第32話


 ――――ザンッ!!!!!!


 騎士が振るった刃は、先に振るわれた双剣と同じくハンスを素通りした。


 だが、それでブロードソードが何者をも傷付けなかったわけではない。

寧ろ、最悪の結末を招いていた。


「……――――? ――――。――――!!」


 傷を負うどころか返り血を浴びてすらいない身体を見下ろすハンスが振り返ったその先で、何かに圧し掛かられた幼少ハンスは、信じられないものを見るような顔でそれを揺すり、呼び掛けていた。


 ハンスの身体をすり抜けて振り抜かれた凶刃は、騎士と幼い我が子の間に割って入った母の背中を深々と斬り裂いていたのだ。


 跳び込んできた母の身体が自らを通過して行った場面を目撃していたハンスは、母の背中に刻まれた傷口から覗く硬質な白色や微かに脈打つ赤色を目の当たりにし、自分が何もできなかったのだと悟った。


 父の亡骸を発見した時と違い、その身を蝕む無力感の所為で泣き叫ぶ事すらできないハンスだったが、不意にその亡骸の下敷きになっている幼い自分と視線が交わる。


「………………何だって……今更こんなモン見せやがった?」


 ――テメェが忘れたフリして逃げてるからだよ臆病者。


 何故か声が聞こえるようになった事についても、時が止まってしまったかのように動かなくなった騎士達や村を包む劫火の事も、この世界に存在する何もかもを無視して、ハンスの自問自答が始まった。


「忘れる? ハッ、バカ言え。こんな下らねぇモンなんか見せらなくても、この日の事は一瞬たりとも忘れねぇよ」


――ちげぇよバカ……だがまぁ、そうだな。テメェが進もうとしている先の景色は、まさにこれと同じモンだぞ?


 見下ろす傷顔ハンスは貼り付けたような無表情で僅かに首を傾げていたが、見上げる幼少ハンスの方は悪戯好きの妖精を連想させる顔をしていた。


「……? 分かってるさ、それくらい。セフィーの望む未来とやらが教団との敵対の先にある以上は、今見せられたような事がこれから腐るほど繰り広げられるって事だからなぁ」


 ――なら何故、未だセフィーに付き従う気でいる? 彼女の話の通りに上手く事が運んでエルレンブルクとルーメルニーの同盟が成ったとしても、大陸四大勢力の二つが――しかも大陸の中心を支配している連合が動く以上、ブリステラもフランキスも静観し続ける筈がねぇだろぉが。


 ――そもそも、地理的に連合各国とフランキスに囲まれちまってるエルレンブルクは、ただでさえ四面楚歌なんだぞ?


 ――もぉこの時点で、エルレンブルクの勝算が限りなくゼロに近い事ぐらい分かってんだろぉが。それで何故、テメェはこの先ほぼ確実に沈む泥船なんぞにしがみつき続けるつもりでいるんだ?


 ――『争いを引き起こした張本人達が死ぬべき』……なんだろぉ?


 ケタケタと耳障りな笑い声を上げる幼少ハンスは、血で汚れた幼顔に悪意が滲むような暗い笑みを浮かべたまま、自身と同じ色の瞳を真っ直ぐに射抜く。


 対して、それを見下ろすハンスの顔にも普段見せていた皮肉気な笑みが浮かんでいた。


「うるせぇな、ったく……何故って、そんなもん決まってる。セフィーみてぇに綺麗な理想を語りながら、それを叶える為の現実的な行動も起こせるような為政者こそが、この大陸を平和に導いてくれるからだろぉが。確かに同盟締結と連合脱退は大陸全土に戦を巻き起こすんだろぉが、そんなものは大陸に四大勢力が存在する時点でいつか必ず起こっちまう事だろぉがよ。だったら、教団の支配層みてぇにテメェの権威を守る為だったら自国の民さえ踏み躙るようなヤツらより、『国とそこに住む民の為に――』なんて事を真顔で言えるようなヤツを守る方がよっぽど有意義ってもんだ」


 ――…………ハァ~~……下らねぇなぁオイ。それがホントにテメェの理由かよ?


 傷顔ハンスがつらつらと流暢に並べた言葉をバッサリと切り捨てた幼少ハンスは、圧し掛かっている母の屍骸を無造作に押し退けて立ち上がった。


 ――だったら、質問を変えてやる。


 ――何でテメェは騎士なんぞになった?


 ――今言った事を二年も前の、セフィー本人の人間性どころか、エルレンブルクの情勢だってまともに知らなかった頃のテメェなんかに読めるワケがねぇ。


 ――なら、何でテメェは村を滅ぼした連中と同じ、大嫌いな騎士なんかになった?


「……それは、」


 『言い辛そうに』と言うよりは、『口にすべき言葉が見つからない』といった顔で固まってしまったハンスを、底意地の悪そうな光を湛えた瞳で見据える幼少ハンス。


 向かい合った二人の身長差は二フィート以上もあったが、何故か、眉間に皺を寄せて俯き掛けた少年騎士より、頬から血を流して顔と胸とを紅に染める幼子の方が見下ろしているように感じられた。


 ――『それは』?


 ――何だ?


 ――言ってみろよ?


 ――……もし、それが言えねぇなら、もぉ話は終わりだ。


 ――さっさと寝直しちまうといい。


 ――明日もまた早いんだろぉ?


「……それ……は…………」


 腕を組んだまま言い澱み、果ては沈黙してしまったハンスの顔を至近から覗き込む幼少ハンスは、呆れを込めた溜め息を吐いた。


 ――……ハァ~~~~……ったく、まだ引っ張り出せねぇってのか?


 ――ココに居る内は何だって見放題なんだ。いつまでも陰気クセェ背景なんか映してないで、そん時の場面に切り替えればいいだろぉ?


 ――アホか。


 そう言って、幼子は壁紙を毟るように燃え盛る故郷を――いや、この世界を毟り取った。


 赤々と燃え上がる家屋も赤々と倒れ込む亡骸達も、果てはそれを作りだした騎士達でさえも子供の小さな掌で容易く破り取られる。


 そんな、不可思議を通り越した不条理によって剥がされた世界の下から出てきたのは、黒雲の天蓋に覆われた月も星も見えない夜のような無明の空間だった。


 だが、いきなりそんな異質極まる闇の中へ突き落されたハンスに驚きは無い。


 元々、自分が夢の中に居ると自覚していたのも理由の一つだが、それ以上に、責めるような態度を取っておきながら態々協力してくれているような幼い自分が可笑しかったのだ。


「ハッ、何だよ? 生意気ばっか垂れてたクセに、ワザワザ手ぇ貸してくれんのか? 随分とお優しい事で――


 ――何言ってんだ?


 ――これはテメェがやった愚行バカの埋め合わせだ。


 ――これで何も引き出せずに戻ったりしたら、また泣かせちまうだろぉが。


 微かに蟀谷をヒクつかせたハンスが『誰を?』と問うより早く、世界に色が戻る。


 そこは一面が剥き出しの地面になっており、周囲を丸く囲う石壁が逃げ場を塞ぐように聳え立っていた。


 また、石壁の上は観客席として造られてあるらしく、夥しいほどの人数で溢れ返っている。

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