浪人と妖刀と座長の話

 江戸八百八町。天下は泰平、なべてこの世は事もなし。

 そんな平和な町の一角にある歌舞伎座で、ある男の昔話が始まる。


「私が何者か、ですか? 別に隠してはいませんので、お話しいたしますが…」

「どうした? きょろきょろして」

「いえ、恥ずかしくて」


 こう言ってはなんだが、座長は気性が少々荒い。気性が荒いというか、おそらく感情の起伏が激しいのだろう。そんな座長が、ここまで顔を赤らめて恥ずかしがるのは、少々面白い。


 まぁ、取り巻きの女どもや、歌舞伎の客には絶対に見せない表情を見せてくれるのは、信頼している証なのだろうと、嬉しくもある。


「お前が妖狐であることは、聞いているから知ってはいるんだが、その他がわからねえ。例えば、お前の親御さんは誰で、今はどうしているのかとか、やっぱ気になるんだよ。仲間としては」

「仲間、ですか。ふふふ、ありがとうございます。そうですね、何から話せば良いか…」


 座長は少し、考える。


「貴方方は、『玉藻前』という人物を、ご存知ですか?」

「ああ。よく知らねぇが、なんか悪い女だったんだろ?」

「その女が、私の母親です」

「へ?」

「悪い女…確かにそう言われていますが、私には良い母親だったのですよ」


 玉藻前。


 伝説では、九尾の狐という化け物にも関わらず、子の無い優しい夫婦に大切に育てられ、美しさと博識さを持って成長し、宮中に召し抱えられる。程なくして、鳥羽上皇に寵愛されるが、その直後から上皇が原因不明の病に伏せるようになる。


 玉藻前はその病の原因とされ、討伐された。その後、毒をふりまく殺生石となり、周囲を恐れさせた、と。


 大陸で悪行の限りを尽くした妲己と、同一人物であるとの言い伝えもある。要するに、この当時に起こった悪いことは全て、玉藻前のせいだ、というわけだ。


「母は、私に『人間を恨んではいけない』と、常に言っておりました」

「話が繋がらねぇな」

「はい。ただ、一度だけ母が私に語ってくれたことがあります。鳥羽上皇の病は、母が起こしたものではなく、逆に母はその進行を止めていたのだと」


 妖刀はさっきから、黙して語らない。


「上皇は、母のことを常に考えておりました。美貌も知識もあるけれど、後ろ盾のない女。推測ですが、そんな母を娘のように考えていたのではないでしょうか」

「しかし、伝説では妙な醜聞となっているわけだ」

「そうですね。誰が作ったかはわかりませんが、そういう話のほうが、人々にも伝わりやすいのでしょう」


 座長は話を切り、遠くを見る。穏やかな天気だ。


「上皇が、母に見合い話を持ってきました。聡明で、たくましくて、とても素敵な方だったそうです。そして、その方との子供が、私でした」

「じゃあお前さんは、九尾の狐と人間の、間の子だってことかい」

「はい。どちらかというと、母に似たようですが。上皇の病がひどくなったのは、それからです。これもまた推測ですが、娘が無事、世帯を持ったということで、安心してしまったのではないでしょうか」


「ただ…」


 座長が言い淀む。


「うん? どうしたんだい」

「ああ、いえ。関係ないと思うので、やめておきます。まあ、それで母と父は、あらぬ疑いをかけられ、那須野に追放されてしまったというわけです」


 伝説とだいぶ違う話の内容に、浪人は少々イライラしている。妖刀は相変わらず何も喋らない。もし、座長の母の言う事が事実だとしたならば、悪いのは人間ではないのか。


「なあ、妖刀! お前はどう思うんだ。これは人間が悪いんじゃあないのか」

「お前はどうせ、そう言うと思っていたから、今まで黙っていたんだ。馬鹿め。少しは考えろ」


「ああ?」

 浪人は激昂しかける。が。


「座長の母君は『人間を恨むな』と言ったんだぞ。それを人間のお前が恨んでどうする。そもそも、九尾の妖狐一族が本気になったら、人間などとうに滅んでいる。いや、人間だけじゃなく、この国の全ての生きとし生けるものと、妖怪が、な」

「じゃあ、これはいったいどういうことなんだよ。なぜ座長の母ちゃんと父ちゃんはそんな仕打ちにあってんだ」

「母君と、父君の思いがあったのだろう。とりあえず、話を聞いてみようじゃないか。なぜ座長が、日本の二大妖怪の長と、やたら一目置かれるじいさんに、そこまで目をかけられるのか」

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