浪人と妖刀と九尾の狐
ときは平安。
妖狐『玉藻前』と、人間の男の間に産まれた子狐は、両親だけではなく、両種族に可愛がられ、すくすくと育っていった。母親似のため、妖狐の部分が強く出ていたが、父親の教えもよく守った。
上皇の御所にも、親子でよく遊びに行っている。本来なら会うことも許されない立場のはずなのだが、なぜこんなに深い交流があるのか、今となってはわからない。子狐が覚えているのは、自身が上皇に懐き、そして上皇も、とても可愛がってくれたことだけだった。
ある日。
上皇が急病に罹った。医者が診ても、原因は不明。あたふたする宮中の者たちを尻目に、玉藻前は必死に、病を治すための祈りを捧げ、祝詞を唱えた。
昼や夜やを問わず、彼女は眼をかけてくれた上皇のため、妖力を惜しむことなく使う。しかし、生き物の不具合を治すのは、並大抵のことではない。こちらが出来ることは、言うなれば身体の細胞や免疫機能を鼓舞することだけである。
根本的な解決は、その身体が行わなければならないのだ。なので、どれだけ祈っても、治らないことも多々ある。そんなことはいやだ。必ず治して、また優しい笑顔を私たちに向けてほしい。
その様子を、怒りと憎しみのこもった眼で眺める男がいる。宮中に仕える陰陽師である。彼もまた上皇を尊敬するひとりなのだが、いかんせん思い込みが激しく、激情家であった。
「上皇が突然病に伏せ、しかも原因は不明という。これは、あの女の呪いに違いない」
なんとかこの女と、旦那であろう怪しい男と餓鬼を追い出したい。だが、この怪しい一家は上皇の寵愛を受けている。勢いで手を出すと、こちらが悪者になってしまう。
そこで、陰陽師はまず、根回しから始めることにした。上皇の病の原因はあの女であり、その証拠に毎日必死に呪詛を唱えている、と上下身分関係なく、宮中で働く様々な者にそれとなく伝えた。
今と違い、娯楽の少ない時代である。噂話も、人々の乾きと暇を潤すがごとく、勢いよく広まる。悪意を持って吹聴する者、世間話として何の気無しに人に話す者、様々である。
数日経ち、玉藻前の耳にも噂が届き始めたころ、満を持した陰陽師が彼女の前に立つ。
「玉藻前、といったか。上皇の病は、貴様の仕業であろう」
「何をおっしゃいます。私は、上皇の御病気を癒やしてさしあげようと」
「黙れ! 貴様は悪鬼の類に違いない。正体を暴いてやろう」
真言を唱える陰陽師。苦しみだす玉藻前。徐々に彼女は、元の妖狐の姿に戻っていく。九尾の狐。悪名高い、殷朝の妲己と同じ祖を持つ妖怪だが、玉藻前と妲己は直接関係はない。何より時代が全く合わない。
だが、妲己の話は今の日本でも語り継がれている。九尾の狐は悪の存在である。そういう印象が根付いているのだ。
陰陽師が呼んでおいたのだろう。宮中の者が集まりだし、玉藻前の姿を見て騒ぎ出す。玉藻前が妖狐であることを知るものは、上皇を含め限られた人数しかいない。もちろん、陰陽師も知らなかった。
「ほうら、皆さん! こいつが上皇を呪いにかけ、病魔の餌食となそうとした元凶です! 上皇も皆さんも、騙されていたのです!」
これはまずいことになった。早々にここから脱出せねば、と考えていたところ、騒ぎを聞きつけたのか、別室にいた夫と子狐が駆けつけてきた。
「どうした、なんだこれは」
「お前様、申し訳有りません。ここから離れましょう。上皇はもう、大丈夫でしょうから。さぁ、お前もこちらに」
玉藻前は妖狐姿のまま、夫と子狐をふんわり掴み、東の空へと飛んでいった。その様を、呆然としながら眺める宮中の者と、憎しみにまみれた眼で追う陰陽師の姿があった。
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