第6話 ベルジェイの赤ちゃん
「あらぁ、おかえりなさいませ、クリス様」
玄関で楽ちんなスリッパに履き替えてたら、ミニ・ローズ姫が歩いてきた。お出迎えしてくれたみたい。僕の上着とか、ノートが入ってる鞄を預かってくれたよ。
あ〜、足痛い……
「ただいまぁ」
正妻マーガレットさんのスパルタ指導は、夜の十一時まで続いたよ……。僕は今日ずーっと、お城の応接間でテーブルマナーやら歩く時の姿勢やら、ウィットに飛んだ会話とやらも、まあまあ学んできたよ。なんか、ルールの多いおままごとって感じだった。だってさ、本当はバナナなんて手でむいてパクッていきたいのに、フォークとナイフを使って切り分けるしさ、周りの目を意識してキリッとした姿勢で歩くのって、本来の自分じゃないしさ、何より、心にも思ってないことを口にして、いつ裏切るかもわからない人と友達ごっこしなきゃいけないっていうのが、本当に気持ち悪かったよ……。
僕はてっきり、信用に足る人物だと思ってもらいたいから姿勢よく歩くもんだと思ってたからさ……ものすごいカルチャーショックだったよ。本来の自分を見せてはいけない、だって相手は、敵だから……社交会には、この方程式を胸に抱いて挑まないと、あっという間に揚げ足を取られて、気づけば孤立して役職を失い失脚。ハァ〜、やだやだ、異様な空気なんだろうなぁとは薄々思ってたけど、想像以上だったよ。
そんな過酷な場所に、ベルジェイも連れてきていいのかな……。僕が疲労したり傷つくのは構わない、でも、彼女が僕を庇おうとして代わりに倒れてしまうのは、本当に嫌だった。
何が彼女にとっての幸せになるのか、楽しみになるのか、僕にはそれがわからない。実際に彼女といろんなことを試してみないと、彼女自身の反応がわからない。
しかもベルジェイは無理したり、頑固なところがあったりと、僕のためだったら無謀なこともしちゃうから、心配だな……。
「マーガレット様と、どのようなお稽古をされてきましたの?」
「うーん、たぶん、君に鼻で笑われるような基本的な事から学んでいったよ。今の歩き方、結構いいと思わない? 空から糸が降りてきてね、僕の頭をピーンと引っ張ってるっていうイメージで歩いてるんだけど」
「お疲れ猫背で、顔色も悪いですわ。今オリバー様がお風呂に入っておりますの。もうすぐ出られる頃だと思いますから、次にどうぞ」
「そうなんだ、弟の世話は今誰がしてるの?」
「お姉様ですわ。わたくしが引き受けると何度も申し出たのですけれど、オリバー様ったら、わたくしに裸を見られるのが恥ずかしくなったと言って、急にお一人で入ろうとなさるものですから、お姉様が慌てて同行いたしましたの」
ふ〜ん、ベルジェイとお風呂に入ってるのか。まだオリバーはちっちゃいし、万が一にも浴槽で溺れてたら大変だからな。ベルジェイも結婚相手にしか裸を見せないーとか、もうそんなのこだわってないみたいだから、何の問題もないな。
って、あるじゃんか!! 最も気をつけなきゃいけない最大の問題が!!
「ちょっと待って! ベルジェイはぬるま湯じゃないと火傷するんだよ!」
「え?」
「オリバーが熱めのお湯をかけちゃったら大変だよ! 僕、行ってくる!」
疲れすぎて、頭が回ってなかったよ! ベルジェイは人の十倍ぐらい感覚が鋭いんだから、ぬるま湯でちょうどいいんだよー!
僕は急いで浴室に駆け込むと、返事も待たずに扉を開けてしまった。
「ベルジェイ! 大丈夫!?」
「あにうえ、お先にお風呂いただいてます」
そこには、全身を真っ赤にただれさせて横たわっているベルジェイの姿が……なんてことはなく、二人して肩まで湯船に浸かってたよ。
「あ〜、よかった〜……」
心底ほっとして、その場にうずくまっちゃったよ。もう立てないよぉ〜。
「おかえりなさいませ、クリストファー様」
「あ、うん、ただいま……。お風呂、お邪魔してごめんね、部屋に戻ってるね」
僕はのろのろと立ち上がった。いつまでもここにいて風呂場の扉を開けっ放しにしてたら、二人が風邪ひいちゃうからね。
あの猫足バスタブ、最近取り付けた物なんだ。それまでは、ずっとぶっとい水道管むき出しの、シャワーしかなかったんだよ……このお屋敷は、昔はお城として使われてたのにさ、どうにもお風呂に関心がない人たちが多かったというか、忙しくてお湯に浸かる暇もなかったのかな……。まぁ僕もシャワーでいいかって思ってたから、最近まで湯船を設置しようとも思ってなかったんだけど、オリバーがさ、お庭で汚れた猫を拾ってはシャワー室をめちゃくちゃに汚して、本人もずぶ濡れになるから、半ばオリバーのために底の深い浴槽を取り付けてもらったんだよ。
今度から、浴槽の中に猫たちを入れて、上から優しくお湯をかけたり、ペット用洗剤で洗ってあげたり、これならオリバーも頭からベタベタになって風邪をひかないだろう。本当にもう、大人を振り回してくれるなぁ。
「あにうえ、ベルジェイのお腹に赤ちゃんがいるって本当ですか?」
お風呂場の扉をきちんと閉めた途端に、オリバーからそんな質問が飛んできたから、僕はびっくりして、また扉を開けてしまったよ。
「オリバー! 誰からそんな話を!」
「ミニ・ローズ姫からです。ベルジェイのおっぱいがこんなに大きいのは、子供への授乳のためなんですよね。授乳期の母猫も、こんな風によく目立つようになるんですよ」
僕はまた慌てて扉を閉めていた。そっか、オリバーはベルジェイが胸に晒しを巻いて執事服を着ていることを、知らないんだ。だから、急に胸が大きくなったように見えたんだ。それを、犬猫と同じように考えちゃうんだから、このままだとオリバーは少しズレた子に育ちそうだな。
「オリバー様、あまりそのような話は、人間同士では避けた方がよろしいかと」
「え? そうなの? 動物はいいのに、人間はダメなの、どうしてなの?」
「動物は気にしませんけれど、人間は気にしてしまうのです。特に、女性の胸部について話題にするのは避けましょう」
そうだそうだー。オリバーもデリカシーとか身に付けないと、僕みたいになっちゃうぞ。
あ、後で僕もベルジェイに謝らないとな、そのー、必死だったとはいえ、お風呂、覗いちゃったし……。
「ベルジェイは、いつあにうえと交尾したの? 動物には発情期が決まってるんだけど、人間には決まってないんだって。交尾した日付がわかれば、あかちゃんのお誕生日が何月になるのか、だいたいわかるんだよ」
ハハハ……図鑑で覚えたての知識を、僕とベルジェイに当てはめないでほしいな。
「あとね、出産はすごーく痛いんだって。ベルジェイ、痛いのこわい? 麻酔があるから、大丈夫だよ。でも術後は痛いみたい。ベルジェイ、こわいけどがんばってね、ぼく、弟か妹がほしかったんだ」
あのねー、もしもベルジェイが赤ちゃんを産んでも、オリバーの兄弟にはならないんだよ。父上の養子になるならともかく。
「オリバー、そろそろお風呂から出る時間じゃないかな? ミニ・ローズ姫から、そう聞いてるよ」
「あ、そうでした。あにうえ」
「ん?」
「あにうえはメアリー様の寝室で生まれたんですよね。じゃあ、メアリー様とお父様は寝室で交尾されたんですね」
「オリバー、人前で交尾とか多用しちゃだめだよ、デリカシーがないって嫌われるよ」
僕は嫌な予感がして、オリバーの声を遮るように注意した、でも全然静かになってくれなくて、
「あにうえはベルジェイと、どこで交尾したんですか?」
僕は早めにお風呂に出るように釘を刺すと、浴室を後にした。ごめんベルジェイ、君がめちゃくちゃ質問攻めされてる声が聞こえる……。
それにしても、僕もなんの質問にも答えられなかったな。こういう細かい設定も、考えとかないとダメなのかな? 世の中、デリカシーがある人ばかりじゃないんだ、あまりにも僕がはぐらかしてたら、ベルジェイの妊娠が嘘だってバレちゃうかも。
……その、どっちから誘ったのかとか、聞かれたり、するのかな……。ちなみにベルジェイは僕の国よりも格上の王女様だから、どっちみち手を出した僕のクズさが正当化されることはないんだよね。たとえベルジェイの方から誘惑してきたとしても、僕は立場をわきまえて、丁重にお断りするべき、なんだよな普通は。
あ、しかもベルジェイから誘ってきたって設定にしたらさ、彼女は自分の立場を利用して、僕の国で放蕩行為に耽ってる不良王女になってしまうな……。
え? じゃあ、僕が襲って無理やり、って設定にした方が自然ってこと? しかも一回の交わりで妊娠するかどうかは、わからないんだよね、じゃあ僕が、彼女が妊娠するまで何度も襲ったって……ちょっと待てえ!! 僕の評判が地の底じゃないか!! 世紀の大罪人だよ! だって、大事にお預かりしますって条件で一緒に暮らしてた異国のお姫様を、格下の、しかも側室から生まれた第二王子が? とんでもない野蛮人兼野心家だよ。
うぅ、この設定だと、ベルジェイがひたすらかわいそう……そしてキングベルジェイを穢した罪で、僕も大勢から憎まれ恨まれ……? 僕、暗殺されない!? いやもう、惨殺されてもおかしくないかも!!
うへぇ、大国ティントラールに渡るの怖いや……。僕はなんて大役を引き受けてしまったんだろう、大貧乏くじだよ。
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