3 少女
「このたびは本当にすいませんでした」
少女がそのまま大きくなったかのような女性が、猛烈な勢いでメルクに頭を下げている。
「そんなに何度も謝らなくていいですよ。こうやってお邪魔させてもらっていることですし、僕は気にしていませんから」
暖炉の前で安楽椅子に腰を掛けているメルクは、その座り心地を確かめながら答える。
「いえ、そういうわけにはいきませんよ。ほら、アンタもちゃんと謝りなさい」
「どうもすいませんでした」
少女は母親に頭を押さえつけられながら謝罪の言葉を述べるが、さほど心はこもっていなかった。
「本当に大丈夫ですから。お財布も返してもらいましたし」
「いえ、そういうわけには。しかも常習犯だったなんて恥ずかしい限りです。出稼ぎに行っているお父さんが聞いたらとても悲しむわ」
メルクとしては少女の母親にまで先ほどのことを知らせるつもりはなかったのだが、娘が客人を招き入れるようなことは母親いわく「ありえない」ことだったらしく、根掘り葉掘り経緯を聞きだされていった結果、これまでの所業も含めて全て明らかになった。
「うんざりなのよ。ここに来る人たちは皆、こっちのことも考えずに好き勝手荒らしていくんだもの。だから腹いせにやっていただけ。言ってみればそう、賠償金、賠償金よ」
少女は面倒くさそうに手を振る。先ほどメルクの前でおどおどしていたのは、猫を被っていただけのようだ。
「気持ちは分かるよ。自分たちの村に知らない人が大勢押しかけて来るのは僕も嫌だと思うだろうし、仕返しの一つもしたくなる」
「そうよね」
彼女は激しく同意する。
「だからこそ、僕が旅人で偶然通りかかっただけだと言ったときは動揺したわけだ」
「そう。もしかして間違えた相手をターゲットにしちゃったかなって」
「間違っているのはアンタの行動よ。いえ、私の育て方かもしれないわね」
母親は頭を抱える。
「そうだね。僕はキミに説教する資格もない人間だけど、一つ言えるのはリスクを背負っていることは自覚した方が良いと思うね。キミのような小さな女の子が大人の男に仕掛けてバレたりしたら、何をされるか分かったもんじゃないよ。キミが思っている以上に向こう見ずで下衆な大人は多い。キミが危険に晒されるのは自業自得だとしても、キミの大切な人たちにまでそれが及びかねないことを理解して、その上でなお止める気がないというなら僕からは言うことはないかな。ただ、今度は家で夕食を振る舞うだけでは済まないかもしれない」
メルクはテーブルの上に置いてある、まだ熱の冷めていない自家製クッキーをつまむ。母親がお詫びにと自分たちで食べるために作っていたのをもらったのだが、店で買ったものにも劣らぬ味でメルクは感心していた。
「それは、その通りですね」
彼女は先ほどまでの勢いはすっかり無くなり、しょげかえっていた。メルクは説教をしたかったわけではないので、余計なことを言って重い空気にしたことを後悔し、やはり柄にもないことはするものではないなと思った。それもあって、わずかに逡巡してからメルクは口を開いた。
「じゃあ僕と約束しようか。こういうことはもうしないってね」
メルクは右手の小指を出す。
「何、それ?」
少女は首を傾げる。
「おまじないのようなものさ。キミと僕の小指同士で絡めて契りを交わすのさ」
彼女は戸惑いながらも小指を差し出してきたので、メルクはそれを柔らかく絡めとるように結んでから言った。
「指切りげんまん、嘘ついたら地獄の業火でもーやす、指切った」
「えっ。何それ。すごく怖いんだけど」
メルクが小指を離すが、少女は驚いて指を出したままであった。
「あくまでもおまじないさ」
メルクは優しく微笑みかける。
「これでよろしいでしょうか、お母様」
「えっ、ええ」
母親の方もメルクの言動に驚いていたのか、戸惑いながら返事をした。
「では僕はお暇させてもらおうかな。財布は返してもらいましたし、美味しいクッキーまでいただいてしまいましたからね」
メルクはさっさと撤収しようと木製ハンガーに掛かっているコートを自ら取りに行こうとする。しかしそばに立っていた少女に右腕を掴まれた。
「ん?」
メルクは少女の方を向く。
「ねえ、今日はここに泊まるって言ってなかった?」
彼女は落ち着かない様子でもぞもぞとしていた。
「あれはさすがに冗談さ。僕は見知らぬ人の家に勝手に上がり込むことを良しとしない性格なんだ」
メルクは胸を張って言う。己の過去は顧みない性格であった。
「さっき私が家に案内したら、この村に来た理由を話してくれると言っていましたよね」
「そうだっけ」
メルクはとぼける。まだ幼い少女に財布を盗られたことに、思いのほか動揺していたのかもしれない。
「私、確かに見たんです。あなたがあの人のところから出てくるのを。だから財布をすってやろうと思ったの。でも言われてみればあそこに来るような人たちとは、なんとなく雰囲気が違うとは思ってい」
メルクは自分の目的を話すかどうか悩んでいた。
あの祈祷師は時間が欲しいと言っていた。彼女は誠実な人間であるように見えた。しかしだからといって、初めて会った人を無条件に信頼するほど、メルクも純粋ではない。
「キミたちはあの祈祷師について、どのくらい知っているのかな」
メルクは逆に質問で返す。
「もちろん良く知っていますよ。この村は狭いですし、皆が寄り添って暮らしてきていますので。代々祈祷師として続けている家系で、村の祭事などはお金を受け取ることなく引き受けてくださるんですよ」
母親の方が答える。
「うん、あの人はとても優しくて良い人。祈祷師なんて聞くとちょっと近寄りがたいイメージもあるけど、あの人は全然そんなことなかった」
「なかった、ということは今は違うのかい」
メルクは気になって尋ねる。それに答えたのはまた母親であった。
「ええ。実は一年ほど前に彼女は旦那さんを亡くしてしまい、それ以来ずっと落ち込んでいました。本人は気丈に振る舞っていたのですが、無理している感じがこちらにも伝わってくるほどでした。なので、しばらくはそっとしておこうということになりました。あくまでも気持ちが落ち着くまで待とうという意味で、決して疎外にしようとしたわけではありません」
二人は互いに示し合わせたかのように目を伏せて悲しそうな顔で頷く。
「ですがそれが最近になって、奇跡の祈りなどと騒がれるようになりました。あの方は以前から悩みを抱えている人を家に迎えて祈りを捧げられていたのですが、そこで祈りを授かった人たちが浮かれるように言いふらし始めたそうです。初めは村の人間はその人たちの言うことを取り合いませんでしたが、私も含めて祈りに立ち会わせてもらったところ、あの人の身体から青白い光が溢れ出して相手のことを包み込み、みるみるうちに患部を元通りに治してしまったのを目の当たりにさせられました」
「なるほど。それから話題になり、遠方からも人が来るようになったわけだ」
「あの人は優しい性根なので誰も彼も助けようとします。それはとても立派なことだと思いますけど、でもここに来る人たちの皆が皆、行儀が良いわけじゃありません」
「そうそう。私がこの腹いせを思いついたのも、治療目的で来た団体の人たちが、私にぶつかったときに自分が落としたものにも気付かずに行ってしまったのを見たのがきっかけだったぐらいだからね」
先ほど少女にも言ったように、メルクも村の内外で見かけたような人間たちが連日来ていたらそれはもう嫌になるだろうと思っていただけに、村人たちも同じ感情を抱いていることには大いに納得できた。
「実を言ってしまうとですね、僕は近いうちにその問題を解決してしまうでしょう」
「どういうこと」
少女は驚いて、メルクの腕をぎゅっと強く握る。
「ですが、これは口外しないでくださると助かります。僕はあなた方の人柄を信じて話すのです」
メルクは言いながらも、女性はここだけの話に弱いと聞くが実際はどうなのだろうかなどと内心では考えていた。
それから祈祷師とのやりとりを断片的に明かした。その手法が紫の拳銃で相手の頭をぶち抜くことであり、そこに苦痛が伴うことなどは言わなかった。
「つまり一週間後、あなたが処置とやらを施してあの人の持つ奇跡の力をなくすわけですか」
「ええ。その予定です。彼女が一週間後に僕と会ってくれたらの話ですが」
「それは大丈夫だと思いますよ。誠実な方ですので」
「ええ、そうでしょうね。集落の方に迷惑をかけていることを本人も気にされてました。ただ、それはあくまでも彼女の話です。もしもこの話をここに来る方たちが知ったら、過激なことをしないとは限りません。たとえば彼女をさらってしまったりね」
少女とその母親は絶句する。それほど驚くことでもないだろうにとメルクは思ったが、少し配慮に欠ける言い方だったのかもしれない。
「僕もできるだけ気を付けようと思っています。ですから、何か異変に気付いたら教えてもらえませんか。もちろん僕のことを信頼するに足る人物だと判断するならの話ですけどね」
メルクは笑いながら言う。
「そういえば、ここに住んでいる人たちはあの力で治癒してもらったことはあるんですか」
「ありません。私たちはご覧のとおり人里離れた山間で生活しているので、なるべく自分たちの力で解決するようにしています。少しの風邪やケガぐらいなら寝て治してしまうんです」
「それは立派な心掛けですね」
その後、話をしているうちに日が暮れたので、なし崩し的に夕食までごちそうになることになった。そしてこれはメルクにとっては毎度おなじみの流れであり、むしろ夕食にありつきたいから話を長引かせたところさえあった。
食後のデザートとして村の共同の鶏舎小屋で今日採れたばかりだという卵で作ったプリンをお腹に収めたところで、母親が言う。
「夜の山は地元の人でも危ないですから、ぜひ泊まっていってください」
「いいんですか」
「ええ、この子もすっかりメルクさんのことを気に入っているみたいですし」
「まあねー。メルク面白いんだもん」
スメラダは丈夫そうな白い歯を見せて笑う。母親が夕食の支度をしている間、メルクは彼女とおしゃべりに興じており、そのときにスメラダという名前も聞いた。メルクが語る旅での出来事、例えば砂漠で飢え死にしそうになったり、ある国では牢屋にぶち込まれたりしたことを誇張してあることないこと語るのを、この村からほとんど出たことがないというスメラダは目を輝かせて聞いていた。
そして今、メルクの膝の上にスメラダは抱きつくように乗っていた。
「ほら、どう?」
スメラダは関節の柔らかさから器用に自分の足をメルクの足のももに押し付ける。
「たしかにすごく固いね」
メルクが彼女の足裏を指で押してみると、石のように固くてごつごつとしていた。幼い頃から毎日のように山の中を駆けまわっており、隕石の破片とも呼ばれる尖った岩も沢山転がっているらしく、その岩場を履物も履かずに歩きまわっているうちに足裏が固くなったそうだ。彼女のたくましさと俊敏さは環境によって育まれているようだ。
「でしょ」
スメラダは得意げに笑う。一旦打ち解けると人懐っこく、感情表現も豊かだ。
「メルクの足は、男のくせに白くて棒切れみたい。私のお父さんのなんてほとんど丸太だよ」
彼女はメルクの足をぺたぺた触りながら言う。メルクとしては、毎日歩いているのでそれなりには筋肉がついていると自負していたが、スメラダにとっては全く物足りないようだ。
「ほら、お母さんもいるわけだしさ、あんまりべた付かない方が良いんじゃないかな」
メルクはほとんど身体を絡ませるように張り付くスメラダに対して諭すように言う。
「あら、別に気にしなくていいのよ。いざとなればお婿さんに来てもらえばいいだけですから」
どうやら親子共々抜け目ないようだ。
「僕は根無し草の旅人ですから、一つの地に定住することはありませんよ」
「あら、それは残念ね。この村にはこの子と同年代の男の子が一人もいないのよ」
「僕だってスメラダとはかなり歳が離れていますけどね」
「いいなあ、私も一緒に旅とかしてみたい。それで大きな街や広い海に行ってみたいなあ」
スメラダはメルクの上で身体を揺らしながらいう。
「旅は楽しいことが沢山あるけど大変なこともあるからね、スメラダにはまだ早いかな。今も十分に気ままなものだけど、誰かと一緒に行くような旅は僕の仕事が完了した後だね。逆にいえば、時期が来れば僕が断る理由もないかな」
「本当に?」
「ああ、僕がその時に生きていればの話だけどさ」
「なにそれ」
スメラダは冗談だと受け取ったようだ。「じゃあ、約束してよ」彼女はスッと右手の小指を突き出してきた。
「なるほど、そう来たか」
メルクはスメラダの得意げな顔を眺めながら肩をすくめ、先ほどと同じように小指を絡めて約束をかわす。
そんなこんなで泊まらせてもらうことになったメルクとヴァレンチノであったが、メルクにとってはどこであろうと基本的には二度と戻ることのない場所であり、どんな噂を立てられようが構わないが、波風を立てたいわけではない。それでも二人とも三日ほどなら変な噂にもならないだろうから問題ないと言ってくれたので、好意に甘えることにした。
「ヴァレンチノ」
夜の暗がりの中、寝静まった家を出て、かやぶき屋根のほったて小屋の中で腰を下ろしていた。
「今回は珍しくまた来てほしいと言われたよ。でもきっと彼女らも僕の所業を目の当たりにしたら気も変わるだろう。ああ、無責任な約束さ」
メルクは先ほどまで外していた腰に付けたホルスターから、高貴な紫色にきらめく銃を手にする。
「でも、だからといってやめるつもりはない。どんなことがあってもね」
横で脚を折り曲げて座るヴァレンチノはその瞳で彼を見ていた。
「さあ、僕らも寝ようか。今日は疲れたんじゃないか。久しぶりだっただろ」
メルクはヴァレンチノの方を見るが、ヴァレンチノはそっぽを向いて寝息を立て始める。
「まったく、キミは出会った頃から少しも変わらないよね」
メルクは苦笑いを浮かべ、そこで目を瞑る。
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