戦国天神伝・壱の巻1

 二〇二二年(令和四年) 五月下旬  十川廉次


 爺の連絡を待って早一週間。信頼していないわけではない。だが、文字通りの大金を預けているのだ、途中経過くらいは知らせて欲しい。

 じっとしていても何かが進むわけではないので、戦国時代で何が起こったか、この一週間勉強し続けた。これをノートにまとめていく。他の収支を記録しているノートと混ざってしまわないように表紙に題名をつけなくてはな。


 戦国時代で自在天神を騙る。うん、戦国天神伝でいいや。これに決まり。


 それではここまでまとめた歴史を振り返っていく。

 まずは織田家、俺が介入しているから考えるだけ無駄。次に行く。

 北条家、記録にない尾張訪問だったが特に問題もなく帰国するはず。帰国した後は享禄二年、つまり来年の一五二九年末に氏康は元服する。これは親父さんの北条氏綱の左京大夫任官と合わせる形だ。そして、公的には先んじて親父さんだけが名乗っていた北条性を改めて使用して北条氏康となるな。

 この時、北条家は扇谷上杉家の上杉朝興と南武蔵の支配権の奪い合いを続けており、武蔵を強固に護るため、武蔵府中に近い小沢城に嫡男である氏康を置いた。

 そして翌年一五三〇年の六月、上杉朝興が甲斐の武田信虎、コイツが有名な信玄坊主のパッパだね、と同盟して共同で北条領に攻め込んでくる。

 小沢城の守備兵は氏康隊千人程に対して、朝興の軍は五千越え。城なんてまともに守ることは厳しい。だけども氏康は五倍という圧倒的な数の差に上杉朝興が油断していると判断して、上杉朝興を奇襲し勝利を収めた。これを小沢原の戦いというらしい。とりあえず北条家についてまとめたのはここまで。分かったことは北条家はしばらく快進撃が続くってことだな。仲良くしておいて間違いない。


 お次は隣の美濃斎藤家。斎藤道三こと暗躍クソ蝮、別名斎藤利政は一五二八年時点では西村勘九郎正利を名乗っている。

 資料によると、美濃守護である土岐家の頼武・頼芸兄弟がバッチバチの守護は俺だ! 骨肉主導権争いレース! を繰り広げて弟の頼芸が家督争いに敗れる。

 しかし、蝮こと西村勘九郎正利の策略により頼武は大逆転ホームランを食らって美濃からたたき出されて越前に。そのまま頼芸が守護になったのが一五二七年、しばらくの間は家督争いは落ち着くが、一五三五年に頼武の息子である頼純が美濃に戻ろうとして大荒れになるって話。織田家とは国境は接しているけど今のところ大きな戦には発展してはいないみたいだね。腹の中ゴタゴタしすぎてそれどころじゃないだけだろうけど。


 ここが重要、六角家。六角家は遠因だが、志能便の里がボロボロになった原因である。故に印象はあまりよくない。

 それはともかく、現在の六角家について語るのは非常に面倒くさい。京の町を取り囲む両細川の乱を説明しないといけないからだ。一五〇九年から一五三二年まで京都の主導権争いを繰り広げたんだから大したもんだよ全く。

 両細川の乱に関しては別に織田にいる限りは巻き込まれないとは思うが、何が役に立つかわからないので天神伝には割と詳しく書いてある。


 まず、始まりは一五〇七年に細川政元が養子の細川澄之一派に暗殺されたことだ。後にこれは永正の錯乱と呼ばれる大騒動に発展していく。

 補足しておくと、この細川政元は明応の政変と言われる将軍の挿げ替え、京兆専制と呼ばれる、管領を一手に自身にすることで幕政を牛耳ったり、さらに比叡山焼き討ちを行ったり、畿内つまり京都の周辺にも出兵するなんかしちゃったりして細川京兆家の全盛期を築いた割とイケイケの政治家だ。

 当時において日本での最大勢力にのし上がったが、生涯修験道に没頭して女性に興味を持たず死ぬまで独身を貫いたため実の子はいない。

 だけど家は存続させないといけないので養子を迎えたが、その養子が三人。少しわかりずらいのでキャラ付けして目玉焼きには塩派の細川澄元・醤油派の細川高国・ソース派の細川澄之としておこうか。

 当然のように家督争いが生じ、細川政元もその争いに巻き込まれる形でソース派の細川澄之家臣に暗殺されたのが上に記した永正の錯乱の火花になる。

 そんな中で養子の一人である塩派の細川澄元や彼を支持していた三好之長も細川澄之たちに殺されかけると近江の甲賀に逃げたが、すぐに逆侵攻をして細川澄之を討ち取って、細川澄元が細川氏の当主になった。

 まぁ、こんだけ滅茶苦茶やって政治が混乱すれば欲を出す奴がいる。そうだね、明応の政変で割を食った奴、足利義稙だね。

 足利義稙は周防(現在の山口県)の大内義興を頼って上洛を画策。塩派の澄元はお爺ちゃんや醤油派の高国と手を組んで大内義興と和睦しようとするが、目玉焼きに塩をかける澄元とはやはり相容れない高国は伊勢参拝と称して伊賀守護の元へトンズラしてしまう。

 さらにさらに、塩派の澄元の領国である摂津と丹波の国人たちは三好之長への不満から醤油派の高国を支持したため、旗色が悪くなった塩派の面々は近江に逃げる。

 その後は管領に醤油派筆頭の細川高国、管領代に大内義興、そして足利義植は再び将軍に返り咲いた。


 戦国天神伝をそこまで書き進めるとお供にしていたお菓子と飲み物がなくなってしまった。少し休憩してから続きを確認しようか。


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