5 悪役
「わざわざ呼びつけて話とはなんだ」
祈祷師の家の前には先日と同じか、そのときよりも少し多いぐらいの人だかりが出来ていた。
「聞いたぞ、何でも治療をやめるなんて話をしたそうじゃねえか。俺の息子はな、今も麓の宿で苦しんでいるんだ。勝手なことを言ってもらっては困る。まさか今日もそんな話をしようとしているんじゃねえだろうな」
初老ぐらいの男が年甲斐もなく怒鳴り散らす。
「違います、今日は別の話です」
祈祷師は落ち着いた声で話す。
「実は、祈祷の場所を変えようと考えています。今まで来てくださった方々は、遠くからお越しになった上にこのような山奥までたどり着くのは大変骨の折れることだったと思います。ですから、これからは山の麓の街で行わせていただこうかと」
「おお!」
そこで人だかりからは歓声が沸き起こる。
「さすがだ」「ああ、なんて立派な人なんだ」「これでもっとたくさんの人が助かる。良かった、ああ良かった」
彼らは口々に賞賛し、怪しい雰囲気もたちまち失せていく。
「おそらく移るのは一週間ほど後になると思いますが」
その時だった。
「全員そこを動くな」
人だかりの中から突然出てきたのは、場違いな真っ黒なテールコートに白仮面をつけた男だった。
「なんだ、おまえは」
先ほどの初老の男が戸惑って尋ねる。
「動くなと言っている。これは決して手足の話ではなく、口も動かしちゃダメってことね」
馴れ馴れしく話す男は口に人差し指をあててみせる。しかし周囲の人間はそこでハッとさせられた。もう片方の手には黒光りする拳銃を手にしていたからだ。
「はっ、こんな片田舎で小型拳銃を持ち歩く奴がどこにいるんだ。高級品だぞ」
豪族の男が喚きたてた。その直後、銃声が鳴り響く。
「これでわかってもらえましたか。正真正銘の本物ですよ」
豪族の男は声も出せずに震えあがっていた。彼の左右の足の間には弾丸が撃ち込まれている。
「それに僕、お金持ちなのでもう一丁持っていますし。ああ、これはただの自慢です。財産が多い方が人間の格が高いのでしょう?」
仮面の男は懐からまた別のハンドガンを取り出し、見せびらかしてからしまい直す。
「有象無象は黙って見ていてください。用事があるのはあなたです」
そして男は祈祷師の方に向く。
「私、ですか」
「ええ。あなたの異能の噂を耳にしましてね。しかし、こういった話の多くは眉唾ものなので、この目で確認させてもらいましたが、どうやら本物のようですね。なあに、時間は取りませんから。少し痛い思いはしてもらいますが、ね」
そう言って男は再度懐から赤い布で被せた何かを取り出し、彼女に向けて構えた。
「在るべきものは在るべき場所へ。全ては我々の発展のために、力を捧げよ」
「いやっ」
彼女が悲鳴をあげる。
すると今度は地鳴りのような低音が鳴り響く。そして同時に、男が手に持っていたものを被せていた赤い布がひらりと地面に落ち、宝石のようにきらめく真っ赤な拳銃が現れた。
「人の真似をするなんて、まったくナンセンスだね」
メルクは祈祷師の身体を抱きあげる。男が引き鉄を引く直前に、観衆の中から飛び出したメルクは彼女を押し倒していた。
「怪我はないですか」
「ええ、大丈夫です」
彼女はおびえながら背後を見るが、そこに弾丸の刺さった跡はなかった。
「こんなことになってしまってすいません。さすがに予想外でした」
「いえ、メルクさんのせいでないことは分かっています」
「言うまでもなく、奴の狙いはあなたの身体に取り込まれている魔石です」
「くそっ」
男は舌打ちをして再び赤い銃の照準を合わせようとした。
「遅いよ」
メルクは素早く懐から出した拳銃を男に向け、迷わず引き鉄をひいた。それは男の持っていた赤い拳銃に命中し、地面に落とされる。男は血の流れている手を痛そうにおさえているが、その手の甲の辺りが掠った程度であり、銃弾の命中した赤い拳銃には傷一つ付いていなかった。
「おまえはもうトリガーを引くことはできない。諦めろ」
メルクは冷たい声で告げる。
「盗み聞きなんて品のないことをするもんだね。物音が聞こえたんだよ、僕たちが話しているときに。だから僕は彼女を連れて行ったんだ」
昨晩、祈祷師はスメラダたちの家に泊めさせた。メルクは一晩中襲撃者が来ないかと見張っており、おかげで寝不足で機嫌も良くなかった。
「さあ、そろそろ大人しく観念して顔を見せなよ。見当は付いているけどね」
男は出血した手で仮面を触るので赤い血が付く。
「久しぶりですね」
仮面が外れると、つい先日山の中腹の休憩所で会った男の顔が現れた。彼女の力が本物であることを確認してから、赤い銃を届けるように村の麓で要請していたのだろう。
「王の拳銃、ロイヤルパープルの持ち主でありながら世界に仇名す者、メルク」
「それ、格好良い二つ名ってやつ? 組織というのは何事も大げさにするよね。ついでに仲間が増えるほどに態度もデカくなるし、序列や肩書を重んじて自らもそれに縛られたがるマゾヒストのなんて多いことか」
「相変わらずですね、城にいたときから。いえ、いつもフラフラ遊びに出かけていて、城にはあまり寄りつかなかったようですが」
「ふーん、僕の国に来たことあったんだ」
「つくづくもったいないことをされましたね。いざこざを起こさなければ、今頃は世界だって手に入れられたかもしれない」
「僕のことを知っているなら、しんみりと思い出話にふける性格じゃないことぐらい分かっているだろ。品の良い女性相手ならともかくさ」
メルクは片腕で抱いている祈祷師の方を見て言う。
「そうでした、あなたはそういう人でした」
男は不気味な笑みを浮かべる。
「では、この状況で私はどうすればよいでしょうか。あなたの方に主導権はありますけど」
「そんなことちっとも思ってなさそうな物言いなんだけど」
メルクは白い目を向ける。
「僕の望みは簡単さ。金輪際僕の前に姿を見せず、僕のすることを邪魔せず、キミたちのしょうもない発展とやらも諦めてもらえると良いね」
「おやおや、手厳しいですね」
男は両手を横に広げながら肩をすくめてみせる。
「仕方ありませんね。今回は退散することにしますか。あなたが回収した魔石は、他の輩に使われることはないわけですからね」
「ずいぶんと余裕だね」
「あなたの方こそ余裕そうにしていますが、良いのですか。あなたの大事な宿主さんが苦しんでいるというのに。ああ、でもあなたは宿主どころか自分の親にさえも恩を仇で返すような人でしたね」
「何の話をしているんだ」
メルクはそこで初めて動揺を見せた。
「あの女の子、先ほど具合の悪そうにどこかへ行きましたよ」
「何をした」
「大したことは何も。ただ、あなたのしようとしていることを教えて差し上げただけです。こうやってね」
男は落ちている赤い拳銃を足で踏みつけて上に飛ばし、それを掴み直すと自らの頭に向けてみせた。メルクは本気で引き鉄をひこうと指に力を入れかけたが、それが無意味なことだと分かっていたので辛うじて自制した。
「もうおまえに用はない。さっさと失せろ」
「そうですか。ではお望み通り」
男は黒ズボンのポケットから出した赤いハンカチーフを出血している手に巻きつけながら悠然と去って行った。もちろん取り巻いていた人々は唖然として一歩も動かなかった。
「僕はスメラダのところへ行きます」
「どこにいるか分かるんですか」
祈祷師が心配そうに尋ねる。
「ええ、予想はついています」
彼女はおそらく自分の不調の理由には気付けていないだろう。だとしたら向かうのはあそこしかない。
「私も行きます」
メルクたちは群衆を押しのけ、少女のもとへ向かう。
「男が持っていた赤い拳銃は、魔石を取り込んだ人間が結んでしまった契約を強制的に破棄させて魔石を取り出せるものなんです。僕が持っているものとは異なるのですが、とにかくそれだけ凄まじく歪なエネルギーを宿しています。適合者以外が触れたりすれば、精神的な苦痛や幻覚をみることになると言われています。僕へのちょっとした脅しのつもりなのでしょうね」
「こういったことになることを危惧しているからこそ、あなたは悪役になろうとしているのですか」
「えっ」
メルクは突然指摘されて驚く。メルクもまたあの男と同じように大勢を集めてから、人前で魔石を奪い去るつもりであった。そうすればメルクに彼らの矛先が向けられ、祈祷師が恨まれるようなこともなく、村にやってくる人は次第にいなくなるだろうと考えたからだ。
「ごめんなさい、今はそんなことを話している場合じゃないですね」
祈祷師は再び足元に注意を向ける。尖った岩も多いこの場所は、普通に歩いていこうとするだけでも一苦労する。メルクは二度目なので多少は慣れていたが、すぐ近くで暮らす彼女であってもこの辺には立ち寄らないらしい。だからこそスメラダは好んで足を運んでいたのかもしれない。
二人が岩場の先までたどり着いたとき、少女の後ろ姿を確認した。
「スメラダ」
メルクがいつになく大声を出して呼びかける。しかし彼女はおぼつかない足取りで、崖の方へ足を向けていた。
「あなたは、誰? どこにいるの?」
スメラダはうわごとを言っている。
「危ないから戻ってきて、スメラダ」
祈祷師も言うが、彼女の言葉もまたスメラダには届いていないようで、虚ろな目をして辺りをきょろきょろと見まわしている。
「彼女にはおどろおどろしい声が聞こえているはずです。悪魔の囁きなどと呼ばれているものです」
メルクは彼女に解説する。
「それでは、どうすれば良いのでしょうか」
「とりあえずここは危ないので」
連れ戻さないといけないと言おうとしたが、そこでスメラダはふらついて足がもつれた。いつも彼女はこのでこぼこな岩場を難なく歩いているが、今の彼女は酩酊状態といっていい。メルクは駆け出そうとするが、岩に足をぶつけてしまう。
メルクには彼女が倒れる様子がゆっくりと見えた。
「痛っ」
彼女は手を前につこうとしたが周囲がよく見えていないようで、尖った岩の先端に手を置き、その痛みから思わずパッと手を離してしまう。そして上体が前にのめったまま倒れ込み、すぐ脇にあった岩に頭を強打した。メルクは急いで彼女の元に駆け寄る。
「ううっ」
スメラダは真っ青な顔でうめき声をあげていた。しかしメルクがそのこと以上に気にしなくてはならなかったのは、彼女の頭部から真っ赤な血が噴き出していることだった。
「大丈夫かい、意識を保つんだ」
メルクは彼女に声をかけながら、着ていたコートを地面に敷き、両腕でスメラダを抱えて仰向けにする。祈祷師もようやくメルクの前まで来ると、ハンカチを患部に当てながら言う。
「どうしましょうか。できればもっと安全な場所に移したいですけど、内出血している可能性もあるのでむやみに動かすのは良くないですよね」
「そうですね。しかも問題はそれだけじゃない」
メルクは言う。すると彼女は意識を失っているのにも関わらず、再びうめき声をあげ始め、さらに顔は青白くなる。
「先ほども言いましたが、銃身に触れてしまった人間は幻覚に囚われてしまいます。出口のない深い闇に取り残されて永遠に彷徨い続けるような感覚に陥り、時が流れていくことさえ感じられず、ただひたすらそこには無があるのだといいます」
「無限地獄というわけですか」
「そういうものかもしれません」
「スメラダはどうすれば元に戻って来られるのでしょうか」
「方法はあります」
メルクは苦々しげな顔で祈祷師の腕を指した。
「あなたの力を使うことです」
「あっ」
今の今まで彼女は本当に忘れていたようだ。
「だから言ったでしょう。彼らは僕のことを試しているんです」
「ひどい、人の命を天秤にかけて」
祈祷師は口に手を当てる。
「効率や合理性を求めるあまり、人の心を蔑ろにする。これで僕が少しでも懲りて、自分たちの言うことを聞くようになればいいと思っているのでしょう。あまり上品なやり方とは言えないですよね」
メルクは目に見えて怒りに震えはしないが、嫌悪感はにじみ出ていた。しかしすぐに気持ちを切り替えるように、自分の頬を手で軽く叩く。
「あなたさえ良ければ、力を使いましょう」
「いいんですか」
「スメラダをこのままにしておくわけにはいきませんから。力が暴走しないことを信じるしかありません」
メルクは彼女の性格ならば当然了承するだろうと思っていたが、意外にも首を振った。
「どうしてですか」
メルクは驚いて彼女の顔をまじまじ見てしまう。
「あくまでも私の推測にすぎませんが、この力を使って治すことにメルクさんが心から同意していないその理由が、地獄の炎を引き起こす危険性があるからというだけには考えられないからです」
「どうしてそう思うんですか」
メルクは尋ねる。
「祈祷師として多くの人を見てきたから、としか今の私には答えられません。自分でもハッキリと理由を説明できませんが、メルクさんは口上ではスメラダを助けるために力を使うと言っているのがどうも上辺だけというか、心の底からそれができると思っていないように感じられるのです。しこりが残っているとでも言えばいいのでしょうか。ひょっとして、まだ話されていないことがあるのではないですか」
メルクは口をもごもごとしてからやがて「ええ、すみません」と素直に謝る。しかし彼女は特に怒りもせず、静かに身体につけていたポーチの中から藍色のキレイな石を取り出した。
「あの、怒ったりしないんですか」
「そんな暇はないですから」
「まあ、それはそうなんですけど」
彼女の態度の変化にメルクは気付く。
「今の私にできることは的確な処置を施すことです。私の家まで運びましょう。流血も収まってきているみたいですし、風が冷たくなってきました。少しだけ彼女を見ていてください。私は担架を作ります」
そう言って彼女は黒い祈祷用の衣装をおもむろに脱ぎだした。下には黒い肌着を着ていたが、さすがのメルクでも目のやり場に困る。
しかし彼女はそんな彼の様子もまるで気にせず、岩場から少し離れた森の中に入っていき、そこから丈夫な枝を何本かへし折って持っていた黒い紐で束ね合わせ、戻ってくるとそれを衣装に括り付けて、簡易的な担架を数十秒ほどで完成させた。
「さあ、これに乗せましょう」
メルクは彼女の勢いに圧倒されながらも、二人でスメラダを担架に乗せた。その際、寒くないように地面に敷いていたコートはスメラダの身体にかけておく。
「ではゆっくりと持ち上げて運びましょう。足元がでこぼこなので気を付けてください」
彼女はすでに担架の片方を持とうとしていたが、メルクが珍しく弱弱しく言う。
「あの、さすがに上は着てもらえませんか。やはり女性が柔肌を見せていると、僕は申し訳なさを覚えてしまうので。僕の服しかないですが」
そう言ってメルクは上着の下に着ていた襟付きの上等なシャツを脱いで渡す。彼女が素直に袖を通してくれて、メルクはほっとしたが、彼女にとってやや大きめの白シャツを着させてから、その姿が少々刺激的なものになってしまったことに気付いたがもう遅い。
「行きましょう」
彼女の声にメルクは黙って頷く。
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