第7話 スリープと一緒に
もう時間も遅いから残り湯でもいいよって、メイドに言っておいたのは僕なんだけど、こんなにぬるいとは思わなかった……。
さすがに、お湯を足してもらったよ。うちの国は深夜だとお湯が出なくなるから、わざわざ人の手で沸かしてもらったんだ。
あーあ、よけいに疲れちゃったよ……。
グッタリしながら、部屋に戻った。ふと、愛猫の顔が脳裏をよぎって、大慌てで隣の部屋に駆け込んだ。
「スリープ、調子はどう? 背中は痛くない?」
「ブルニャア」
犬用ベッドにドドンとビッグな老体を横たえている、黒猫スリープ。背中とお腹を一周する包帯が、最近やっと取れたんだよ。よかったぁ。
スリープは太い尻尾で床をペシペシ叩きながら、僕を見上げて喉をゴロゴロ。
僕がティントラールに行っちゃったらさ、スリープは、寂しがるかな。それとも、わりと平気に過ごしてるかな。できるなら一緒に連れて行きたいんだけど、体の弱い高齢な猫だからなぁ、海を渡るのは危険かも……。
寂しいけれど、屋敷から遠出する僕の代わりに、スリープのお世話はメイドに丸投げしよう。そして、もしも僕が何年過ぎても一向に帰国できなかった場合は、誰か猫好きな優しい人の元へ、スリープを譲渡しよう……あぁああ悲しいよ~!! だって僕ずっとこのお屋敷で、スリープと暮らすつもりだったんだもん……人生ってどんなことが起きるかわかんないけどさ、僕はスリープの死に水を取ってあげたかったんだよ〜。
僕は犬用ベッドごと持ち上げて、スリープを膝の上に置いた。ゴロゴロ言いながら僕を見上げるスリープと、おでこをすり合わせる。
「初めて会った時は片手に乗るぐらい小さかったのに。目だって開いてなかったのに。今じゃこんなに大きな猫になっちゃって……置いて行きたくないよ、スリープも一緒に、海を渡ろうよ……」
ベッドごとスリープを抱きしめながら、僕は心の底から、お願いしてた。でも返事の代わりにスリープは、満月みたいな丸い目を半分閉じて、眠そうにしてたから、やっぱり体がだるいんだろうな~って、僕はゆっくりと腕を緩めてベッドを床に戻したよ。
「無理だよね、わかってるよ。ちょっと言ってみただけ」
ゴロゴロ言いながら、黒くて長い尻尾で僕の手の甲をペシペシ叩くスリープ。僕が尻尾の先端をつまむと、嫌だったのかシュッと尻尾が引っ込んだよ。ふふ、まだまだ元気だね。
「親バカならぬ、飼い主バカかもしれないけどさ、ティントラールの人たちへのお土産は、スリープそっくりの黒猫グッズに変更しようかな。僕が自信を持ってお勧めする、世界一可愛い猫グッズだよ」
「ニャア……」
「眠いの?」
「フム……」
フムだって、変な鳴き声だな。
もうお年寄りだから、体がだるいんだろうな、そっとしとこうか。
立ち上がって、部屋を出ようとしたら、
「ニャア〜〜〜」
甲高い声で、寂しそうに鳴くからさ……後ろ髪が鷲掴みされたように引っ張られてしまった。
……健康診断とか触診って理由なら、もう少し触っててもいいよね。
「じゃあ、もう少し一緒にいようね」
「フヌ……」
スリープはあったかいんだよね、撫でてるとすごく癒される。あ、伸びてた爪先が、カットされてる。爪切りしてくれるメイドがいるんだよね、やってくれたんだ。あーあ、もう少し僕に時間があったらなー、飼い猫との時間を積極的に増やせるのにな。
「綺麗に爪を切ってもらったんだね、よかったよかった。お年寄りだから、元気に爪研ぎができないもんね、定期的に切らないと。僕もね、今日、正妻さんから爪のことをギャイギャイ指摘されたよ。見られてないようで、意外と見られているのが指先と、爪の美しさなんだって。僕も最初に聞いたときは、細かいなぁって思ったけど、こうして自分やスリープの手を見てみたらさ、確かに、手が泥だらけな人や、爪が伸びきってる人、見ていて痛そうなくらい手がガッサガサな人は、エレガントには見えないかもね」
手をお互いにくっつけ合わせて、大きさ比べ。スリープの手は小さいなぁ。肉球と鼻の色って、同じになるのかな。スリープは鼻も黒いんだよ。真っ暗な部屋だと、満月カラーの目だけがキラーンッて光ってて、ちょっとびっくりする。
「クリストファー様? いらっしゃいますか?」
お? ベルジェイの声だ。
「うん、ここにいるよー。スリープの部屋で休憩してるんだ」
「明日の予定の打ち合わせがあるのですが、入ってもよろしいですか?」
「あ、そっか。うん、どうぞー」
そうかそうか、明日の予定の打ち合わせに来たのか。ちょうど今日で正妻さんのレッスンも、とりあえずだけど完了したことだし、明日からまたティントラールに渡るための支度に集中しないとな。
あー! いろいろと急がないとー! 頭ぐるぐるする。
「失礼します」
扉を開けて入ってきたベルジェイは、いつも通りの真面目顔だった。気まずそうにも、顔を赤くして目を吊り上げてもいなかったよ。火傷もしてないみたいだった。
「オリバーがぬるま湯が好きでよかったよ。ベルジェイ、さっきはお風呂場に飛び込んじゃって、ごめんね」
「え? どうかお気になさらないでください。小さい頃はよく一緒に入っていたではありませんか」
「小さい頃はね? 当時は浴槽がなかったから、シャワーだったね」
よかった、念のため確認してみたけど、ベルジェイは怒ってなかったよ。もしかしたら僕のことを、オリバーと同じ歳に思ってるのかもしれないけど。いや、さすがにそれはないかなー? ……断定できないのが悲しいよ。
「ベルジェイも、スリープのそばに座ってよ。なんだか今日、すごく寂しがってるんだ」
「あ……最近のクリストファー様は、ご多忙でしたので、それで拗ねてしまわれたのかもしれません」
「ああ、そうかも! ほんとにごめんね、スリープ~! もう僕みたいな忙しくなった人間には、ペットを飼う資格なんてないんだ……」
自分で言ってて、すっごく悲しくなってきた……。子供の頃からずっとお世話してて、ずっと心配してて、どこに行くにもずっと一緒でさ、そんな掛け替えのない存在から「一緒にいる資格がない」と突き付けられてしまったら、海でも公務でも、どこでも連れて行きたくなっちゃうよ~!
「スリープ、僕は海を渡る支度があるから、またしばらく忙しくなるよ。待っててくれる~?」
「クリス様……」
あ、ベルジェイに心配させてしまった。いつまでもスリープを抱きしめてめそめそしてる場合じゃないよね、僕は、もう、変わっていかなきゃならないんだから……ハァ。
「クリストファー様、これからはなるべくスリープ様も、お連れしましょう」
「え? でも、スリープはずっと寝てるわけじゃないんだよ。あちこち移動するし、猫砂だって用意しなきゃだし」
「はい、ご用意いたします」
ベルジェイが優しく微笑んだ。
その後、将来は獣医さんになりたいオリバーの提案で、ペット用の乳母車にスリープを乗せて、さらに飛び降り防止用の、伸縮性のある紐も体にセットして、スリープと僕は一緒に時間を過ごすことができるようになったんだ!
スリープはずーーーっと乳母車から頭半分をのぞかせて、僕を観察していた。満月みたいなまぁるい目で、僕の動きを追っていた。
「明日はお土産の発注のために、街へ行くよ~スリープ」
「ニャア!」
連れてってもらえるって、わかってるみたいな返事だな。
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