第12話

三つ目の楔が砕かれた瞬間、学院を包んでいた「平穏な学び舎」という仮面は完全に剥げ落ちた。廊下は亀裂が走り、天井からは魔導装置の部品が降り注ぐ。生徒たちはパニックに陥り、我先にと校門を目指して逃げ惑っていた。

 その逆流に逆らうように、俺は学院の最奥にそびえ立つ「理の塔」へと足を進めていた。

 第四の楔。それは、これまでの物理的な仕掛けとは一線を画す。俺の『眼』に映るのは、空間そのものが「影」によって腐食された、底の見えない闇の結界だ。

「……主様、気をつけて。この先にいるのは、これまでの魔導師とは『格』が違います」

 影の中に潜む白(ハク)の声が、かつてないほど緊張に震えていた。

 塔の最上階。重厚な扉を蹴破ると、そこには広大な書庫と、窓を背にして座る一人の老人がいた。

 学院長、アルフレッド・ゼーマン。

 この国の最高賢者と謳われる男だが、俺の眼には、彼の背後から無数の漆黒の触手が伸び、それが地下の騰蛇(とうだ)へと繋がっているのが見えていた。

「……見事だ。魔力値五の少年よ。いや、異界より来たりし『陰陽師』よ」

 学院長は本を閉じ、静かに立ち上がった。その瞳には、知性とともに、千年の時を生きる怪異のような濁りが宿っている。

「……俺の正体に気づいていたか」

「この学院は、魔力を集めるための巨大な装置。そこに異質な理(ルール)が混じれば、嫌でも気づく。だが、まさかこれほど短期間で三つも楔を壊すとはな。……おかげで、騰蛇の力が漏れ出し、私の『不老の術』が解け始めている」

 学院長の肌が、パラパラと灰のように崩れ落ち、その下から赤黒い肉が覗く。彼は騰蛇の強大な生命力を直接吸い取ることで、数百年もの間、死を回避し続けていたのだ。

「自分の命のために、神将を燃料にするとは。……この世界の賢者というのは、ずいぶんと質が低いらしい」

 俺は「炎の小太刀」を構えた。だが、学院長は不敵に笑い、指をパチンと鳴らした。

 

 ――ズズッ。

 俺の影から、無数の黒い手が伸び、俺の足を、腕を、そして喉を拘束した。

 

「第四の楔――『影の罠(シャドウ・トラップ)』。それは侵入者の影そのものを変質させ、自身の力で自身を縛らせる術式だ。貴様が強ければ強いほど、その拘束は逃れられぬ鉄鎖となる」

 影の手が俺の肉体を締め上げる。骨が軋み、肺の中の空気が押し出される。

 白もまた、俺の影の中で拘束され、助けに出ることができない。

「くっ……自分の影を使うとは、古典的だが厄介な術だな……」

「終わりだ。貴様の魂も、騰蛇と共に私の糧となれ」

 学院長が杖を振り上げ、トドメの魔弾を放とうとした瞬間。

 俺は、激痛の中で唇を吊り上げた。

「……『不老』に固執するあまり、忘れたか? 影とは、光があってこそ存在するものだということを」

 俺は体内の呪力を練るのではない。

 第四の楔そのものが、騰蛇の力を吸い上げているパイプであることを利用したのだ。俺は影の拘束を通じて、逆流するように地下の騰蛇へ「真言」を送り込んだ。

「――応えろ、騰蛇! 契約の印に基づき、その怒りを一瞬だけ俺に貸せ!」

 ゴォォォォォン!!

 学院全体が、これまでの比ではない衝撃に見舞われた。

 俺の影を突き破り、内側から眩いばかりの「太陽の光」が溢れ出した。騰蛇の炎が、影の結界を内側から焼き尽くしたのだ。

「なっ……!? 影を、光で焼き切っただと!?」

 拘束から解き放たれた俺は、空中で一回転し、床に降り立った。

 俺の全身は、黄金色に輝く炎の衣に包まれている。

「第四の楔、破壊完了。……さあ、学院長。最後の一つは、地下の『本体』の前にあるはずだ。そこまで案内してもらうぞ」

 俺が指を弾くと、炎の衣が巨大な衝撃波となり、理の塔の壁を粉砕した。

 崩れ落ちる塔の中で、俺と学院長の最後の戦いが幕を開けた。

 地下から響く騰蛇の咆哮は、もはや怒りではなく、主との再会を待ち望む歓喜の叫びへと変わっていた。

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