使者とアヒル
一五二八年(大永八年) 七月初旬 尾張国畔村 十川廉次
「なに? 伊勢家の使者が来た?」
「おう。なかなかにあやつらも苦しいみたいだな」
外出するときに戸口の血しぶきが挨拶してくれる旧畔太郎邸。今は俺の拠点であるそこで、孫三郎とジャーキーをつまみにノンアルコールビールで乾杯していると、孫三郎が不意に重要な情報を漏らした。
伊勢家、現代でいうと北条家だな。伊勢宗瑞こと北条早雲は戦国下剋上の代表格で、小田原城に根付く後北条家の礎となった人物だ。
そして、現在の北条家当主である早雲の息子、氏綱もまた傑物。父である早雲の敷いたレールを外敵である上杉や武田、古家公方などから守り発展させている。
調べた情報によると里見がやらかした鶴岡八幡宮の戦いをうまく使って、一五二七年に鶴岡八幡宮を焼いた責任を小弓公方に負わせて復興賃をもぎ取り、公方の鼻っ柱をへし折ることで北条の周りは実質的な停戦状態になっているはず。
それに加えて北条の拠点である相模こと伊豆には金山があるはずだから金には困らないと思うが。
俺が顎に手を当てて疑問に思っていると、孫三郎が笑いながら答えてくれた。
「米だよ米。あそこら一帯は戦のし過ぎで飯がないんだ。だから、取引がある津島を通じて使者を立てて米を用立ててくれと言っておるんじゃ」
なるほどな。一五二四年から戦争してるんだっけ? 小康状態と言ってもまともに作物が出来ないわな。
「で? お前の兄貴はどうするつもりだ?」
「来た使者が使者だからな、対応に悩んでいる。それに伊勢家、いや北条から使者が来た原因はお前にもあるのだぞ」
いやないだろ。なんでもかんでも神に責任を擦り付けるなよ。
「天神様の御使いへのお目通りを次期当主になるであろう嫡男が求めているんだ。明らかにお前のせいだろう」
ノンアルコールビールを吹き出す。次期当主って北条氏康じゃねぇか。
嫡男を使者に立てるってどんな神経してるんだよ。
「寒川神社宝殿と箱根三所大権現宝殿、相模六所宮に伊豆山権現を再建した故にお目通りをさせていただく資格はあると付き添いで来た北条現当主の弟、北条左馬助が言っておっての」
「再建は相模の支配者を主張したかっただけだろうに。武家は厚かましいな」
「まったく以てそのとおりだ!」
ガハハと笑う孫三郎にデコピンをする。
いちちと大げさに痛がる孫三郎に俺は織田弾正忠家の対応を聞いた。
「弾正はどうするつもりだ」
「お主に丸投げするつもりだぞ。会いたければ会えばいいし、面倒で突っぱねるなら織田家が責任をもって護ると。
ただ、断る場合はお主が使者を立ててキチンと断らないと今後の交易に角が立つかもな」
ようは織田家が頭ごなしに突っぱねたわけじゃないって証拠がいる訳か。
「そうそう。寄進として北条は相模の金を持ってきていたぞ。城で預かっておる」
「会う会う会う! いやぁ、信心深い北条家に会わない訳ないじゃないか! ハッハッハ」
◇
「そんなわけで明後日は俺がいないから、緊急の際は黙阿弥の判断でよろしく」
「承知しました。こちらのことはお任せください」
山の上の社で志能便の棟梁である黙阿弥に指示をする。俺たちが過ごしていた山の社近辺は俺主導の開拓が進み、志能便の隠れ里が着々と完成に近づいている。
「それじゃあ軽く、今の進行具合を確認するか」
「はっ。現在建築中の建屋は二つ、我らが住居と社裏手の川近辺に決めた鳥小屋です。
鳥小屋のほうはまもなく完成いたしますが、住居は今しばらくかかります」
「うんうん、家ができるまで社の中で寝泊まりしていいから」
「ありがとうございます。お預かりした水鳥の雛は無事に孵り、現在は七匹まで増えております。ある程度成長するまでは我らが手引きするの予定です。
また、十川様からお預かりした畑も枯れることなく、粛々と育っております」
「完璧じゃないか。褒めて遣わす」
ありがたき幸せ、と平伏する黙阿弥。いちいち平伏するからめんどくさいんだよコイツ。
黙阿弥の言っていた水鳥とはアヒル。俺が現代から有精卵をしこたま持ってきて孵化させている。繁殖して捌いて肉にするのを志能便の仕事にするつもりだ。現金収入がないと生活できないしね。肉を俺が買い取って津島に流すってのを大橋さんと契約しているから流通は大丈夫、あとは雛が育つだけだ。
アヒルって羽根はガウンに使えるし、肉は丸々食えるしでこの時代だと鶏より便利なんだよね。冬に安全な暖房とかないから。
それに鶏は時告げ鳥と言って食すのを忌避する人が多い。食うもんないくせに選り好みするなよと思うわ。
そんなわけで、とりあえずアヒルから育てて意識改革をしていこうと思い立ったわけ。ちなみに孫三郎や信秀、大橋さんは肉食を忌避しないでバリバリ食ってる。織田家って信定が実利主義なので全体的にそんな感じらしい。
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