第27話
……重く圧し掛かってくるような錯覚を覚える沈黙の中、手持無沙汰に考え事へ没頭し始めたハンスは元より、何が気に障るか分からず身動きできなくなってしまった可哀想な野兎も身動ぎ一つせずにいた。
平時のハンスならこの空気に耐え切れず何らかの行動に移っていただろうし、そもそも此処まで気まずい雰囲気が漂う事も無かっただろうが、今の彼には他人へ、いや、セフィー以外の事柄に割ける余裕など持ち合わせが無いのだろう。
まあ、そんな彼と対面せねばならない聖騎士達や宿の人間達にとっては、迷惑以外の何物でもないが。
「……そぉ言えば、最近この辺りで何か変わった事はありませんでしたか?」
その言葉が放たれたのは、このまま大広間が永久凍土へ変貌してしまうと思われた時だ。
突然の問いに、と言うより声を掛けられた事自体に驚いた兎系ウェイトレスは、その恐怖を雄弁に語るかの如くビクリと身体を震わせたが、幸か不幸か背を向けたままのハンスからはその姿は見えなかった。
だからと言って、間近に立つ恐怖の源泉の所為で硬直していた彼女がすぐに反応できたわけではないが。
「…………どぉしました? 何か心当たりでも?」
いつまで待っても返ってこない応答に業を煮やしたハンスが、再び振り返って童顔なウェイトレスへと視線を戻す。
その何処となく胡乱気な眼光に射竦められ、ただでさえ怯えていたウェイトレスはもはや涙目で小刻みに震えていた。
「――――ッッッ!! ……ぁ…………ぃ……いえッ! そのようにゃ事はありませんッ!」
恐怖で息を呑み、干乾びた喉をなんとか稼働させ、そうしてやっと言葉を発せたウェイトレスは、何と言うか……もう、生まれたばかりの小鹿のようになっている。
憐れ過ぎるその様を見て漸く相手の現状に気付けたハンスだが、やはりフォローを入れる意思など無かったようで、舌打ちでもしそうなほど不快気な空気を残して――ウェイトレスにとって、表情が変わっていない事が何よりの恐怖だった――視線を切り、態々彼女に背を向けてから口を開いた。
「そぉですか」
たった一言だけ言い残した少年騎士は、正面の扉を睨むように見据えながらそれっきり口を閉ざした。
もう限界まで追い詰められて生まれたての仔鹿状態なウェイトレスは、再び始まろうとしている拷問のような静寂を前に崩れ落ちそうになったが、間一髪で救いの手が差し伸べられる事になる。
記帳名『カエルム教聖騎士団』、その筆頭である聖騎士長の手によって、館の扉が開け放たれたのだ。
その聖騎士長を先頭にカエルム教の象徴とも言える十字が刻まれた鎧を鳴らす聖騎士達が次々と入館し、扉が開いて数十秒立つ頃には百名全てが入館を果たした。
その間に先頭に居た壮年聖騎士はカウンターの正面に立っている少年騎士を見つけ、足を止めずに広間を縦断する。
「御待たせした、ハンス・ヴィントシュトース卿。チェックインの方はもう済んでいるのかな?」
カウンターの向こう側で震えながらも微かに安堵していた顔見知りのウェイトレスを一瞥しながら、聖騎士長は灰髪の傷顔を見据える。
少年騎士の方もカウンターに預けていた左腕を腰の辺り――正確には腰に吊るした柄の上――に下ろしながら、挑むような瞳で以って正面に佇む巨体を見上げた。
「えぇ、大部屋三つと一人部屋が二つで六泊七日、キッチリ終わってますよ。部屋の方にはすぐに案内してくれるそぉです……ですね、受付さん?」
後半の言葉は背後の女性にも向けて言ったつもりだったハンスは、肩越しに首だけで振り返りつつも正面の聖騎士も視界に入れてウェイトレスからの返答を促した。
話を振られるとは思っていなかったらしい彼女は、予想外の問いにビクリと弾かれるような反応をしながらも、少年へ引き攣った笑顔を返しつつ無駄に音量の出てしまう喉を働かせる。
「――ハ、ハイッ! 勿論ですッ! 今すぐ係りの者を呼んで参りましゅので少々御待ち下さいッ!」
恐れで声が上擦っていたし、飲酒したように呂律も怪しくなっていたが、なんとかそこまで言い切ったウェイトレスは、足を縺れさせ掛けながらも逃れるように足早にカウンター奥の扉へと消えて行った。
取り残される形になった二人は、宿泊地に到着した安堵で気が緩んだ聖騎士達のざわつきを伴奏に、互いに表面上はにこやかな表情で口を開く。
「随分と時間が掛かったよぉですが、何か問題でもありましたか? 確か、聖騎士団の皆様は何度かこの宿を利用された事があると聞き及んでいるのですがねぇ」
「いやなに、単に馬を百頭も扱うとなると、それ相応の時間が要されると言うだけの事。其方こそ、何か問題でもあったのでは? 先程の彼女は随分と委縮していたようだが?」
「いやいや、問題などありませんよ。強いて挙げるなら、彼女には最近この辺りで何か変わった事が無かったか尋ねた事ぐらいですが、生憎と皆様の到着で訊きそびれてしまいましたよ」
「おや、それは申し訳ない。でしたら、後で我々の方から尋ねておこうか。この宿の人々とは幾らか面識があるから、きっと彼女らを怯えさせずに話を聞けるだろうし」
「それには及びませんよ。先程詰め所に寄った時に、常駐の王国騎士達から『この村にエルネスト・ロレンツォなる者は訪れていない』という話が聞けましたから」
「それはそれは。だが、情報はなるべく多い方が良いだろう。貴国の騎士達を疑うわけではないが、万一の見逃しが無いとも言い切れないだろうし」
「そぉですか? 村の出入口に立つ王国騎士達が見逃すとしたら、詰め所前を通らず柵を越えてこの村に入ったという事になりますが、司教殿には堂々と往来に姿を見せられない理由でもあるのですかねぇ?」
「まさか。ただ、過度な信頼は時として身贔屓となって判断を誤らせてしまうから、ある程度は客観的な視点での判断ができるように、と老婆心が働いたに過ぎんよ」
HAHAHAHAHAと白々しい笑いと共に談笑を続ける二人だが、彼らの眼の何処にも喜色は見受けられない。
互いに表情筋を駆使して強引に笑顔を浮かべ続けた上でぶつけ合ったネチネチとした
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