第9話

太陽が地平線の向こうへと沈み、空が群青色から漆黒へと塗り替えられる頃。学院の喧騒は止み、代わりに人工的な魔導灯の明かりが石造りの廊下を冷たく照らし始めていた。

 学生寮の自室で、俺は静かに精神を研ぎ澄ませていた。

 同室の生徒たちは、俺が魔力値「五」の劣等生であることに興味すら失い、街へ遊びに出かけるか、あるいは高度な魔術理論の暗記に没頭している。彼らにとって、俺の存在は風景の一部に過ぎない。

「……白、準備はいいか」

「はい、主様。認識阻害の結界、いつでも展開可能です。学院内の哨戒(しょうかい)魔導人形(ゴーレム)の巡回ルートも把握いたしました」

 俺は学生服の上から、前世の装束を模して呪力で編み上げた薄い黒衣を纏った。この服は光を屈折させ、物理的な視覚だけでなく魔力的探知からも俺の存在を消し去る。

 窓から音もなく飛び出し、俺は学院の北側にそびえ立つ「時計塔」へと向かった。

 この塔は学院のシンボルであると同時に、地下から吸い上げられた騰蛇の力を、学院全体の照明や実験設備へと分配する「第一の中継地点」としての役割を担っている。

 塔の入り口には、二体の重装甲ゴーレムが鎮座していた。それらは侵入者の魔力波長を感知し、登録されていない者が近づけば即座に焼き尽くす殺戮兵器だ。

(魔力に反応するなら、魔力を使わなければいいだけの話だ)

 俺はゴーレムの正面を堂々と歩き抜けた。

 呪力によって完全に気配を遮断した俺の姿は、ゴーレムのセンサーには「ただの空気」としてしか映らない。金属の巨体の間をすり抜け、塔の内部へと侵入する。

 内部は歯車の回転音と、絶え間なく流れる魔力の「唸り」に満ちていた。

 階段を駆け上がり、最上階の機関室にたどり着く。そこには、直径二メートルはあろうかという巨大な水晶――『魔導分配核』が、どす黒い輝きを放ちながら鎮座していた。

(……酷いな。騰蛇の炎を無理やり冷気に変換し、動力源として使い潰しているのか)

 水晶の中では、炎の神将の力が、本来の赤ではなく、苦痛に歪んだどす黒い紫色に変質して渦巻いていた。この水晶を破壊すれば、学院の機能の五分の一は停止するだろう。だが、ただ壊すだけでは警報が鳴り響き、騰蛇の魂にまで反動が行ってしまう。

「白、周囲の『不純な魔力』を抑え込め。俺が術式を上書きする」

「御意!」

 白が塔の四隅に飛び、浄化の結界を張る。

 俺は水晶の前に立ち、両手で複雑な印を結んだ。

「――北斗七星、天を巡り、地を鎮めん。不浄なる枷を解き放て」

 俺の指先から、金色の呪力が糸のように伸び、水晶の表面に刻まれたこの世界の魔術回路へと侵入していく。

 この世界の魔術は、命令系統が驚くほど単純だ。力でねじ伏せることしか考えていない。俺は、その回路の隙間に陰陽術の「理」を滑り込ませ、分配の方向をわずかに――しかし決定的に書き換えていく。

「な、何者だ……!?」

 背後から、鋭い声が飛んだ。

 振り返ると、そこには夜間警備を担当していた教師、そしてあの公爵令嬢リリアーヌが立っていた。彼女は居残り訓練でもしていたのか、偶然この異変に気づいたらしい。

「貴方、昼間の……レオン・アルバーン!? そこで何をしているの!」

 教師が杖を構え、火炎の魔術を起動させようとする。だが、その炎は霧散した。

 この塔の中の魔力は、すでに俺の支配下にある。

「無駄ですよ。この場所の『理』は、今、俺が書き換えました」

「馬鹿な……詠唱もなしに、学院の基幹システムを乗っ取ったというのか!?」

 教師が戦慄する中、リリアーヌだけは、俺の背後で輝く水晶の「変化」に気づいたようだった。

 どす黒い紫色の光が消え、そこには透き通るような、清らかな真紅の炎が宿り始めていた。

「これ……魔力が、浄化されている……?」

「公爵令嬢、貴女には視えるようですね。この学院が何を燃料に、その繁栄を維持しているのかが」

 俺は最後の一撃として、水晶の中央に『開』の文字を刻んだ。

 パリン、と小さな音が響く。

 水晶は砕けなかった。しかし、そこから伸びていた地下へのエネルギー供給線が、完全に切断された。

 途端、学院全体を震わせるような地鳴りが響いた。

 分配核から解き放たれた騰蛇の力の一部が、俺の手元へと集束し、一振りの「炎の小太刀」へと姿を変える。

「……主様……お迎えに……」

 小太刀から、かすかな、だが力強い騰蛇の思念が届く。俺はそれを優しく握りしめた。

「ああ、待たせたな。残りの部位も、すぐに取り戻してやる」

 教師が恐怖に腰を抜かす中、リリアーヌだけが、俺の姿を食い入るように見つめていた。その瞳に宿っているのは、敵意ではなく、言葉にできないほどの衝撃と……羨望だった。

「貴方は……一体、何者なの?」

「言ったはずです。ただの劣等生ですよ。……今夜は、少し早めに寝ることをお勧めします。明日の学院は、少しばかり『暗く』なるでしょうから」

 俺は白と共に、闇の中へと溶け込むように姿を消した。

 翌朝、王都の国立魔道学院は、原因不明の「大規模な魔導機能停止」により、開校以来の大混乱に陥ることになる。

 第一の楔、破壊完了。

 地下で眠る騰蛇の本体が、わずかにその眼を開いたのを、俺は呪力を通じて感じていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る