、縦長な形状の窓枠上部に垂れている縄を発見する。


(まさか、屋根から垂らした縄を伝って降りて来たってのか!? 鼠みてぇなマネしやがってクソッタレ!! ってマズ――


 窓の侵入者に気を取られていたハンスは、此処で漸く扉の気配が動いている事に気が付いた。


 背を向けているハンスを前に扉が蹴破られ、そこから彼が察知していた通り三人分の気配が室内へと雪崩れ込む。


 奇襲に気を取られた自分の未熟に歯噛みしたくなるが、それで動きを止めるのは直感的に下策だと悟ったハンスは、その直感が命じるままに腰のベルトへと手を伸ばした。

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