第5話   正妻さんが来た……

 お母様との勉強会は数日続いて、僕はベルジェイの生まれ故郷がとても独特な空気であることに、戦々恐々していた……。いや、ある程度は覚悟してたよ? どこの国でも、永遠に解決しないんじゃないかってぐらい問題があるのは、知ってたよ? でもさ、あんなに発展してる国なのに、まだキングベルジェイ伝説を信じていて、まるで永遠のアイドルに全員で心酔してるかのような国民性なんだよね……。


 ベルジェイの国の統治者的な立場の人たちは、みんな頭抱えてると思うよ。だって、キングベルジェイとそっくりな子が王族に生まれたら、その子が王様にならない限り、何をしても国民の大半が納得してくれないんだから。ゾッとするよね。デモも起きてるみたいだよ。政治家さんたち、かわいそ~……。


 そして、そんな中で帰国するベルジェイも、その彼女の付き人の僕も、とってもとってもかわいそう!!!


 どうしたら彼女が普通の女の子で、王様になるなんてとても難しいくらい特殊な体質をしているんだって、周りに理解してもらえるんだろう……。デモを起こしてる人たちは、ベルジェイの体質のことを、たぶん知らないんだろうな。自分たちの国を、どうしても伝説のキングベルジェイに治めてほしいんだ。それが「かっこいい」から。


 ……これはかなり気難しい国民性だぞ。普通さ、貴族たちが悪いことをしていて、税金を湯水のように使って豪遊して、すぐに枯渇した税金を民から絞り取る……なんてパターンが、国が荒れる典型だったんだけど、ベルジェイの国は国民が原因っていうね……。


 僕は、テラスでの勉強会の間、ずっと木陰で待機しているベルジェイに振り向いた。一緒に座ろうよって言っても、従者だからここにいますって聞かないんだよね……。彼女も従者としての生活が長いせいか、僕とお母様と椅子を並べているよりも、後ろで控えてる立場の方が、落ち着くんだってさ……それをこっそり聞かされた時は、ショックだったよ。だって僕、一緒に並んでお勉強したかったんだもん……。


 それでもベルジェイは耳がとてもいいから、お母様と僕の話はちゃんと聞いている。疑問や質問は、「奥様、質問があるのですが」って、ちゃんとお勉強に参加してるんだよ。本当はね、隣に座ってほしいんだけどね……ずっと木陰の下で立ってるんだよ。椅子を持ってきてあげても座らないし……ほんと頑固だなぁ。


 ん……?


 聞き慣れない足音だな、でもこの歩き方はよく知ってるよ……兄上とオリバーのお母様だ。この国の王様の、つまり父上の正妻さんだね。名前はマーガレットって言うんだよ。でも、誰からも可愛い愛称は付けられない、本人もそんなことされたら激怒するような、とにかく気難しいオバちゃんなんだ。お父様からもマーガレットさんの話が出たことは一度もないんだよね……政略結婚でギリギリ生活を共にしている、ギスギス夫婦なんだ。


 そんな人が、何をしにここへ来たんだろ。僕がこの足音に聞き覚えがないのは、僕のお母様が暮らす離れの柔らかい芝生や飛び石を、マーガレットさんが踏んで音を鳴らすって状況が、今まで一度もなかったからだよ。


 あ〜、だらだらと脳内で一人語りして現実逃避してる場合じゃないよね。お母様同士で争わないためにも、この場の唯一の男である僕が、気象の荒いマーガレットさんをなだめたり、八つ当たりされる役を引き受けないとな、あ〜憂鬱だ〜。


「失礼、お時間よろしくて?」


 僕が振り向くより先に、鋭い針のような声が飛んできた。僕、この声も苦手なんだよな。


 お母様が心配そうにしながら、マーガレットさんを見上げていた。椅子から立ち上がって、「ええ、何でしょうか?」と要件を聞く姿勢をとっている。


 僕も椅子から立ったんだけど、ちょっともたもたして、つまづいちゃった。これから社交会に出るって言うのに、優雅さのかけらもないなぁ。


 マーガレットさんは、またどこかにお呼ばれに行っていたのか、ブランドものの大きな女優ハットに、ブランドものの大きなサングラスをかけて、おそらく外出先の誰よりも豪華で目立っていただろう、ブランドもののカッチリした茶色っぽいドレススーツを着てた。こんなにゴテゴテした格好してるのに、よく似合ってるんだよねぇ。カーラーでふわふわにお手入れした金髪は、じつは茶髪を染めてて、本当は兄上とオリバーと同じ色なんだよ。でもマーガレットさんは、お日様みたいな色が好きみたい。


 たぶんね、笑ったらすごく美人なんだと思う。でも僕だけ一度も笑ったところを見たことがないんだよね〜。社交場では愛想がいいそうだけど、僕ら親子に対しては、常に臨戦態勢なんだ……。


 マーガレットさんがツンと鼻先を上向かせて、まるでハエにたかられて迷惑しているかのような露骨な腕組みをして見せた。


「ギルバートから聞きましてよ。ティントラール王国に、そちらの第二王子が赴くそうですね。それも、我が国の代表として!」


 声が若々しく聞こえるのは、いつもキンキン声で文句言ってる姿が子供っぽく見えるからだと、僕は思っている。


 お母様が何か返事をする前に、僕が「はい」と正直に肯定した。隠してたって、すぐにわかっちゃうことだしさ。


「僕にとって初の渡航ですが、大義名分を背負い、必ずこの国にとって有意義な外交を果たして参ります」


「そんなこと、この国の王族の血を引く者ならば当然の責務ですわ。しかし、納得がいきません。なぜ今まで一度も外交の場に出なかった第二王子が、うちのギルバートを押しのけて、あのティントラール王国へ赴くのでしょう?」


 ああ、なるほど……この状況が気に食わないから、僕の役割を兄上に譲れって言いに来たんだね。マーガレットさんを説得できるかわからないけど、僕からも説明を入れないとな。


「今回の人選は、兄上が行いました。思慮深い兄上のことですから、きっと何かお考えがあってのことだと思います」


「ギルバートでしょう? 第二王子」


 う……そうだった、忘れてたよ、この人こういうところがあるから嫌いなんだよなぁ。父上も兄上も、呼び名なんて気にしてないのにさ~。


「し、失礼いたしました、今回の人選は全てギルバート様によるもので、僕はそれに従っただけです。社交場に顔を出さなかったのは、僕の落ち度です。今はそれを猛省し、兄上、じゃなかったギルバート様と母上の力を借りて、勉強させていただいております。付け焼刃ですのでギルバート様ほどの手腕はありませんが、必ずやこの外交を成立させ、末永く我が国とティントラール王国の良好な関係性の維持に勤めてまいります」


 嘘は言ってないよ。兄上がマーガレットさんに全て話してるとは思えないし、ベルジェイのことは黙っておいた。


 これで納得してくれるかな、マーガレットさん、すんごく大きなため息ついてるけど。僕、けっこうがんばって兄上を持ち上げたよ?


 あー! お母様も余計な気を遣わなくたっていいのに、お茶はどうですかとか、クッキーはいかがですかとか、こんなに機嫌の悪いマーガレットさんとお茶なんて嫌だよ僕。


「いいえ、今日は焼き菓子をいただきに足を運んだわけではありませんの。第二王子、あなたから露見する些細な非常識が、この国の価値を大きく下げることになります。夕飯の後は、城を訪ねなさい。わたくしが社交界のマナーをコーチしてあげますわ」


 ええ〜!? 嫌だ。めっちゃ嫌だ。どうせさんざん揚げ足取りしたり、わざと意地悪な教え方して、兄上の株を持ち上げたいだけだろう? 兄上を差し置いて、僕が大きな国に行くことを、ひがんでるのが顔に出てる。


 お母様はこの展開をどう見てるのかな? 気になって顔色を確認してみたら、目を丸くしてマーガレットさんを眺めていた。


「母上、どうされましたか?」


「クリス、あなたは知らないかもしれないでしょうけど、マーガレット様の社交界での礼儀作法は、本当に素晴らしいのよ。直々にご教授いただけるなんて、とても幸運だわ。頑張ってね」


 応援されたよ! どうしよう! 夕飯後が憂鬱だよ〜!! もう、夕飯も憂鬱になってきたよ。



 ……でもね、この時の僕は、彼女の厳しい処世術のおかげで、大いに助かることを、まだ知らなかったよ。感謝なんてしたくないけどね~。


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