第25話
彼が跨る騎馬の影に隠れてしまわないように少しだけ脇に逸れて立ち止まったハンスは、悪怯れる様子も無いまま射抜くような瞳でその眼光と相対する。
「御待たせして申し訳ありません、フィデリオ・ジルベルト聖騎士長殿」
会釈でもするかのように軽く顎を引いたハンスから、平時の態度や騎士になる以前の経歴を
自身の感情を圧し隠せていると思っている少年騎士に自覚は無いのだが、今の彼は百戦錬磨の聖騎士達が反射的に身構えてしまうほど剣呑な表情になっていたのだ。
まるで人喰い熊とでも遭遇したかのように緊迫している部隊の先頭で、何処か王侯貴族にも似た巨大な権限から来る尊大さを香らせる壮年聖騎士は正面の傷顔に怯む素振りすら見せず、軽く頷きを返すだけに留めて固く引き結ばれていた口を開いた。
「いや、此方こそ面倒事を押し付けて申し訳ない、ハンス・ヴィントシュトース卿。それで、卿が此処に戻られたという事は、要請の方は受け入れて頂けたのかな?」
「ええ、万事抜かり無く。では、早速宿まで案内させて頂きますので、聖騎士隊への御指示の方を宜しく御願いします」
分厚い見た目に反して流れるように紡がれる問いに、再び軽く顎を引くだけの軽薄な礼と共に意を返した少年騎士は、聖騎士達に背を向けて来た道を引き返し始める。
聖騎士長の方も彼の態度に何か言うつもりなど無いらしく、ハンスが顔を上げ終える前には騎馬を操って後方へと振り返り、此処まで率いてきた九十九名に号令を下す。
「総員、移動を開始せよ!」
その圧と音量から雷鳴に喩えられる王国騎士団長のものとは対照的に、舞踏会の音頭を取るような芝居掛かった声が響き、夕闇の中で身動ぎ一つせず控えていた聖騎士達が動き出す。
そうは言っても、騎馬を駆る聖騎士達も先導する少年騎士が徒歩なだけに、今日一日走らせた馬を労わるような歩みとなっていたが。
薄闇の中で長い行列がゆっくりと行軍する様は何処となく長虫を連想させるが、既に日も沈むような時間帯では街道を利用する者の姿も無く、道の両脇に建った民家や商店、酒場などから零れる灯りが照らすだけだった。
いや、もし、この夜闇で暗く染められた鈍色の鎧と、重々しい雰囲気を纏ったまま黙々と歩き続ける百余名の行列を目撃する者が居たならば、まず真っ先に思い浮かべるものは葬列だろうか。
クヴェレンハイムの商店街でこんな陰気な行軍が突然行われたら、両脇の店から営業妨害で訴えられるかもしれない。
まあ、聖騎士達の言い分としては、殺気と呼んでも過言ではないほど張り詰めた空気を纏って射竦めてくる先導役の所為で余計なプレッシャーが掛かっているだとか、聖騎士長からそんな彼を決して刺激しないよう厳命されていた所為で更に気が重くなったとか、色々と言い訳はあるのだろうが。
一方のハンスにしても、取り返しのつかない最悪の失点を少しでも埋め合わせる為にも何かしらの任務に就きたいと思っていた矢先、主君が完全なる敵認定を下した連中との合同任務に参加させられ、更には自分以外に王国関係者が存在しない状況に置かれた事でおかしな方向に箍が外れようとしており、それを律し続ける事で普段の余裕が保てなくなっていたのだ。
こんな具合で百人と百頭と一人の軍列は蹄と鎧が鳴らす音以外終始無音のまま、棺桶でも運んでいるかのような様相で進み続け、百人と百頭にとっては途轍もなく長い時間を経て、一人にとっては瞬きほどの時間を経て目的の宿屋へと到着したのだった。
「此方が我々の宿泊する宿です。厩舎は建物の裏手ですので、馬は其方へ。私は先に宿で挨拶を済ませておきますから、ごゆるりとどぉぞ」
道のど真ん中で立ち止まって突然振り返ったハンスは、ヤードではなくフィートで五つ数えるか否かの近間で
それに返された聖騎士長の頷きは馬の至近に立つ少年騎士からは見えなかったが、二人ともそんな事などは気にも留めない。
「了解した。それではまた後程」
案の定、返事を聞き終える前に歩き始めた少年騎士を尻目に、聖騎士長以下百の騎兵もまた勝手知ったると言った足取りで移動を再開する。
ハンスが案内した宿兼捜索拠点は、自らが立ち上げた宿屋をたった数年で国内有数の名店へと育て上げた手腕を買われて村落の長に任じられた男の居城に相応しい立派な建物だった。
その大きさたるや、王国の中堅貴族の館を凌駕するほどだ。
と言っても、この路村がクヴェレンハイムとヴァスコールの間に在る都合で聖騎士達はそれなりの頻度で利用しているし、一応宮仕えしているハンスにしても驚嘆に値するほどではないが。
だから、先程の遣り取りの直前に上の空なまま通り過ぎてしまいそうになったハンスの足を止めたのは、横目に映った村の建造物とは思えないほど巨大で豪華な建物の存在ではなく、背後を歩く騎馬の足音が建物の前で止まったのを察知したからだった。
「――――…………チッ………………」
ガシャリガシャリと再び鎧を鳴らし始めた聖騎士達への敵意と戦地で覚えるものにも似た功名心に駆られるハンスは、片手の指と同じ段数の石段を上って扉に手を掛けながら気持ちを静める為に深く息を吸う。
そうして、少年が両脇の燭台に柔らく照らし出された重厚な両開きを押し開けたのは、身体に溜まった不要な熱ごと物騒極まる雑念を吐き捨てた直後だ。
少しばかり余剰な力も乗せて押し開かれた扉の向こう側に拡がっていたのは、吹き抜けの天井から吊るされたシャンデリアと壁に掛けられた幾つもの燭台で照らし出された大広間、そして、その奥に敷設されたカウンターの両脇から伸びるシンメトリーが美しい階段だった。
「お、御待ちしておりました、ハンス・ヴィントシュトース様……」
若干言い澱むような調子で出迎えの挨拶が放たれた直後、それなりの重量がある筈の扉が館の壁に当たって跳ね返り、少年騎士の背後で叩き付けるような音と共に閉じられた。
予め支配人兼村長の手配で手配されていたらしい出迎えの中年ウェイターが俯けていた顔を上げた先で見たのは、感情を圧し殺した所為で逆に冷徹さを余計に押し出している鬼人のような相貌だった。
その凶相の迫力は、日常的に屈強な聖騎士達を迎えているこの宿で長く勤めている筈の中年ウェイターでさえも狼狽させるほどの威力を放っており、受付で簡単な帳簿整理でもしていたらしいウェイトレス達までもが遠巻きに警戒を露わにしている。
「出迎え御疲れ様です。連れの者達もすぐに参りますので、先にチェックインを済ませても宜しいでしょぉか?」
「ハ、ハイッ。只今御案内致しますッ」
なんとか立て直そうとして失敗したらしいテッペンハゲの中年ウェイターの返事は、恐ろしく気が立っているように見える少年騎士への恐れからか、必要最低限の言葉数と必要以上の音量になっていた。
気負い過ぎて立ち居振る舞いに若干の不自然さが立ち昇るハゲウェイターのギクシャクとした先導に従って受付に向かうハンスを見て、滑らかに磨き上げられた受付机カウンターの奥で様子を窺っていたウェイトレス達の表情が凍り付く。
少年騎士としては入館してからずっと真摯な態度で接しているつもりなのだが、いかんせん纏った雰囲気と表情が凶悪過ぎたのだ。
一歩一歩近付いてくる鬼面を見て、彼女らは皆同じ思い――『連れて来んなハゲッ!!』――を抱いていたが、とにかく今すぐ背後の重圧から解放されたくて焦る中年ウェイターは人選にまで頭が回らなかったらしく、真っ直ぐ最短距離を突き進んでカウンターの前に立った。
その結果、哀れにも五分の一の不運を押し付けられてしまった童顔のウェイトレスに戦慄が走ったが、普段の教育の賜物か、それとも彼女自身の対応力によるものか、なんとか笑顔と呼べなくもないもので本音を隠す事に成功していた。
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