第1話

熱い。そして、ひどく騒がしい。

 意識が浮上した瞬間、俺を襲ったのは暴力的なまでの「生」の感覚だった。

「……ぎゃあ、あ、あ……っ!」

 自分の口から漏れたのは、言葉にならない産声だ。

 視界がぼやける。だが、神から授けられた『万物の穢れを視る眼』は、赤ん坊の未発達な視力すら超越していた。

(――なんだ、この光景は)

 視界に映るのは、煤けた天井と、血の匂いが混じった重苦しい空気。

 そして、部屋の隅にどろりと溜まった「漆黒の霧」だ。それは人間の悪意を煮詰めたような、前世の比ではないほど濃密な「穢れ」だった。

「産まれたわ! でも、この子は……」

 俺を抱き上げる女の震える声。その背後、障子を突き破って、巨大な鉤爪が部屋に侵入した。

 

「ギィ、シシシ……! 良い匂いだ。産みたての、瑞々しい魂の匂いがするぞ……!」

 姿を現したのは、人の顔をいくつも背負った蜘蛛のような異形の妖だ。

 神の言っていたことは嘘ではなかったらしい。この世界では、産屋(うぶや)にすら妖が平然と食らいついてくるのか。

「逃げて、この子だけでも……!」

「無駄だ。この村に生きた人間は残さぬと決めている」

 妖が、俺を抱く母親に向かって鋭い爪を振り下ろす。

 母親は俺を庇うように背を丸めた。死を覚悟した震えが、肌を通じて伝わってくる。

(……やれやれ。転生初日から、随分な歓迎じゃないか)

 俺は、動かない小さな右手を、懸命に妖の方へと向けた。

 前世のような呪符も、印を結ぶ指の自由もない。だが、俺の魂に刻まれた「最強」の理は、肉体の制約など問題にしない。

(練れ。大気に満ちる膨大な『魔』を、俺の知る『呪』へと書き換えろ)

 神がくれた眼が、空間を流れる力の糸を捉える。俺は赤ん坊の小さな体内に、濁流のような呪力を強引に引き込んだ。

「――急急如律令(きゅうきゅうにょりつりょう)」

 声にはならぬ言霊が、霊的な衝撃波となって放たれた。

 

 ドォォォォン! と、部屋全体が震えるような轟音。

 母親を切り裂くはずだった妖の爪が、空中で見えない壁に弾かれ、粉々に砕け散った。

「なっ……!? なんだ、今の光力(ひかり)は! 貴様、ただの赤子では――」

 妖が驚愕に目を剥く。

 俺は冷徹に、次の術式を編み上げる。指先一つ動かせずとも、この眼で「視る」だけで、世界の理を捻じ曲げることは可能だ。

(塵に還れ。醜悪な捕食者よ)

 俺が視線を固定した瞬間、妖の足元から青白い炎――『浄化の業火』が噴き上がった。

 断末魔を上げる暇もなく、異形は一瞬で灰へと変わり、夜風に消えていく。

「……あ、ああ……神様……」

 母親が呆然と崩れ落ちる。

 静寂が戻った室内で、俺は再び重くなった瞼を閉じた。

 

 どうやら、この世界は想像以上に「片付けがい」がありそうだ。

 魔力だか何だか知らないが、この世界の力は面白いほどによく馴染む。

(……まずは、寝かせてもらうぞ。この身体、術を一発撃っただけで限界だ……)

 母親の温もりを感じながら、俺は深い眠りへと落ちていった。

 伝説の陰陽師の、二度目の人生。その幕開けは、一匹の妖の消滅と共に刻まれた。

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