第29話

「――スゥゥゥ………………フゥゥゥ…………………………………………クソッ」


 横になりながら幼い頃に教わった呼吸法を駆使してなんとか気を落ち着かせようとしていたハンスは、その効果が全く得られていない事に苛立って余計に熱を溜め込んでいた。


 時刻は既に深夜。


 彼が居るのは先程案内された宿泊部屋、そこに据えられたベッドの上だった。


 此処は村唯一の宿という事で利用する客層も幅広く、その為、利用者に合わせた様々な内装の部屋が幾つも用意されている。


 中でも今回ハンスや聖騎士長の為に用意された部屋は、村長の好意から主に貴族や豪商などが利用する類の格式ある貴賓仕様となっており、置いてある調度品も細かな細工が施された物ばかりだった。


 まあ、元旅人なハンスとしては身体を休ませる以外の機能を必要としていないので、部屋のランクだの格式だのは高かろうと低かろうと気にならないのだが。


 それに、元々教団の聖騎士達どころか王国騎士相手でも反りが合わない者が多いハンスは、部屋で背負っていたバッグを下ろしてから向かった食堂で一人寂しく孤立気味に夕飯を済ませたとしても、今更特に不快に思う事も無い。


 ならば何故、先程からずっと不機嫌なのかと言うと――


「…………………………………………………眠れねぇ……何だってんだ、クソッ」



 なんて事は無い、ただの睡眠障害だった。


 その理由を今更繰り返すまでもないだろう。


 ただ、早く休んで明日からの捜索活動に支障を来さないよう思考を閉ざそうとした努力の成果か、彼の悪癖である一人問答は行われていなかった。


 それでも、気が立って目も頭も冴え渡っている現状では横になっているのも億劫に感じられてしまうようで、被ったシーツを撥ね退けたハンスは寝ながら抱えていた一本鞘の双剣を手に裸足のまま寝台を降り、入り口の扉から見て向かい側の窓際に置かれた椅子へと腰を下ろす。


 シーツの下から出てきたその身体は寝易いようにチュニックとブレーだけを身に纏った格好で、コートや鎧、籠手やバッグなんかの丈夫で重苦しい物はまとめて部屋隅のクローゼットに押し込まれ、同じように頑丈な分だけ重みのあるブーツもベット脇に置き去りだった。


 それなのに、ベッドからは重圧から解放された喜びの軋みが、椅子からは不条理な重みに抗議するような軋みが上げられる。


「やっぱ、慣れねぇ姿勢で眠ろぉとしたのが間違いだったかねぇ……」


 大人すら出入りできそうな大窓から差し込む月明かりに照らされたハンスは、貴賓室に見合った品質の柔らかい座面の上で愛剣を抱えながら立て膝を着いた。


 普段からと言うより数年に亘る旅人生活によって座ったまま寝る習慣がついていたハンスにとって、その姿勢はさっきまでの仰向け状態よりも馴染むらしく早速目を細めている。


 彼の少しばかり霞んだ視線の先には、椅子と一組になっている似た装飾の机が月明かりを受けて綺麗に青白く染められていたが、やがて、その視界には閉じ合わされた瞼の裏に広がる暗く穏やかな黒の世界が映されていた。




 そうして、個人用貴賓室の中に穏やかな寝息が満ちた頃、金色の鍍金が施されたドアノブに取り付けられた鍵が外側からゆっくりと回され、殆ど無音のまま解錠されてしまった。


 そこから一切の間を置かずに入室したのは三人。


 残りの二人は通路に残って扉の両脇を固める。


 彼らは皆、手慣れた様子で視線を巡らせて室内の状況を確認し始めた。


 来訪者達は顔も服装も隠す為か、ハンスが着ていた物にも似たフード付きの黒いロングコートを身に纏っており、足音も靴底に何らかの細工が施されているのか殆ど聞こえない。


 一見して物盗りにも思えるような怪しさ満点の格好だが、殆ど肌が露出してない点や衣の全てが黒で統一されている所為で、灯りの無い室内ではまるで幽鬼のように存在が判然としなくなっていた。


「……………………、…………、」


 巡らせた視線の先でベッドの上にクシャリと乱雑に避けられたシーツと皺の寄った枕だけが残されている所を発見した時は、一人の口元から微かに息を呑む素振りが確認されたが、続けて月光に照らされた椅子の上で微動だにしない人影を観取した時には、香る程度とは言え明確な安堵の吐息を漂わせてしまい、他の二人から向けられた咎めるような視線に気まずげな視線を返した。


 対して、来訪者達の視線の先で椅子に腰掛けている少年騎士は、背後からの侵入になど全く気付いていないのか、座面に両脚を乗せて立て膝を着き、その腕と足とで覆うように剣を抱えながら呑気に寝息を立てている。


「……………………………………」


 就寝中でも武器を手元に置いておく用心深さの割に起きる気配も無く無防備なまま背を向け続けるハンスを前に、揃いの黒衣を纏う来訪者達は僅かに目を細めながら懐へと手を伸ばした。


 彼らが懐から取り出したのは、ハンスの愛剣と同じく長さ二フィート未満の短い刀身を持つ細身のスティレット、それも夜間での使用に際して敵に視認されにくくなるよう、光沢を消すように刀身から柄尻まで全て黒く塗り潰されている代物だ。


 その凶器に片手でも扱いやすいよう短く設えられた柄を握り締め、各々が準備を整えた事を互いに視線を向け合って確認し、三人は少年騎士の元へと無音のまま滑るように迫った。


「「「………………」」」


 三人は互いに少年騎士を取り囲むような扇状の位置取りで立った事を確認して頷き合い、同じ訓練を積んだ事が一目で分かるような揃いの構えで剣を引き絞ると、それぞれが頭と首と心臓へと狙いを定め――


 ビュッッッ!!!!!!


 三つの切先が必殺の威力を持って、微睡みに沈むハンスへと放たれた。

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