6 目標

 すでに日は暮れており、メルクたちは祈祷師の家にいた。

「やれるだけのことはやりました」

 山の麓にある病院からやってきた医者が話している。

「あとはそれこそ祈ることぐらいですね」

 医者はちらりと祈祷師の方を見る。祈祷師は部屋の隅で六芒星の魔方陣を描いた絨毯の上で藍色の石を握り締めながら、祈りを捧げていた。スメラダをベッドで安静にさせてから、メルクはスメラダの母親と医者を呼びつけていたが、彼女はその間もずっとひたすらに祈っていた。

「スメラダ」

 最初に気づいたのは彼女の手を握っていたスメラダの母親であった。

「お母さん?」

「スメラダ! 先生、目を覚ましましたよ」

「ええ、そのようですね」

 医者はいたって冷静に応え、瞳孔の様子を確かめ、聴診器を当てるなどして診察する。

「スメラダ、本当によかったわ」

 母親は涙を流している。メルクはそれを横目にその場を後にして外に出た。

「どこへ行くつもりですか」

 メルクが家を出て数歩歩くと、背中から祈祷師の声が聞こえてきた。

「そのまま二度とここに戻ってこないつもりなのではないですか」

 彼女はメルクが持ってきていたリュックサックがなかったことに気付いていた。

「スメラダに合わせる顔がありません」

「メルクさん、こちらを見てください」

 メルクは彼女の大きな声に思わず振り返ってしまったが、彼女が自身の胸部をはだけさせていたので、メルクは本当に驚かされる。

「ちょ、ちょっとどうしたんですか」

 メルクは辺りを見渡して人がいないのを確認してから彼女の方に向き直るが、そこでようやく気付いた。

「あっ、痣が」

「ええ、無くなりました」

 彼女は言う。彼女の胸に刻まれていた赤い刻印がきれいさっぱり消えていた。

「これまで魔石を取り込んだ人を何人も見てきましたが、自力で取り除いた人に出会ったのは初めてです。まさかこんなことが起こるなんて」

「不思議と今はあの力を使いたいとも思いません」

「もしかしたら心の底から必要ないと思えた時に初めて、契約が解かれるのかもしれません」

 メルクは考え込むように言う。

「メルクさんが来てくださったおかげです。本当にありがとうございました。夫のいない世界で、全てが自分の思い通りに行くとは限らない世界で、悲しみを抱きながらも前を向いて生きていこうと思えました」

「お礼を言うのは僕の方ですよ。今回乗り切れたのはあなたのおかげです」

「私には、あなたがあまりにも大きなものを背負っているように見えます」

 祈祷師は心の底から心配しているといった顔をみせる。

「僕の心配をしてくれるなんて変わっていますね」

 メルクは肩をすくめる。

「きっとメルクさんはずっと一人でやってきたのでしょうね。他ならぬあなたの大切な人のために」

 祈祷師は彼に慈しみの込もった目を向ける。

「あなたの行いは必ず誰かの心を動かしています。私たちは誰一人として孤独ではいられません。それぞれが影響を及ぼし合って生きているのですから。私にできることはあまり無いかもしれませんが、せめて祈りを捧げさせてもらいます。あなたの旅がどのような結末を迎えることになるかは分かりませんが、それが幸多きものであることを願っています」

「僕のやろうとしていることは、多くの人に反対されかねないことです。ご存知の通り、あなたにもその全てを話しているわけじゃない。魔石の回収だけが僕の目的ではありません」

「そうかもしれません。世界には様々な考え方の持ち主がいるわけですし、それぞれ驚くほどに目指している場所が違っています。ですが、それでも私はやはりすべての方が幸せでいられるように祈り続けたいと思います」

「どうしようもなく綺麗事ですね」

「そうですね」

 祈祷師の意志は固いようだった。

「出会った時以上に素敵ですよ、今のあなた」

 メルクはそんな祈祷師の姿を見てどこか爽快な気分になっていた。

「綺麗事は祈り続けるものです。祈り続け、言い続け、行い続ければ、いつかそれが現実になるのだと私は信じたいのです。ですから失礼を承知の上で言いますが、あなたもいずれ向き合わないといけないのではないでしょうか。自分のなさっていることがどのような影響を及ぼしているのか。確かに人間は失敗をしますし、目を背けたくなることも少なからずあるのでしょう。ですが、同時に私のようにあなたから素晴らしい贈り物をいただいた人間もいます。その両方を、全てを包括して受け入れなくては、あなたもいつか力に飲み込まれてしまうかもしれません。だから今だけでも一緒に戻ってはくれませんか、きっと悪いことはありませんから」

 祈祷師はメルクのそばまで近づくと、にこりと微笑んでメルクの手を取る。

 メルクたちが戻ると、スメラダはすぐに気付いた。

「メルク」

「ああ、目が覚めたんだね。良かったよ」

 スメラダと言葉を交わすことなく去ろうとしただけに、メルクとしては居心地が悪かった。しかしメルクが彼女の寝ているベッドの横まで行くと、スメラダは抱き着いてきた。

「すごく怖かった。周りが真っ暗で、段々と自分がどこにいたのか、誰なのかも分からなくなって、でも色んな感情や記憶が消えていくような感覚だけはあって、それがもう本当に怖くて」

 彼女は顔をうずめたまま泣きだす。

「ごめんよ、スメラダ。僕のせいで怖い目に遭わせてしまった」

「あの人、すごく嫌な感じだった。私に近づいてきて、メルクさんのしていることは世界への背信行為だとか何とか言って、彼はこういうものを使っているんだって宝石みたいに赤色に輝いている拳銃を見せてきたの。すごく綺麗だったけど、その光り方がなんだか怖くも思えて、でもその人が私に触ってごらんって言ったから、思わず触っちゃったの。私、ホントに馬鹿だった」

 彼女はしゃっくりをあげながら話す。

「それで触ったらね、なんだか気分が悪くなってきて、あの人はそのままどこかに行ったんだけど、その後も頭にもやがかかったみたいにぼんやりしてた。それから低いうなり声みたいなのが聞こえてきて、あとはもう良く分からなくて」

「無理に思い出す必要はない。怖かったね」

 メルクはただ彼女の頭を撫でることしかできなかった。

「でもね、メルクが私のことを助けてくれるって信じてたよ」

「助けたのは僕じゃない。むしろ僕は加害者側に近いよ」

「そんなこと絶対ない。あの人とメルクさんは全然違う。メルクさんがどんなことをしているかは知らないけど、私には分かるもの」

 スメラダは顔をあげて、真っ赤に腫らした目でメルクに訴える。

「メルクさんはすごく優しい心を持っている」

「そんなことないよ」

「どうして認めようとしないの」

「事実だからだ。僕のやってきたこと、そしてこれからもやることは、皆の望む未来を奪うことでもある。今日だってキミを助けることをためらった。あの男が言っていることもあながち間違いじゃないんだ。魔石で発現されたものやその恩恵だって人々の願いの結晶には違いないのだから」

 メルクは諭すようにいう。

「でも、約束してくれたよね。私のこと、色んな場所に連れて行ってくれるって」

「それだってすっぽかすかもよ。僕、約束は守らない方だし」

「それでもいいの。私、待っているから。だって約束を守らないと悪魔の業火に飲み込まれちゃうんでしょ」

「ああ、そうだったね」

 メルクは自分がした約束の口上に笑ってしまう。



 別れはあっさりとしていた。

「村は大丈夫なんですか」

 メルクは村の出口まで来たところで、祈祷師にそう問いかける。

「ええ。まだいらっしゃる方もいますが、あの日のことが思った以上に広く知れ渡ったみたいで、私が力を使えなくなったことも、スメラダの治療をしなかったこともあって信じてもらえているみたいです。それに来月から麓の病院で働かせてもらうことになったので、村に患者さんが来ることはなくなるでしょう」

「ああ、スメラダを診ているお医者さんと話したんだ」

「察しが良いですね。様々な症状を診たことがあるのを買ってもらえたみたいです。休みの日には村に戻ってきて夫の墓参りにも行けますし、スメラダの様子を見ることもできます。そうはいっても看護師として覚えなくてはならないことがたくさんあるので、当分はそのような余裕もないかもしれませんね」

 スメラダは大事をとってしばらく安静にしているようにと言われ、今日もベッドの上で寝かせられていた。しかしすでに以前と変わらないほどにまで元気を取り戻しており、動き回れない不満もあってかメルクが去る時もかなり不貞腐れた様子で約束のことをしきりに話しては大きくなったら旅に出るのだと言い張っていた。

「頑張ってください。あなたならきっと良い看護師になって、多くの人を癒すことができると思いますよ」

「自信はありませんが、精一杯努力します」

 祈祷師のはにかんだ顔は、メルクには眩しく見えた。

「是非また村にお越しくださいね」

「それはどうかな」

 メルクはやはりここに来ることは二度と無いと思っている。

「とにかく、あなたは一人ではありませんから。いつでも帰ってこられる場所があることを忘れないでください」

「そろそろ出ます。色々とありがとうございました」

 メルクは擦り切れたコートを羽織り直すと足早に歩き出す。

 彼女はスメラダの分までといわんばかりに手を振っていた。初めこそそのまま行ってしまうつもりだったメルクも何となく申し訳なくなって手を振り返す。すると彼女は嬉しそうにさらに手を振ったので、メルクは思わず笑ってしまった。それから笑い合いながら手を振り続け、それは互いの姿が見えなくなるまで続いた。

 しかし、それでも振っていた手を降ろした時にはすでにメルクから笑顔は消えていた。

「ヴァレンチノ」

 彼が低い声で呼ぶと、ヴァレンチノは茂みから姿を現す。

「奴がどこに行ったのか分かったかい」

 メルクはあくまでも起伏のない調子で尋ねた。ヴァレンチノは首を前に突き出すようにしてから、リュックサックを小突いた。メルクはきょとんとするが、すぐにその意図が分かるとこわばっていた顔が少し緩んだ。

「ああ、はいはい。その前に食べ物ね。まったく、食い意地を張るところは一体誰に似たのやら、困ったもんだ」

 メルクはカバンを前に持ってきて、中身を漁る。

「でも、その様子だと期待できそうだね」

 ヴァレンチノは大きな白い歯をみせてから獰猛に咆えた。

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ロイヤルパープルの憂い 城 龍太郎 @honnysugar

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