第5話

魔力適性検査の日に起きた「影喰い」の襲撃事件は、村人たちの間で「聖徒の奇跡」として片付けられていた。魔力値「五」と判定された俺は、誰からも疑われることなく、平穏な――あるいは、周囲から同情の目で見られる――日常に戻っていた。

 だが、あの日以来、夜の空気が変わった。

 『眼』を凝らせば、村を囲む森の境界線に、どす黒い瘴気が澱み、何重にも重なり合っているのが見える。それはまるで、巨大な獣が獲物を飲み込もうと、じわじわと口を広げているかのようだった。

「……主様。今宵、奴らが動きます」

 寝室の窓辺、影の中から白(ハク)が姿を現し、低く警告した。

 俺は寝間着の上から薄い羽織を引き寄せ、窓の外を見つめた。空には不気味なほどに白い満月が浮かんでいる。月の光は青白く、大気中の魔力(穢れ)と混ざり合って、この世のものとは思えないほど美しい「毒の霧」を醸し出していた。

「あの日、広場に現れた影喰いどもは、ただの尖兵に過ぎなかったというわけか」

「はい。あの日、主様が放った浄化の余波を、森の奥に潜む『主』が感知したようです。この世界の妖魔にとって、主様の純粋な呪力は、猛毒であると同時に、喉から手が出るほど欲しい至高の果実なのでしょう」

 俺は無言で窓から身を乗り出し、音もなく庭へと着地した。

 村は深い眠りについている。だが、村を囲む防風林の向こう側から、獣の咆哮とも、女のすすり泣きともつかぬ異音が風に乗って聞こえてきた。

(……この肉体はまだ十歳。正面から魔導師のように魔力で打ち合うには、燃料が少なすぎる)

 だが、陰陽師の戦いは力押しではない。理を操り、万物の均衡を制御する術だ。

 俺は村の四隅に向かって、あらかじめ用意していた「石」を投じた。ただの河原の石ではない。数日かけて俺の呪力を染み込ませ、表面に目に見えない微細な文字で『封』の理を刻んだ結界石だ。

「白、お前は東の陣を抑えろ。一匹たりとも村の中へは通すな」

「御意に!」

 白が白い閃光となって闇に消える。

 俺は村の中央にある広場へと向かった。あの日、役人が逃げ出したあの場所だ。そこが最も地脈が安定しており、術を拡大させるのに適している。

 広場に到着した瞬間、空気が凍りついた。

 森の中から、影の奔流が溢れ出してきたのだ。それは数体というレベルではない。百、二百……いや、数え切れないほどの「異形」たちが、月光を浴びて黒い絨毯のように村へと押し寄せていた。

 その中心には、ひときわ巨大な、六つの眼を持つ大蜘蛛のような妖がいた。

「……人間……。清らかな、魂の主……どこだ……」

 大蜘蛛が人の言葉を模倣し、不快な音を立てて笑う。その存在感は、前世で俺が討伐してきた「大妖怪」たちに匹敵するものだった。

「ここだ、化け物。夜更けに他人の庭を荒らすとは、礼儀を知らないようだな」

 俺は広場の中央で、堂々と姿を現した。

 大蜘蛛の六つの眼が、一斉に俺に焦点を合わせた。小さな子供の姿をした俺を見て、妖魔たちは嘲笑うように一瞬動きを止めた。

「貴様か……? あの浄化の光を放ったのは……。信じられぬ。そのような脆弱な器に、これほどの力が宿っているとは……」

「器の大きさでしか測れないのは、魔術師も妖も同じか」

 俺は右足を一歩、強く踏み出した。

 同時に、村の四隅に置いた石が呼応し、巨大な五芒星の結界が地上に浮かび上がった。

 青白い光の壁が村全体を覆い、押し寄せていた影の雑兵たちが、結界に触れた瞬間に絶叫を上げて霧散していく。

「なっ……何をした!? この世界の魔術ではない……貴様、何者だ!」

「名乗るほどのものではない。ただの、通りすがりの掃除屋だ」

 俺は懐から束ねた呪符を取り出した。

 魔力値「五」の少年が行うには、あまりに過酷な高等術式。だが、今の俺には白からもたらされた「精製された魔力」の備蓄がある。

「オン・アビラウンケン・バサラ・ダトバン……!」

 俺の周囲に、五つの光の弾丸が浮かび上がった。

 それは火、水、木、金、土。五行の理を具現化した極小の疑似惑星。

 俺が指を弾くと、火の弾丸が彗星のごとき尾を引いて大蜘蛛へと直撃した。

 ドォォォォン!

 激しい爆発音が響くが、結界の中にある村人たちの耳には届かない。音すらも術で遮断しているからだ。

 大蜘蛛は半身を焼かれながらも、狂ったように糸を吐き出してきた。その糸は魔力を吸い取り、触れたものを腐らせる死の拘束具だ。

「無駄だ。お前のその魔力は、すでに俺の支配下にある」

 俺は空中で印を組み替え、水の理を発動させた。

 吐き出された糸が空中で凍りつき、逆に大蜘蛛を縛り上げる鎖へと変化する。

 妖魔の力そのものを利用し、その矛先を自身へと向かわせる。これが陰陽術の真髄――『転』の法。

「ギ、ギギィッ……!? 我が魔力が……操れぬ!? 貴様、何をした……っ!」

「この世界の理(ルール)で戦っていると思うな。俺が持ち込んだのは、お前たちの存在そのものを否定する『断絶』の理だ」

 俺は最後の一枚、金色の文字が書かれた特注の呪符を天に掲げた。

 月の光が呪符に収束し、俺の小さな体がまばゆい黄金の光に包まれる。

「急急如律令――天雷(てんらい)、招来!」

 夜空から、一点の迷いもなく巨大な雷撃が降り注いだ。

 青白い雷光が大蜘蛛を貫き、その巨体を内側から焼き尽くしていく。

 絶叫すら許されぬ、圧倒的な浄化。

 数秒後、広場には一片の灰すら残らず、ただ清涼な風だけが吹き抜けていた。

「……ふぅ。やはり、腰に来るな」

 俺は膝をつき、激しく喘いだ。

 体内の呪力を使い果たし、肉体が悲鳴を上げている。鼻から一筋の血が流れ、視界がぐらりと揺れた。

 十歳の子供という器は、やはり全力を出すには未熟すぎる。

「主様! ご無事ですか!」

 白が駆け寄り、俺の体を支えた。

 俺は「ああ、なんとかな」と力なく笑い、結界を解除した。

 村は再び、静かな眠りに戻った。明日の朝、村人たちは昨夜よりも空気が美味しいことに気づくだろうが、その理由を知る者は誰もいない。

「……白。俺は決めたよ。やはり、この村に居続けるわけにはいかない」

「王都へ……行かれるのですね?」

「ああ。これほどの大物が辺境に現れるということは、世界の中心はもっと酷いことになっているはずだ。それに……」

 俺は自分の手を見つめた。

 魔力値「五」という評価。それは、俺がこの世界で「無力な弱者」として自由に動くための、最高の免罪符だ。

 

「王都の学院で、この世界の魔術とやらを、一から十まで『矯正』してやる」

 満月の下、十歳の少年は、最強の陰陽師としての鋭い眼光を取り戻していた。

 伝説は、まだ始まったばかりだ。

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