第10話   爺を覚えていらっしゃいますか!?

 船を港にロープでしっかり固定して、僕たちはお爺さんを連れて、これから大荒れするであろう海から離れた詰所へ出発することにした。


 浜辺に海の家とか造れたらいいんだけど、ここは観光客が楽しめる場所じゃないしな〜、採算が取れないどころか、従業員がケガしそうだ。


「クリストファー様」


 ベルジェイが僕に耳打ちしてきた。


「あの老人の名前には覚えがあります。ですが、訪問の要件が不明なうえ、何をしでかすのか読めませんから、今はまだ私の存在を隠しておいてください」


「うん、わかってるよ。君のタイミングに合わせるね」


 そっか、ベルジェイにとって、知ってるかもしれない人の名前なんだ。ベルジェイはこの国に移って十年くらい経ってるから、お爺さんの見た目も十年分は変化してるだろうし、お互いにいまいち見覚えがなく感じるのは、自然なことだろう。


「ニャア……」


 ずっと腕の中にいたスリープが、元気ない感じの鳴き方をした。疲れちゃったかな。


「スリープ、だるい? 馬車で待ってる?」


「……」


 甘えるように僕の脇に鼻先を突っ込んで、動かなくなっちゃった……一緒にいたいってことでいいのかな? 弟のオリバーが教えてくれたんだけど、猫は匂いを付けたり匂いを嗅いだり、好きな相手には匂い関係でいろいろするんだって。


 ……え、ちょっと待って、僕、臭い!? 動物の嗅覚が人より優れてるのは知ってるけど、ここにはもう一人、動物並みの嗅覚してる女の子がいるんだよ、やだよ臭いとか思われるの、どうしよう〜!


 ……あれ? ベルジェイがいない。すぐ後ろにいると思ってたのに、海辺で揺れる一艘の船のそばで、じっとしてる。


「ベルジェイ、どうしたの?」


「クリス! 危険ですから、そこで止まってください」


 険しい声で制止されて、びっくりして立ち止まった。


 え? 危険??? 今度は何事?


「って、君は大丈夫なの!? 一応、護身用に小さいナイフは持たせてるけど、海で起きる危険の全てに対処できる大きさじゃないよ」


「……」


 ……。僕も静かにしてなきゃ、ダメ?


「お連れ様がいらっしゃったようですね。観念して出てきなさい!」


 ベルジェイが声を荒げる。船は、波に揺られるままに上下していた。でも、階段を上ってくる足音と、揺れる前髪が見えてきて、船底に隠れていたらしき男の子(?)が甲板に上がってきた。


 え、男の子、だよね……? 服のせいかな、黒と赤のチェス盤みたいなチェック柄が、ユニセックスでわかりにくい。派手な色合いがとっても似合ってる、むしろ彼にしか着こなせないくらいなんだけど、性別が、ぼんやりとしか判断できないや。


 真っ黒な髪の色なんて、初めて見るよ。


 あ、お爺さんはヒゲは真っ白でふさふさなんだけど、髪の毛は薄くて色とかわからないや。服装は、白の一張羅がよれよれになっているよ。この旅、過酷だったんだろうな……。


「ボクが船底に隠れてること、よくわかったね。こんなに海風のうるさい場所なのに」


 うわ、声も中性的だ。手足もスラッとしてて華奢だし、もしかして女の子なのかな? 一人称はボクだけど、ベルジェイだって男装してるしな。


「はい。疲労感に満ちた深いため息が、聞こえましたもので」


 ええ〜? 相変わらず、すごいなぁベルジェイは、波打つ音を掻き分けて、よく他人の呼吸音なんて聞き取れたな……いつも思うけど、ベルジェイが生きてる世界って、僕が想像してるよりもずっと過酷なんだろうな。


 ん? 黒髪の男の子が、あのお爺さんが立っている方向に顔を向けたぞ。


「お爺ちゃん、ミニ・ブルーベル姫を見つけたよ」


「なにぃ!? 本当か!!」


 あ。


 ああああ! しまった、バレた!!


 ベルジェイも、「あ」って顔してる……。普段から僕のことを怪しい人たちから守ろうとしてくれてるから、つい癖で、違和感のある場所を特定して調べようとしちゃったんだ……おまけに、ここまで研ぎ澄まされた感覚の持ち主なんて、滅多にいるもんじゃない。今ので完全にバレてしまった。


 男の子は感情の読めない無表情で、船から降りる際も堂々としていて、なんだか僕の人生の中で、今までに会ったことないタイプの予感がした。


 お爺さんは無遠慮にもベルジェイの両手をがっしり掴んで、彼女の顔を覗き込んで涙ぐんでいた。


「おお、こんなに立派になられてー! 爺を覚えていらっしゃいますかな?」


「ええ、あの、はい……会えば挨拶する程度でしたね」


 ありゃりゃ、ベルジェイの愛想笑いが引きつってる。あんまり親しい関係じゃないみたいだね。お爺さんは自覚してない様子だけど。


 お爺さんは、あの男の子の腕を掴むと引き寄せて、ベルジェイの前に押し出した。


「これは孫の、イノセント・ミュールダールです。儂を心配して、付いてきてくれたのですよ」


「違うよ、無理やり連れてこられたんだよ。どうするの、お爺ちゃん、こんなことしたのがバレたら国家反逆罪で逮捕されるよ。ボクのキャリアとか考えてくれたことあるの?」


「なーにがキャリアだ! 忠誠なき出世など、汚職で成り上がるのと変わらんわ!」


「ハァ、これだからお爺ちゃんは孤立するんだよ」


 イノセント君は静かな雰囲気だけど、絶対すごく怒ってる。すくめた肩が尖ってる。身内同士だけど価値観が全く合わないみたいだ。


 ふえっ、イノセント君と目が合った。


「ねえキミ、ミニ・ブルーベル姫と立ってる位置がすごく近いね。毛むくじゃらまで連れて、不敬だよ」


「あ、あわわ……」


「それとも、不敬が許される身分なのかな。例えば、この国の王子様とか。姫のことも呼び捨てしてたよね、ベルジェイって」


「うう……不敬が当然だなんて、そんなこと思ってないからね。僕はファンデル国の第二王子、クリストファー・ファンデルだよ。外務大臣のお孫さん、初めまして。いつもベルジェイにはお世話になってます」


 ほんとにお世話になってるもんだから、スリープと一緒にペコリとお辞儀した。


 でも次に顔を上げた瞬間、僕はお爺さんから顔面パンチを食らうところだった! 寸でのところでベルジェイが僕の襟首を引っ張って(ぐええ!)後ろに下がらせたから、何事もなかったけれど、イノセント君に羽交い締めにされながらも大暴れするお爺さんに、僕はゾッとした。


「なっ、なんで僕のこと殴ろうとするの!?」


「なんでだと!? 貴様ら、姫様を襲って孕ませおったくせに! とぼけた顔して、なんで? だとおおお!?」


 あ……


 あああ!! この噂、もうティントラールまで届いてたの!?


 そしてお爺さんの声が大きいよ! 周りに丸聞こえじゃないか。ああもう、さっそく周りからヒソヒソ言われてるよ〜。


「姫様って、どういう意味だ?」


「あの執事さんが、王子様の子供を妊娠してるってこと? ええ!? 男の人じゃなかったの!?」


「うちの国の王子様って、三人とも独身よね? 正式に認められてない子供ってこと?」


 どうしよう〜!! 周りが勝手に推察してゆく〜!


 ひとまず、このお爺さんとお孫さんを馬車に乗せて、お城に連れて帰ろう。密入国者だけど、ティントラールの要人であることに変わりはないからね。


 あああ~、気分転換に海に来たのに、とんでもない事になっちゃったよ。


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