第24話
「……さて、戻っかねぇ」
呟いたハンスが歩き始めたのは、王都を出てボーデン湖沿いに南東へ進んだ先の国境近くに位置する『バンゲントーゼ』と呼ばれる小さな集落――村落の中でも、王都へ続く街道の休憩地点として生まれた路村である――、それを二つに割るように横たわる街道だった。
街道と言ってもクヴェレンハイムに張り巡らされた道路のように屋台や露店市が開かれる上に幾人もの人や馬車が行き交うような広さなどある筈も無く、精々二頭立て馬車が一台ずつすれ違えられるかどうかと言った程度の幅しかないのだが。
黄昏時の夕日に照らされて何処か切ない雰囲気を漂わせる道を進む少年騎士は、普段から着慣れているチュニックとブレーの上に、愛剣を吊るすベルトと前腕や手の甲に鋼板が仕込まれた革のガントレット、王国支給品で最も軽量な胸当て型のレザーメイルを装着し、更にそういった武装を覆い隠すようなフード付き太腿丈のハーフコートを羽織る、といった隠者を彷彿とさせる独特過ぎる戦装束を纏い、更に旅人時代から愛用している年季の入った革製のバッグまで背負っていた。
この戦装束だが、ハンスが騎士団に入団した当時、初見の騎士や
元々、任務中は簡易的な身分証明の為に騎士制服や王国騎士の紋章が刻まれた武具の着用が義務付けられていただけで、それ以外の服飾についてまでの規定は無かったのだが、騎士団に所属している貴族家出身の
まあ、そうした理由でその日に屋外戦闘場を利用していた騎士や
「……ったく、メンドくせぇ。まぁ、仮にも王国の領地で
不満顔で教団関係者を示す蔑称をぼやきながら夜闇が太陽を呑み込まんとする空の下を進むハンスは、この集落の村長にして村最大の宿屋を経営する老人との交渉を行った帰りだった。
少年騎士は今、屋外戦闘場での立ち合いの後に通された王宮の一室で、ジルベルト聖騎士長から教団の要人捜索及び救助への協力要請を受け、彼が率いるカエルム教七徳聖騎士団『フィデス聖騎士団』から聖騎士長自身を含めた聖騎士百名との合同任務に就いている。
その任務対象の要人と言うのが教団の司教でエルネスト・ロレンツォと言う名の人物なのだが、彼もまた今回の授与式に参加する為にクヴェレンハイムへと向かっており、その道中のバンゲントーゼ近郊で盗賊らしき武装集団からの襲撃を受けて行方不明となったらしい。
そんなわけでハンスが任された任務は、ロレンツォ司教の捜索と救出に際して拠点となるバンゲントーゼとの交渉――国対路村では立場の強弱的に『要請』だが――と、旅人時代の経験を生かした移動、捜索中の道案内だった。
ついでに付け加えるなら、水面下とは言え、殆ど完全な敵対関係に近い教団の実行部隊である聖騎士達の監視も任務の内に含まれるだろう。
とは言え、アイクが言っていた通り緊急性の高い任務だった為に、ハンスは任務説明を受けた後すぐに捜索隊と共に出立させられており、現在は既にファルカとの立ち合いを終えてから一夜が明けている。
いや、ハンスの主観としてはセフィーとの密会から既に二夜と言うべきだろうが、バンゲントーゼまでの先導や、捜索拠点となる路村へ先行しての交渉など、普段の皮肉が鳴りを潜めるほど無心で任務に没頭していた所為か、彼の中で微妙に時間の経過が曖昧になっていた。
「……取り敢えずこれで宿の方は手配が済んだワケだし、
西日を睨んで苛立ちのままに誰ともなく舌打ちするハンスは、左腰に吊るした双剣の柄を指先でココン、ココンと叩きながら集合地点を目指す。
国境にほど近い辺境とは言え完全にエルレンブルク王国領内に位置するこの路村には、周囲を囲う柵と村の出入口である街道の国境側と王国側に一つずつ王国騎士の詰め所が設けられており、彼はそこを聖騎士達との合流場所にしていたのだ。
ハンスは既に市場競争による吸収合併を経て村唯一の宿屋となった村長経営の宿で馬を預けており、王国側の詰め所前までさして距離も開いていなかった事も鑑みて徒歩での移動を選んだのだが、その足取りは表情と同じく優れない。
彼が此処に来た理由を知る者がその姿を見たら交渉の失敗を疑うだろうが、決してそのような事は無く、寧ろ、王国内でも有名な『
それに、この村に来るまでの道程で彼が予想していた聖騎士連中からの嫌がらせや誹謗中傷の類も――ついでに、余分な会話や接触なども――一切無く、聖騎士団と王国騎士一人の行軍は比較的穏やかな経過で終えている。
このように客観的には彼の周囲で不快の原因となるモノは見受けられないのだが、だからこそ、聖騎士達による空気のような扱いによって殆ど一人旅と言える旅路だったからこそ、ハンスの頭は二日前の夜に起こった出来事で埋め尽くされたままだったのだ。
(まだウジウジしてんのかよ、グズが。どぉすべきかなんて決まってんだろぉ? 今すぐ駆足で王宮に戻んだよ。そんで執政室の前でちゃぁんと息を整えてからノックして、御国の為に書類束と格闘してる王女殿下にこぉ言うんだ。『先日の一件は一から十までワタクシが間違っておりました。無知蒙昧、浅薄浅慮なるこの身の愚行を平に御容赦下さいませ。そして、御許し頂けた暁には貴女様の望む未来の為に、是非ともこの身を存分に使い潰し下さいませ』ってなぁ。どぉせ、テメェみてぇな一介の騎士にはもぉ動き出しちまってる王家を――セフィーを止める事なんてできやしねぇんだから、腹ァ括って戦い尽くすしか道はねぇだろうがよ)
「……せぇ……」
(分かってるとは思うが、こんな所で教団に貸しを作ったって今更セフィーの助けになんかならねぇからな。この国から連中を叩き出そぉってのに、高々司教一人の命で得られる貸しなんかが今更何の役に立つってんだっつぅ話だ……まぁ、見っけた司教の頸刎ね落として、ハト共のツラに投げ付けてやるってんなら、宣戦布告に丁度良いかもしんねぇけど)
「うるせぇ……」
(――いや、どぉせなら聖騎士共の首を獲る方がずぅーっと効果的かねぇ? なんせ、近い将来互いに剣を向け合う相手になるんだ。そぉなると連中はフランキスの強盗(騎士)共みてぇに国中で悪さ働くだろぉし、最悪の場合はセフィーにまで手を伸ばすかも――いや、政治的にはもうチョッカイ出されまくってるワケだが……まぁ、そうやって暴力に訴えてでも、金も土地も飯も命も奪い取ろぉってヤツらが、彼女をどぉ扱うつもりでいるかなんて想像したくもねぇだろ? そぉら、もぉこの時点で連中を生かしておく理由がねぇ。テメェは前に『剣を振(、)り(、)回(、)し(、)た(、)連中こそが死ぬべきだ』なんて甘い事言ってたが、王国の民に――いや、セフィーに手を出される前に、不埒な略奪者予備軍共を殺し尽す算段でも立てるべきじゃねぇの?)
「うるせぇって言ってんだろ」
(そぉだな……取り敢えず、一対百を覆す事から考えようか? 物量差を覆す策としては地の利を活かすってのがセオリーだが……そうだ! 確か連中が言ってた捜索範囲には森があったよなぁ? そこで背後から一人ずつ静かに、迅速に――ってのはどうよ? テメェが『疾風』になった『
「黙れってんだッ、何度も言わせんじゃねぇッ、クソッ」
……不快そうにブツブツと吐き捨てながら固く握った拳で己の額を叩く――と言った具合に、またもや危ない感じになっている少年騎士の姿が、そこにはあった。
予想するまでもなく、聖騎士達が必要最低限の事柄に対してしか彼に話し掛けようとしなかったり、彼と共に行動する移動中は仲間内ですら会話が無かった理由は、ハンスが纏った病的に危険そうな雰囲気に引いていたからだった。
ただ、ハンスにとっては幸運な事に、王都での祭事に合わせて行われた来賓達の大移動が終わった為、移動経路となっていたこの路村は平時以上に人通りが少なくなっており、彼の周囲に灰髪傷顔が浮かべる狂相を目撃する者は居なかった。
そんなラッキー不審者ハンスが額の痛みに引き戻される形で我に返ると、既に夕日は沈み切って夜の帳から緋色を溢す程度に追いやられており、数十ヤード先で灯された詰め所の明かりが十字を刻んだ鎧と馬とを照らし出している。
いつぞやのフランキス貴族達が纏っていた物と変わらないほど値が張りそうな白銀の板金鎧を前に、相変わらず不機嫌そうな仏頂面の少年騎士は、態々足を速めてやるような事などせずに黙々と歩み寄って行く。
そうやって焦らすような歩調を保ち続けるハンスを迎えたのは、騎馬に跨った聖騎士達の先頭で整えられた髭で飾った口元に静かな笑みを向ける壮年聖騎士だった。
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