第33話

「ココは……王国の闘技場か? ……って事は――


 ――そうだ。これは二年前の決闘祭典ドゥエルゼイゲン、その表彰式だ。


 何人もの戦士達によって踏み固められた地面をブーツの底で蹴っていたハンスは、さっきまでの舌足らずな幼い声ではなく、頭の中に直接響くように聞こえてきた自分の声に眉を顰める。


 不快さ丸出しな表情のハンスが声の主を見付ける為に視線を巡らせると、観客達が蠢いているのにその声が聞こえない事に気付く。


 だが、そんな事は些末事だと切り捨てたハンスは、王族貴賓席の真下に設えられた表彰台前に幾つかの人影を発見した。


 彼が憶えている通りなら、そこに佇む者達は決闘祭典ドゥエルゼイゲンで優秀な成績を収めた戦士達であり、そこにはハンス自身も並んでいる筈である。


 早速そこに向けて駆けだしたハンスは、走りながらそこに居る筈の自分を探す。


 すると、丁度目的の人物が表彰台へ上がりつつある姿を発見し、駆足だったハンスは急がせていた足を緩めた。


「何だよ、こんな場所で一体何を思い出せってん――


 ――ガタガタ言ってねぇでさっさと上がって来いよビビリ。


 ――ココまで来ても思い出せねぇヤツが、そんな半端なトコで立ち止まんな。


 氷柱のように尖った言葉と、表彰台に上る階段から向けられるバカにしたような流し目に青筋を立てたハンスは、当たり散らすように地面を踏み締めながら表彰台前に並んだ連中を一瞬で追い抜いた。


 尤も、流し目を贈った側はとっくに表彰台の上だったが。


 余談として、すれ違った者の中には、当時の決勝戦で剣を交えたファルカミーナ・ブルンベルク女史も居たのだが、逆上したハンスの視界には入っていなかった。


 表彰台へ激突しそうなほどの勢いを一切抑えようとせず、逆にその勢いで階段を五段ほど飛ばしながら昇り詰めたハンスは、最後の一段を踏み切って真上に跳び上がり、見事な軽業を披露しながら自分の正面へと着地した。


 まあ、これほど派手な登場をかましたにも関わらず、先に表彰台へ登っていた方のハンスは元より、観客席の者達からも一列に並んだ戦士達からも拍手なんてものは送られず、そもそも存在を認知すらされていなかったのだが。


「……で? ココで何が見られるってんだ? 華々しく優勝を掻っ攫ったオレサマのカッコイイ晴れ姿ってかぁ?」


 ――……いつまで惚けてんだ。すぐ前に見えんだろぉがボケ。


 先程の流し目の時も同じだったのだが、たった今短い暴言が吐かれた時も壇上に立っていた方のハンスの口は全く動いていない。

 それどころか、壇上のハンスは魂を抜かれたかのような呆けっぷりを晒している。


 なのに、何故か聞こえ続ける声に対して訝しむより先に腹を立てていた現在のハンスは、頭に響く挑発に導かれるまま二年前の自分が見ている方向へと振り返った。


「―――――――――――――――――――――――――――――――――――――あぁ、そぉだ――――――――――――コレが……コレこそが、俺の理由だ」


 ――そぉだ。それこそがテメェの理由だ大バカめ。


 そこでハンスが見たのは――そこでハンスが『忘れた』などという嘘を暴かれ、改めて思い知らされたのは、何もかもを呑み込むような筆舌に尽くし難い衝撃だった。


 彼がこの表彰台の上で出会った人間は、彼の人生に於いてただ一人だけだ。


 そして、この出会いもまた彼にとって『一瞬たりとも忘れねぇ』ほど重大な出来事だった。


 と言っても、文字に起こしてしまえば大した事は無い。

 ただ『少女と出会い、少しばかり言葉を交わした』と言うだけなのだから、寧ろ、陳腐とさえ言えるものだろう。


 だから、特別だったのはただ一点。

 出会った『少女』についてだけ。


 間に立った現在のハンスを通り越して、その背後で呆け面になっている当時のハンスを見詰めるその瞳の色は、深い知性と煌めくような気品を宿しながら、目にした者の心を掴んで離さない魅力を兼ね備えた翡翠色。


 その特上のエメラルドさえ霞むような瞳と共に衆目を集めるのは、古い神話に伝わる職人の神がその技術の粋を使って造り上げたかのような、神々しいまでの金色に輝く御髪と磨き上げられた真珠を思わせる艶を放つ玉肌。


 それに加え、少女は高貴な生まれに相応しい品位を保ちつつも、過度な装飾を排して質素な雰囲気を醸し出す薄桃色のドレスを身に纏っており、ただそこに立つだけで会場中の人間全てに自分達とは隔絶した存在感を覚えさせていた。


 ……いたのだが、それだけだったらハンスだってそこまで心を奪われなかっただろう。


 彼だって、様々な土地を旅して数多くの人々と出会ってきたのだ。

 その中には、生まれ持った美貌を生まれた瞬間から周囲と自身で磨き上げ続けた貴族令嬢なんかもいた。


 なのに、その彼が数瞬とは言え呆然自失となってしまうほどの衝撃を受けたのは、未だあどけなさが残る御尊顔が、他の誰でもないハンスただ一人に向けて咲き誇る大輪の華の如き祝福の笑みを浮かべていた所為だった。


「――――――――――!  ――――――――――! ――――――――――――――――、―――――――――――?」


「…………、――……――――、――――――――――――――――」


 本当に嬉しそうな表情で、先の表彰者達に対して見せた儀礼に則った恭しい態度を瓦解させて祝福を告げるセフィロティア王女殿下と、思考停止状態から続けざまに呆気にとられてしどろもどろの言葉を返す当時のハンス。


 ハンスはこの時、自分がセフィーの質問を肯定する言葉を発したらしい事以外、その内容も含めて殆ど覚えていないが、セフィーが何を口にしたかは一字一句紛う事無く憶えている。


 彼女は『優勝おめでとうございます! 素晴らしい試合でした! これで貴方にも我が国の平和を守護する王国騎士団への入団資格が授けられるのですが、受け取ってくれますか?』と、公式の場に於いて相応しからざる砕けた言葉に万感の思いを込めてから、一抹の不安が混ざった微笑みで彼に問うたのだ。


 二年前の決闘祭典ドゥエルゼイゲンに出場するまで『闘争は悉く強奪であり、悲劇を齎すものに他ならない』という信条の下で生きてきたハンスにとって、戦闘を見世物にする祭典への参加など単なる旅費稼ぎの一環に過ぎなかった。


 しかし、この祭典で木剣を交え、人生で初めての血を流さない勝利を手にし、敗北した対戦相手が悔しそうにしながらも清々しい表情で彼の腕前を称え、それを観ていた者達からも両者の健闘を称える歓声を受ける内に、ハンスは『奪い合う』のではなく『与え合う』この闘争と、それを支えるこの国の平和が気に入り始めていた。


 そうして、最初は荒み切って感情が抜け落ちていた顔に少しずつ熱が戻り、予選を越えて本戦に至る頃には相手と観客とに笑顔を返せるまでになっていたハンスにとって、彼女の言葉は悉く琴線に触れるものだった。


 ――嘘ブッいてんじゃねぇよ。


 ――『国の平和を守る』?


 ――『民の安寧の為に戦う』?


 ――ハッ、そんな耳当たりの良いモンじゃねぇだろぉ、テメェの理由は!


 ――そんなモンなんざ理由の一割、いいや、一厘にも満たねぇだろぉ?

 ――大体、テメェがそんなモンの為にワザワザいけ好かねぇ騎士共とつるんだり、イヤみったらしい貴族共の雑音を聞き流せるワケねぇだろぉがよ!


「……………………まぁ、そぉだな…………その通りだ……家族も故郷も亡くして、教え導いてくれた師匠さえも喪って、独りで彷徨って……そぉして辿り着いた先で、あんな見た事ねぇぐらい綺麗な笑顔で祝って貰えたのが嬉しくって、見惚れちまって、それを一瞬でも曇らせたくなくて……だから、情けなくつっかえちまっても、後で頭抱えるかもしれねぇって分かってても、あの笑顔の前で――セフィーの前で、騎士になるって決めたんだ」


 ハンスがそう語った瞬間に彼の周囲がまたも暗転し、闘技場も表彰台も観客も、一列に並ぶ顔見知りを含めた戦士達やいつかの自分さえも消え去ったが、彼の脳裏にはただ一つの情景が焼き付いていた。


 ――ったく、手間掛けさせやがって。『セフィーの傍に居たいから』なんて理由で過去を振り切ったクセに、今更それを持ち出した挙句、自分で彼女を遠ざけてりゃ世話ねぇよ。


 ――大体、万一それでセフィーが止まった所で教団の方が向かって来たら、戦場に出て傍に居ないテメェに彼女は守れねぇだろぉが。


 ――分かるか、マヌケ。


 ――彼女がそんなに大事なら『守れなかった時』を想像して消極的に動くんじゃぁなく、守る為に最善手を打ち続けるしか手はねぇんだよ。


「うるせぇよ。そんぐらい分かってるさ……んで、テメェは結局何しに出てきたんだ?」


 暗闇の中で左頬の傷跡を掻くハンスは、脳裏に響く声へ突然現れた真意を問う。


 と言っても、結局は自問自答なのだからその答えも既に分かり切っているのだが。


 ――何って、決まってんだろ?


 ――テメェが泣かせた王女殿下に、また笑顔になって貰うんだよ。


 ――それ以外に、今の天涯孤独な俺チャンにとって大事にすべきものなんかねぇだろ?


 ――家族を亡くしたテメェにとっちゃぁ、あの信条とやらもさぞ大切なんだろうが、それで救ってくれた恩人を泣かせちまったら元も子もねぇんだからよぉ。


「……まぁ、な……下らねぇ怖れで尻込みして……ワザワザ引っ張り出した過去で言い訳して……そんで傷付けたまま放置ってのは、あんな笑顔を向けてくれたセフィーに申し訳が立たねぇよな」


 頭に響く声は何処となく得意気な笑みを溢してから、具体的な行動指針へと話を移していく。


 ――じゃぁ、帰るか。


 ――こぉゆぅのは間を空けると碌な事にならねぇって聞くし。


 ――そもそも、セフィーの敵に協力し続けんのは馬鹿げてるしなぁ……


 ――どぉせなら、さっき言ったみてぇに、連中を斃して手土産にするって手も――


「却下だバカッ!! セフィーが生首持って来られて喜ぶワケあるかッ!! 大体、下手にそんな真似したら、クヴェレンハイムに残ってる聖騎士共が黙ってねぇだろうがッ!! ……でもまぁ、適当な理由付けて帰っちまうのはアリか……? 丁度この村には常駐の王国騎士もいるんだから、聖騎士ハト共の監視役は押し付けちまえばいいし……」


 過激な案を斬って捨てたハンスは、それでも『セフィーの元に戻る』という案に対しては前向きな姿勢を見せるが、そこで脳裏に響いたのは小馬鹿にするような意地の悪い笑い声だった。


 ――……プッ、プァッハッハッハハハハハハハハハハハッハハハハハハハハハハハ!!!!!!


 ――この期に及んで何言ってんだぁ?


 ――テメェも聞こえてんだろぉが!!


 ――それともまた惚けてんのかぁ?


 ――!!


 ――テメェも早く動かねぇと、賭ける前に全部終わっちまうぞ?


 ――クッフッフッフ、クァッハッハッハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!!!!!


「あ? ………………ハァ……ったく、そぉいう事かよ……じゃぁ、しょぉがねぇ。先に仕掛けたのはアッチだし、セフィーに謝る前に死んでやるワケにもいかねぇし……何より、セフィーが望む未来ってヤツの為にも全額賭けぜんりょくで臨ませて貰ぉかねぇ……」


 可笑しそうに笑い転げる声と呆れ果てた溜め息を暗闇の中に残して、ハンスの意識は急速に浮上していった。

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