第36話


「「――――!!」」



 驚愕は窓側の黒衣二人からだ。


 床に横たわる斬首刑にでも処されたような異様な死体から無理矢理目を離して構えた彼らが目にしたのは、鋭い風切り音と共に飛来する二本の黒いナイフだった。


 そのナイフは元々調理用の刃物と見紛うほど小振りな上、重心が刃先に偏っている投擲用だったようで、黒衣の死体達を漁ったハンスは後の襲撃に備えて五本ほどベルトに忍ばせていたのだ。


 早速、彼はそれを放って正面の二人を牽制したわけだが、どれだけ巧みな攻撃でも、既に臨戦態勢を整えつつある相手にはそう簡単に決まる筈も無く、黒塗りのナイフ達は黒衣の二人が抜き放ったスティレットで叩き落とされてしまう。


 だが、牽制とは相手の動きを封じる為のものだ。


 扉の三人が部屋の中で転がる同僚の首に目を奪われている内に二人を狙い通りに足止めしたハンスは、我に返って後方から迫りつつある三人を無視し、ナイフを追うような凄まじい速度で二人に肉薄する。


「――――シッ!!!!!!」


 鋭利な気勢で以って双剣を引き抜いたハンスは、抜刀の勢いをそのまま刃に乗せて身体ごと回転するように振り被った。


 だが、前述の通り、真正面から繰り出される一撃など、訓練を受けた者なら余程隔絶した技量差が無い限り、ある程度は対応できるものだ。


 しかも、ハンスと違って黒衣の者達は複数人で囲んでいるのだから、前の二人が彼の剣と足を止めてしまえば、後ろの三人が無防備な背中を串刺しにできる。


 だから、窓の二人は一瞬の迷いも無くスティレットを掲げ、深く鋭い踏み込みと共にそれぞれの首筋へ向かってくる順手の右と坂手の左を迎え撃った。



 斬斬ッ!!!!!!



 しかし、ハンスの足は止まらなかった。


 背後から包囲しようとしていた三人からは、スティレットを盾として掲げた二人が、回転の勢いを前進する勢いに上乗せして走る少年騎士を態と見逃したように思えていた。


 実際、窓の二人は黒い曲剣がスティレットや身体を直後、顔見知りの商人を素通りさせる門番のように、間を通ろうとするハンスの両脇で何もせず立ち尽くしていたのだから、そう考えてしまうのも無理からぬ事だろう。


 だから、包囲を抜けて一直線に窓へと向かうハンスを追う三人は、二人の身に何かが起きたなどと想像すらしていなかった。


 そして、文句のつもりか――高々十五、六程度の小僧をまんまと取り逃がした上に、それを追おうともせず立ち止まっている無能な同僚の肩へ、三人の内の一人が自らの肩を当てて通り過ぎようとした時だ。


「――……?」


 まず聞こえてきたのは、フォークやナイフでも落としたような、軽快で澄んだ金属音だった。


 それに釣られて、肩をぶつけた一人が振り返った。


 ハンスは黒塗りの直剣が刺さった椅子の周りに染み渡った血の池に踏み込んだ。


「…………!」


「――――?」


 次に聞こえてきたのは、水桶を引っ繰り返したかのような、粘着質で湿った音だった。


 それに釣られて、また一人分の足音が止まった。


 ハンスは返り血塗れになって血沼に佇んでいる椅子を追い越した。


「…………ッ!!!!!!」


「――――ッッッ!!!!!!」


「――? ……――!!!!!!」


 最後に聞こえてきたのは、布で包んだ鉄球でも落としたような、重々しい落下音だった。


 それに釣られて、最後の一人も足を止めた。


 ハンスは疾走の勢いのまま跳躍し、踏み台代わりに机へ足を掛けて、既に破られてボロボロになっている窓へ跳び込んだ。


 置き去りにされた三人が目撃したのは、流麗な切り口を滑って落ちたスティレットの刃が二本と、黒いフードに包まれたまま転がり落ちた二つの生首、そして、失くした首から噴水を吹く二人のデュラハンだった。


 一方、窓枠のそこかしこに残るガラス片から顔を庇いながら中空へ飛び出したハンスは、戦闘時の鋭敏化された五感を更に全開で活用し、周囲の状況を一瞬で探索する。


(地上まで大体十三、四フィートそこそこで、周りには人影もメンドそぉな物音も無し。地面は剥き出しの道路? これって確か……あぁ、厩舎の通路か。なるほど、こりゃぁ好都合。逃げる背中を慌てて追ってくる狐共の鼻面に叩き込める)


 不敵に、獰猛に、それこそ本物の狼を思わせるように口角を吊り上げたハンスは、落下しながら逆手に握った左の剣を鞘に戻して迫る地面に対応する。


 彼は接地した直後に脚を撓めて身体に掛かる負荷を減衰させると、殺し切れなかった分をそのまま移動の初速に転用し、無傷のまま通路脇の植込みの中へと潜み込む。


 すると、隠れ終えた彼が反転して個室の窓を見上げたと同時に、返り血を浴びて赤い斑点ができた黒衣の一人が無防備にも顔を出して外を窺い始めていた。


(ナイフは残り三本……まぁ、借り物に頼った所で高が知れてるってもんだし、ココは盛大に使い尽くすとするかねぇ)


 半瞬ほども迷わず空手にしておいた左手をベルトへ伸ばしたハンスは、部屋で適当に投げた時とは違い、槍を投げるようにナイフを逆手持ちにして振り被り、呑気に視線を巡らせている侵入者へと狙いを定める。


 そして、黒いフードが諦めたように室内へと退き始めた瞬間を見計らい――


 ――ビュッ!!


 闇に紛れるような黒塗りのナイフを投擲した。


 だが、下がろうとしていた黒衣は背後の風切音を敏感に察知していたらしく、部屋に向け掛かっていた背中を反転させ、咄嗟に顔と胸を庇う形で両腕を掲げていた。


「――ッ!? ――――ッッッ!?!!!!」


 なんとか致命傷を避け、慌てて窓の陰に隠れたフードから苦悶の声が上がる。


 顔を庇っていた右の上腕にナイフが深々と突き刺さっているが、訓練の成果なのか息遣いが激しくなるだけで悲鳴どころか呻き声すら聞こえてこない。


 それをヤードで十近く離れた距離から視認したハンスは、今更ながら『連中が自分を追って跳び下りてくるまで待てば良かった』と歯噛みしつつ次のナイフを引き抜こうとし――止めた。


(……いや、連中だって騎士相手の直接戦闘は分がわりぃって理解しただろぉし、現に部屋へ戻ろぉとしたし……うん、失敗じゃねぇ。断じて、失敗じゃねぇ。っと、もぉ動き出したか……? ……なら!)


 抜き掛けたナイフを仕舞い込み、ハンスは植込みの陰から出て宿の入口へと走った。


 右手に持つ剣の切先を地面に擦り付け、態と目立つ痕跡を残しながら。


 窓からは狙われている以上、黒衣達は館内を通って追って来ると判断し、実際にそう動いた事を察知したハンスは、逃亡を予想して厩舎に向かうであろう烏共が跡を追って戻って来る所を迎撃しようと考えたのだ。


 最初にこの宿へ来た時に一度通っていた事もあって、ハンスは地に線を刻む為の上体を低く下げた体勢ながら十数秒足らずで館の入り口が面する街道に出る。


 だが、一目散に館の扉を目指そうとしていたハンスは、街道を吹き抜けた夜風に嗅ぎ慣れた臭いが混ざっている事に気付き、足を止めて風上に位置する王国方面へと視線を巡らせた。


(これは……微かだが血の臭いだよな……? 街道沿いに流れて来たって事は……まさか、詰め所にも連中が!?)


 この襲撃を受けた時、ハンスは烏達の狙いが自分だけだと思い込んでいたが、他の王国騎士にまで手が伸びていたと知り、考えを改めざるを得なくなった。


 彼の想定では、今回の襲撃は彼個人を狙った小規模なものであり、襲撃も後詰を含めた二回分のみで、襲撃者の人数も十を超える程度だった。


 だが、ハンスへの襲撃と同時に詰め所を襲ったとなると、この村全体を戦場にしかねない大規模な作戦であると考えられるし、敵方の人数だって最低でも想定の倍以上は見積もるべきだ。


 しかも、この襲撃が教団の差し金だった場合、ハンスが先導してきた聖騎士百人までもが敵方の戦力になりかねない。


(風向き的には王国側の方しか分かんねぇが、この分だと国境側の方も襲われてたって不思議じゃねぇ……真正面からだったら詰め所の騎士でも負けるワケねぇだろうが、奇襲、それも夜襲じゃぁ分が悪いだろぉし、下手したら抵抗する間も無く全滅ってまであり得る……とすると、援軍要請どころかコッチが助けに行っても無駄足だったってなっても不思議じゃねぇ……さて、どうする……?)


 部屋に転がっている七人と館内に残る三人が聞いたら、白々しさに眉間の皺を深めそうな評価を下したハンスは、此処でやっと『闘争トウソウ』ではなく『逃走トウソウ』に視線を向けた。


 今なら地面の線を見て戻って来る筈の三人をやり過ごしてが確保できるし、一度村から出てしまえば行方を晦ませる事もできる。


 それに幾らハンスが強いと言っても、現時点でさえ兵員の数差が十倍以上もある敵方からの奇襲に対応し続けるのは難しいし、更にもう百倍分加算されるであろう戦力に圧し潰される可能性だってある。


 そこに、この村唯一の味方となり得る筈の戦力さえも頼りにならないとくれば、どんな阿呆でも逃げるのが賢い選択だと理解できるだろうし、敵方だってそう考えるだろう。


 だから、ハンスは――


(……決まってる)


「――徹底抗戦だ」


 ――『逃走』ではなく『闘争』を選択した。

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