第3話

 この世界に転生して六年。俺の肉体は少しずつだが着実に、陰陽師としての「器」を形成しつつあった。

 村の人々は俺を「賢い子」だと褒めそやす。同年代の子供たちが泥遊びに興じる中、俺は教会の書庫で古文書を漁るか、こうして村外れの裏山へと足を運んでいたからだ。

 裏山の奥深く。そこには村人たちが「神隠しの森」と呼んで忌み嫌う場所がある。

 鬱蒼と茂る木々は太陽の光を遮り、真昼だというのに冷え冷えとした空気が漂っている。普通の人間がここへ踏み込めば、方向感覚を狂わされ、数日後には衰弱した姿で見つかることになる。だが、俺の『万物の穢れを視る眼』には、その正体がはっきりと見えていた。

(……結界か。粗末なものだが、術理はこの世界の魔術とは明らかに異なっている)

 俺は、枯れ葉を踏みしめる音を立てないよう、独特の歩法で奥へと進む。

 森の最奥部。そこには、苔むした小さな石造りの祠があった。

 驚くべきことに、その祠の周りだけは、大気中の「穢れ(魔力)」が完全に排除されている。この世界の住人が見れば、そこは聖域に見えるだろう。だが、俺にとっては、それは見慣れた、懐かしい「術式」の残滓に他ならなかった。

「……六年も待たせるとは、俺も焼きが回ったな」

 俺は祠の前に立ち、右手の指をスッと立てた。

 体内で精製した純度の高い呪力を、指先に集める。

 

「解(かい)」

 一言、言霊を放つ。

 途端、祠を包んでいた見えない膜が、ガラスのように砕け散った。

 同時に、祠の中から一筋の白い影が飛び出し、俺の顔を目掛けて猛スピードで突っ込んできた。

「キュイィィィィッ!」

 鋭い鳴き声。だが、そこには殺意など微塵もなかった。

 俺は避けることなく、その影を受け止めた。腕の中に収まったのは、雪のように白い毛並みを持つ、手のひらサイズの小さな狐――『管狐(くだぎつね)』の白(ハク)だった。

「主様! 主様、主様なのですか……! 本当に、本当なのですか!」

 白の声が、思念となって直接脳内に響く。

 前世で俺が使役していた、数千の式神の中でも最も忠実だった末端の一体だ。

 白の体は、透けて見えるほどに弱りきっていた。尻尾の先は黒ずみ、この世界の毒――魔力に侵されていることが見て取れる。

「白か。よくぞ、この世界まで追ってきた。そして、よくぞ耐えた」

 俺は再会の喜びを噛み締めながら、白の背中を優しく撫でた。

 白の話によれば、あの転生の儀式の際、俺の魂の飛散に巻き込まれた数体の式神が、この世界に流れ着いたのだという。

 白は運良く、俺の転生先から近いこの祠に封じ込められ、俺が迎えに来るのを信じて「自らを封印する」ことで消滅を免れていたらしい。

「申し訳ございませぬ……。今の私には、主様を守る力すら……。この世界の空気は、あまりに濁りすぎております」

「気にするな。今、浄化してやる」

 俺は迷わず、左手の親指の付け根を鋭い歯で噛み切った。

 じわりと滲み出す、鮮紅の血。それは、俺が六年間かけて磨き上げた呪力の結晶だ。

「飲め。これは今の俺に与えられる、最高の霊酒だ」

 白は躊躇いながらも、俺の血を舐め取った。

 途端、白の小さな体が、青白い炎のような光に包まれる。

 濁っていた毛並みは一瞬で輝きを取り戻し、透けていた体躯に実体感が戻っていく。背中から生えていた小さな翼のような霊気が、力強く羽ばたいた。

「おおぉ……力が、力が満ちていきます……! さすがは我が主様!」

 完全復活とまではいかないが、これで現世に留まる分には問題ないだろう。

 白は俺の肩に乗ると、スリスリと頬を寄せてきた。その愛らしい仕草に、俺は思わず口元を綻ばせる。

「……白、報告を聞こう。お前がこの森で眠っていた間、この世界の『外』の様子をどれだけ探知できた?」

 白は表情を引き締めた。管狐は情報収集に特化した式神だ。封印されていたとはいえ、霊的なネットワークを通じて、ある程度の情報は掴んでいるはずだった。

「はい。この世界は、主様が思っている以上に歪んでおります。魔導師と呼ばれる者たちは、妖を倒す術を持ってはいますが、その魂を『送る』術を知りません。結果として、倒された妖の怨念は霧となり、大地を呪っています」

「やはりな。浄化のない破壊は、ただの汚染だ」

「そして……主様。私以外にも、かつての仲間の気配を感じました」

 俺は目を見開いた。

「神将たちが、この世界にいるのか?」

「はい。ですが、様子が妙なのです。この世界の濃密な瘴気に当てられ、理性を失い、単なる『厄災の魔物』として祀られている者。あるいは、強大な魔導師に捕らえられ、その力を利用されている者……。特に、王都の方角からは、騰蛇(とうだ)の兄上の、ひどく悲痛な叫びが聞こえてまいります」

 俺の中で、静かな怒りが燃え上がった。

 十二神将――騰蛇。俺の右腕として、数多の戦場を駆け抜けた最強の守護者。

 彼らが、この世界の未熟な魔術師たちの玩具にされているというのか。

「……分かった。白、しばらくは俺の影の中に潜んでいろ。人前では決して姿を見せるな」

「御意に。主様の命に従います」

 白は俺の影の中へと溶け込み、姿を消した。

 俺は祠を一瞥し、山を下り始めた。

 村に戻る道中、俺の足取りは以前よりも力強くなっていた。

(十二神将を解放し、この世界の穢れを根こそぎ清める。やるべきことが見えてきたな)

 六歳の子供という不自由な肉体。

 魔力を持たないという、周囲からの蔑みの視線。

 それらすべてが、今や些細なことに思えた。

 夕闇が迫る村の入り口。

 俺を呼ぶセーラの声が聞こえる。

 俺は再び「子供の仮面」を被り、家路へと急いだ。

 影の中に潜む白の温もりが、これからの孤独ではない戦いを予感させていた。

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