4 治療

 翌日になると、スメラダに村を案内してもらった。村にはせいぜい数十世帯しかなく、住んでいるのもほとんどが老齢の人ばかりで、スメラダのような子どもとなれば数えられるほどしか見かけなかった。普段、村の人たちは共同で耕している畑で農作業をするか、山の中で山菜を採ったり生き物を仕留めたりしているという。しかし最近は働き盛りの若い世代がこぞって山の麓の街をはじめとして出稼ぎに行ってしまったことで労働力が足らず、畑も一部は荒れ果て、獣を仕留めるのもたまにしか行なわれなくなっているそうだ。

 つまり、この村はすでに限界集落となりつつあった。だからこそ、祈祷師目当てに押し掛ける人々に対してもあまり強く出られず、メルクが村中を歩いているときも集団が物珍し気に散策し、畑にずかずかと入り込んでいるのも目撃した。そのときはメルクとスメラダで遊んでいるふりをしながらやんわりと追い出したが、こういったことを常時注意しなくてはいけないのは疲れるに違いない。昔から山登りをする人は一定数いたが、彼らの大半は村にやってきても礼儀正しく、困らされたことはあまりなかったという。

「うわっ、すごいな」

 メルクは四方を取り囲む青緑色の山々と眼下に広がる鬱蒼と生い茂る草木の光景に目を奪われる。

「でしょ。ここは迷惑な人たちも知らないから静かよ」

「知っていても来られないだろうね」

 メルクたちは突き出した岩の上に立っていた。少し足を踏み外せば身体に突き刺さるのではないかと怯えるほどに尖った岩をものともせず、まるで空に向かって飛び跳ねて進んでいく彼女の後姿をおっかなびっくりついていった末にたどり着いた場所だった。

「私ね、ここがすごく好きなの。嫌なことがあってもここに来ればちっぽけなことに思えるし、嬉しいときに来るともっと嬉しくなるんだ」

 しかしスメラダはあまり浮かない顔をしていた。理由はすぐに分かった。スメラダは山の麓よりもさらに遠くに見える白壁のアパートと無骨な工場が乱立する街からモクモクと黒い煙があがっている様子を指差す。

「でもいつかはここも開発されて無くなっちゃうのかな。私が歩けるようになったぐらいのときは、麓なんかはまだ建物もほとんどなかったんだよ。何もこんな山の近くまで切り開かなくてもいいのに」

「人間の欲望は果てしないからね。自分の欲求を制御できない生き物なんだ。一度味わってしまった甘い蜜の味を忘れることはできないし、その味に慣れてしまえば物足りなさを覚えてまた新しいモノに飛びつく。良かれ悪かれ、二度と元には戻らない」

「皆変わっていくんだね」

 彼女は幼い顔つきながらも大きな流れを悟った様子であった。

「ああ、きっとね。誰も今のままではいられなくなる」

 メルクが頷く。

「だけど、この景色は、この空気は、この清々しい気持ちは、今ここでしか味わえない。今の僕らにしかできないことなのさ」

「メルクってときどき変なことを言うよね。でも、そういうところが面白くて私は好き」

 にししっと悪戯っぽく笑う少女を見ながら、「変なことは言ってないと思うけどな」とメルクは首を傾げていた。

 二人はしばらく誰にも邪魔されない楽しいひと時を過ごした。

 ところがその足で村まで戻ってくると、騒ぎになっていた。

「どういうことだよ」

 男がものすごい剣幕で女性に詰め寄っていた。その女性は他でもないあの祈祷師だった。

「俺のことを見捨てるのかよ。俺はな、わざわざ馬車で三日三晩かけて来たんだよ。こんなド田舎までな。それなのに予約さえ受け付けないだと? 話が違うじゃねえか。それともあれか、よそ者には手を貸さないということか」

「そうではありません。あなたに限った話ではなく、私はもう治療行為はしないことにしたんです」

「あんたには治す義務がある。俺は村一つを治めている豪族だ。金に糸目も付けねえ。第一な、力を持っていながら何もしないなんてことが許されると思っているのか」

 男は彼女の肩を掴もうとした。しかしそれを阻む手があった。

「あっ」

 メルクの横にいた小柄な影がいつの間にかいなくなっていた。

「そんなの勝手じゃない。アンタたちこそ他所の村にずけずけと土足であがってきて、何を偉そうなことを言っているのよ」

「なんだ、おまえは」

 男は眉をひそめた。

「来てくださいと宣伝しているわけでもないのに、アンタたちみたいなのが勝手に期待してやってくるのよ。あの人は優しい人だから断れなかっただけだし、お金だってほとんどもらっていない。私たちの村から出ていってよ、今すぐに」

 スメラダはその小さな手で男を押そうとする。しかしさすがに力の差は歴然であり、男はびくともしない。

「あなたは何も知らないからそういうことが言えるのよ」

 しかも今度はその男ではなく、近くにいた着飾った女性が声をあげる。

「大体ね、こんな山奥にいるのが悪いのでしょう。こういうことは麓の街でやるべきじゃない。あなたが麓に降りて、ちゃんと店を出して、経理も雇ってお金だって取ればいい。そうすればこんなみすぼらしい田舎で暮らす必要もなくなるわ。そうしないのはそっちの都合でしょ」

 その無茶苦茶な理論にスメラダは肩を震わせて怒っていた。しかしここにやって来ている部外者たちのほとんどはその意見に賛成しているようで次々と賛同の声があがる。

「どうしてなんでもかんでもあなたたちの都合に合わせないといけないのよ。意味が分からないわ、そんな言い分。それに、いざ高いお金を取るなんて言い出したらまた文句を言うんでしょ」

「もういいわ」

 それでもスメラダは抗議するが、それを止めたのは祈祷師だった。

「ありがとう、スメラダ。初めから私がここから出ていけば良かったの。村の人にはずっと迷惑をかけてしまっていたのだから」

 祈祷師はそのまま大衆のいる方に向き直る。

「勝手なことを言ってすみませんでした。ですが、ここはひとまず解散していただけないでしょうか。村の人たちの通行の妨げになってしまいます。場所については改めて検討させていただきます。予約なさろうとしていた方々は、どうぞ小屋の中に入ってください」

 そう言って彼女は自分の家へと消えていき、人だかりも解消された。

 しかしスメラダはその後もしばらくそこに佇み、悔しがって地団太を踏んでいた。メルクは空を見上げる。そこには彼女たちの悩みなど意にも介さないといわんばかりに雲一つない青空が広がっていた。



「話とはなんでしょうか」

 メルクは祈祷師の家に再び訪問したのはすでに夕暮れ時であり、処置を受けに来ていた人々もすでにはけていた。

「約束の日よりも一日早いことは承知しております。ですが、気になることがありましてね。上がってもよろしいでしょうか」

 彼女は珍しく渋い顔をみせた。時間が時間だけに当然でもあったが、理由はそれだけではない。

「どこへ出かけるつもりですか。そんな大荷物を作って」

 玄関先には登山用の大きなリュックサックが置いてあった。

「私、ここを出ていくことにしました。ええ、言いたいことは分かっています。あなたの言いつけも守らずに力を使ってしまい、申し訳ありませんでした。私の気が弱いばかりに」

 祈祷師は自分を責めているようだった。

「ああ、それは別に良いんですよ。期待はしていませんでした。根性や気合でどうにかできるなら、初めから異能は発現しません。そういう仕組みですから、僕も責めたりはしません。それに何より、こちらも約束ごとを守るたちではないので」

 メルクは肩をすくめた。

「それで、本当に村を出て行かれるおつもりですか」

「ええ、悪いのは私なんです。色んな方に迷惑をかけてしまいました」

「どんな人間であれ、大なり小なり迷惑をかけて生きているものだと思いますけどね」

「私一人のために皆が不快な思いをさせられる状況に私は耐えられません。それだけではありません。私自身、やはり良い気になっていたんです。かりそめの力であったとしてもそれで誰かの役に立つことができた、必要とされたことが嬉しかったんです。それで浮かれてしまい、気が付いた時にはもう一人では収拾がつかないほどになっていました」

「先ほどから言っていますが、あなたの振る舞いや感じたことはごく普通のものであって、何も恥じなくて良いと思いますよ。誰だって誰かの役に立ちたいという思いは持っているのではないですか」

 メルクは励ますように彼女の肩を優しく叩く。

「僕はここに来るとき、いくつかの解決策を考えてきたんです。例えば、僕があなたを無理やりにでも攫ってとっととこの村から離れてしまおうというものです。しかし男と一匹ならともかく、女性一人で外に出ていくというのは何かと苦労するでしょう。ただでさえ女性は何かと物入りですし、道中で暴漢などに襲われる可能性もぐっと増します。僕は生まれてこのかた、責任感という言葉とは無縁の人生を送っていますが、あなたみたいな善良で優しい方が割を食うことになるのはさすがに心苦しく思います」

「あなたこそ優しい方ですね」

 祈祷師はぽつりと言う。しかしそれに対してメルクはいささか大げさに首を振った。

「僕は優しくなんかありません。僕なんて、昼間騒がしくしていた人たちの病気や怪我が治ろうが治らまいがどちらでも構わないと思っているぐらいです。しかもそれは彼らの性格や振る舞いから判断しているのではありません。全てはタイミングや運命の話であって、彼らが助からなかったとしても、それはただ運が悪かっただけです。あなたが僕に見つかる前に、さっさと治してもらっていれば良かったんです。そもそも僕がこうやってあなたの話を聞くのもある人から言われたからであって、僕としては速やかに力を奪ってから適当にずらかってしまった方が遥かに効率的だと思っています。彼女は人助けの精神を持っていたけど、僕自身はそういったことにあまり興味のない人間なんです。どうです、僕はこういう人間です。なかなか嫌なやつでしょう。ああ、いえ、僕のことなんて今はどうでも良かったですね」

 メルクはいつになくまくし立てるように喋ってしまったことに恥ずかしさを覚えて止める。祈祷師はそんな彼の様子をただじっと見ていた。

 メルクは大きく咳払いをする。

「話を戻します。僕があなたをここから遠い地まで連れ去ったとします。女性一人は危険なことも多いとは言ったものの、僕はお金持ちなのでほんの少し財産を分けてあげれば、それなりに安全な場所で生活基盤を築くことも出来るだろうと思いました。でもやめました」

「どうしてですか」

 祈祷師は素直に気になったから尋ねた様子だった。

「それはあなたが一番分かっていることでしょう。スメラダたちから聞きました、少し前にあなたは旦那さんを亡くしたばかりであると」

 祈祷師はハッとした表情でメルクのことを見る。

「あなたが力を手に入れたのはその少し後なのでしょう。実はあなたが取り込んだ石は、誰であっても特別な力が目覚めるものではありません。強い願望が必要なのです。あなたは旦那さんを助けたかった、あなたが力を発現させたのはその想いがあったからです。そしてその強い願いを叶えてくれるんですよ、魔石というのですけどね。きっとあなたは自分の祈りが届くと信じていた、いや、信じたかった。しかし結果として、あなたの望む通りにはならなかった。それがあなたにはどうしようもなく許せなかったのでしょう」

 彼女の目の奥に様々な想いがないまぜになったものが垣間見えた気がした。やるせなさ、無力感、絶望、怒り、諦め、寂しさ。どの言葉でも足りないし行き過ぎている。メルクは続ける。

「離れたくないのですよね。最愛の人と過ごしたこの土地を」

「ええ」

 彼女は俯くと顔を両手で覆った。メルクは玄関に掛かっていた額縁を見やった。その額縁の中に入っていた、おそらくこの辺りで描いた風景画には達筆な文字で描いた者の名前が添えてあった。その字には見覚えがあった。

「だからやめたんです。理由はそれだけです。でも一番大切なことなんでしょうね、あなたにとっては。そしてそんなあなただからこそ、どんなに時間をかけてもこの場所で自分の気持ちと向き合っていけると思っています。この村にはあなたの旦那さんが過ごした証がそこかしこにありますよね。私もあなたの旦那さんに導かれてやってきた一人と言えるかもしれません」

 村の入り口にも、そして休憩所のあった分かれ道を示す看板にも、その達筆な字をメルクは見ていた。

「ええ、そうです。主人は外から来た人なのですが、おおらかな性格ですぐに村にも馴染んで、職業柄敬遠されがちな私にも分け隔てなく接してくれました。二人とも稼ぎこそあまり多くはありませんでしたけど、私はあの人がいればそれだけで幸せでした」

 祈祷師は目を細めて昔を懐かしみ、玄関の外で物音が聞こえても、彼女は気に留めていなかった。

「だから彼の病気が医者から治らないと言われようとも、私は祈りの力で何とかなると信じていた。いえ、縋っていたのね。彼が死ぬなんてことはあるはずがないと思っていたから。彼は何度も私に感謝の言葉を口にしてくれた。でも私は自分の力を過信していただけで、彼に何もしてあげられなかった」

 彼女は唇をきつく噛む。

「もういいんじゃないですか、自分を責めなくても」

 メルクは優しく語りかけるが、それで彼女の抱く自責の念を解消できるとは思っていなかった。それは自分が癒せるものではないのだろう。

「いずれにせよ、あなたのためにもこれ以上力を使うべきではないんですよ。力をなくした世界で生きてください。それがあなたが過去を許すために必要な治療なのだと僕は思います」

「ですが、私はもうこの村にはいられません。もし力を使わなければ、きっとこの前のように色んな人たちが押し掛けてきますし、その際にもっと良くないことが起きてしまうかもしれません」

「大丈夫ですよ」

「えっ」

 自信に満ちたメルクの声に驚いて、彼女は顔をあげた。

「僕が考えた二つ目の策です。これなら、誰一人として不幸になることのない結末を迎えられるはずです。僕の指示通りにしていただければ、全て解決いたしますよ」

 メルクはニヤリと笑った。

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