9 王子
「いやあ、無事に終えてめでたしめでたしだね。同郷会の主催者にもなってしまったし、ホントに良く働いたもんだ。それにしてもヴァレンチノってば、僕が檻に入れられても助けに来てくれないなんてホント冷たいなあ。そんな子に育てた覚えはないよ」
メルクは苦言を呈するが、背中を鼻で小突かれた。
「冗談だって、ごめんごめん。僕が獄中にいたときに、代わりに走り回ってくれていたことには感謝しているさ。ラインに知らせてくれたおかげで牢屋から出られたし、国王様と話した後に城まで駆けていって、城壁の三階近くまで僕を投げ飛ばしてから、アンヌも連れてきてくれたもんね。欲を言えば、投げ飛ばす時にもう少し優しくしてほしかったところだけど。いや、嚙まないでよ。痛い痛い」
首筋に歯を立てて噛みつくヴァレンチノをどうにか引き離す。
一人と一頭はすでに国を出て、両脇に山林が広がる一本道を歩いていた。
レドとテーネが連行され、各地方にゲンズ政権の崩壊が瞬く間に広められたことで、国は歓喜の渦に包まれていた。おかげで今朝は国中がお祭り騒ぎになっていたが、メルクとしては魔石の回収を終えればもうあの国に用はなかったので、その騒動に紛れるように国をあとにした。大半の特に上層部と全く関係のない衛兵たちなどは呑んだくれていたのでろくに出国手続きもされず、また宮殿内にある食料と水を拝借することは忘れていなかった。おかげでメルクのリュックサックがぱんぱんに膨れているだけでなく、ヴァレンチノの背中には大きな麻袋が載せられている。そのせいでいつもより歩くペースが遅くなっていた。
「でも今回は大事にならなくて本当に良かったと思うんだ。だってもし異能を中心とした国としての基盤ができてしまっていたら、国ごと敵に回さなくてはいけなかった。そうなるとさすがに魔石を奪う難易度は跳ね上がるし、奪った後に国が荒れるのは間違いない。それに何より、一度力を手にしてしまうと本人のみならず国全体がそれに依存するようになり、奪われてからも魔石に固執して追い求めてしまうだろう」
同意を求めて後ろを振り返るが、不機嫌さを隠さないヴァレンチノに洋服の襟を噛まれてしまう。入国時から何かと働き詰めであり、しかもほとんど盗賊同然に持ってきた大量の食糧等を背負わせていることが原因であろう。
「悪かったよ。次の国ではもう少し休ませてあげるからさ、機嫌を直してくれよ」
「ねえ」
メルクがヴァレンチノに小突かれていると、後方から声が聞こえてきた。メルクは噛まれてはだけていた服を整えながら振り返る。するとそこには見覚えのあるすらっとした女性が息を切らして立っていた。背中にはバックパックを背負っている。
「散歩コースにしてはずいぶん遠くまで来るんだね」
「違うわよ。あなたたちを追いかけてきたの、見れば分かるでしょ」
リーアは駆け寄ると両手を膝につけて、改めて呼吸を整える。
「だって、気付いたら何も言わずにいなくなっていたじゃない。ラインもどこに行ったのかと気にしていたわよ」
「僕たちは仕事を終えたからね。用がなければ立ち去るだけさ。魔石のことを調べるついでに観光も済ませてしまったし」
「あなたは毎回こんなことをしているの」
「ん? まあね、これが僕の仕事だから。雇用主もいなければ給料も出ないけどね」
「意外と良い奴なんだ」
リーアはメルクの前では珍しくはにかんだ。しかしメルクはむしろしかめ面をした。
「良い? 僕が? それは無いね。自分を卑下するつもりはないけど、僕は犠牲をあまり厭わないし、平気で食料や水も盗む人間だよ」
「でも、結局あなたたちは国の危機を救っているわけでしょ。本来なら関係ないのに首を突っ込んで、牢屋にまで入れられてさ。そうまでして、あなたたちはその悪魔の業火とやらで国が滅びてしまうのを止めようとする。それは誰にでもできることじゃない」
「確かに、ロイヤルパープルの所持者である僕でなければできないことではあるね。でも少なくともキミが思っているような慈善事業ではないよ。強いて言えば、これは贖罪のためにやっているのかな」
自分のことに関する話にも関わらず、メルクは疑問符を浮かべるような言い方をする。それは適当にあしらっているだけなのか自分でも計りかねているのか、リーアには区別がつかなかったようだ。
「まさかあなたが魔石をばら撒いたとか」
「それも少なからずあるけど、僕の動機はそれだけじゃない」
「じゃあ、何よ」
「うーん、話したくないかな」
「私は気になるわ。だってあなた、普段は他人に対して遠慮のない態度なのに、肝心なところで今みたいに線引きするでしょ。あなたは友達がいないなんて言っていたけど、あなた自身が作ろうとしていないだけに見えるわ。そしてそれは巻き込まないようにするためなのよね。だってあなたは少なくとも周りが本気で嫌がることはしないし、気遣いもそれなりにできる。あなたの脱獄に協力した衛兵の人が、あなたからお礼に宝石をもらった際にお守りまでくれたと話していたわ」
「ああ、彼には助けられたよ。彼がいなかったら、僕はいまだに獄中生活だったかもしれない」
メルクを牢屋から出してくれたのは、メルクが関所でルビーとターコイズをあげた衛兵であった。
「彼は懺悔していたわ。これまで自分の保身ばかり考えていたが、彼のような自分の国でもない人たちのために命を賭けてくれる人をみて、目が覚めたと。自分が衛兵になったのは、この国に暮らす大切な人たちを守るためだったことを思いだしたってね」
「それなら良かった。人はいつだって何かに操られている人形だけど、自分の意思によって何に操られるかは変えることができる。それが人生を喜劇にしてくれる」
「そうね。人は愛や忠誠心で動くときもあれば、お金や権力でも動く。だからこそ聞きたくなったのよ、あなたが一体何で動いているのか。単純に照れ隠しで、利他の精神を否定しているわけでもなさそうだったから」
リーアは真っすぐにメルクを見つめていた。だから仕方なくメルクは少しだけ話すことにする。
「僕が布切れに書いてラインに伝えたことは大方知っているんだよね」
「ええ」
「そこに悪魔の青い業火の話があっただろう。国が滅んだという話で、そういうことが起きないように僕らは旅をして魔石を探し集めているって」
「城の屋上でも言っていたわね」
「その国が滅んですべての人間が灰にもならずに呑み込まれていったと書いたけど、実はそこから生還した人間が一人だけいたんだ」
さすがにそこまで聞いて先が分からないリーアではない。
「それがあなたなのね」
「そういうこと。あとはヴァレンチノもね。まあヴァレンチノは例外的な存在だし、一人だけと言った方がドラマチックに聞こえるからそちらにしているよ。それで、僕はその国の王子だったのさ」
「えっ、王子?」
リーアは本当に驚いていた。
「これがその国を治めていた僕の家の紋章だ」
鎖に繋がれている黄金に縁どられた六芒星をひし形に囲み、その隙間には青い宝石が敷き詰められて輝きを放っている。王子であったからこそ、彼が宝石をおいそれと渡せるほどに莫大な財産を所有しているのも納得できる。
「だとするとあなた、友達がいないと言ったのは」
リーアの顔はわずかに青ざめている。
「皆、業火に飲まれたからね」
「そう、そうよね。普通に考えたら、あなたが青い炎を目の前で見たと言ったときに気付くべきだったわ」
「別にキミが何を思う必要もないさ。再び業火の災厄を起こしたくないと思う人間が増えてくれるのは歓迎すべきことだけどね。僕らの国は魔石を幾つも手に入れたことで周辺国を圧倒する強国になっていたけど、今は絶対的な国もなく群雄割拠であるだけに、魔石の争奪戦はますます激しくなるに違いない。それでもキミたちの国は、山に囲まれていて地形的に攻め込まれにくいし、ハッキリ言ってしまえば結構な田舎だから魔石に頼らなくてもやっていけるはずさ。どちらにしても、通りすがりの美青年に魔石を渡さなければ良かったと後悔しても今更遅いけどね」
「辛いことを言わせてしまって、ごめんなさい」
「本当に気にしないでいいのに」
メルクとしては、むしろ話したくなかったことをうやむやにできそうだと思っているぐらいである。
「だからそのお詫びに、私も一緒について行ってあげるわ」
「えっ」
今度はメルクが驚かされる。
「リーアはパティシエになるのが夢じゃなかったのかい」
「そう。だからもっと栄えている国に行って、そこで一流の人に教わるの。あそこの店主さんもかなり上手い方ではあるけど、もっと刺激のある栄えた場所に行ってみるのも悪くないかなと思って」
「どうりで荷物が多いのか」
リーアが大きなバックパックを背負っていた理由を知る。
「それなりに覚悟をして来たのだろうけど、地元の方は大丈夫なの。テーネのことだってあるだろうから、ラインたちを支えられる人が必要なんじゃないかな。特にアンヌの家は風当たりが強くなるかもよ」
「やっぱりそういうことにまで気が回るのね。でも大丈夫よ、ラインとアンヌはもうすぐ結婚するわ」
「ふうん。それはめでたいね」
メルクはさほど感慨深くもなさそうに相槌を打つ。
「それにテーネも反省しているみたいだから、刑罰も多少は軽くなるみたい。それでも当分は牢屋から出られないだろうけどね。そもそも国の財政を悪化させたのは国王直属の部下や財界上層部との関係がこじれたせいだから、むしろそっちの方が大変でしょうね。責任を問われる筆頭たる人物であるレドも、いつの間にか脱獄して行方をくらませてしまったみたいで」
「へえ」
メルクは本当に興味がなく、道の端に生えている木の実を口に含む。しかし酸っぱかったのですぐに吐き出した。
「でもきっと大丈夫よ。上手くやってくれると信じている。だから代わりに、先行きが不安なあなたの友達になってあげるって言っているのよ。これであなたも一人じゃなくなるでしょ」
リーアはメルクの顔を覗き込んでくる。
「もしかして僕に惚れたの?」
「違うわよ」
リーアが思い切り顔をしかめる。
「まあ、僕は見た目がどうしようもなく良いだけじゃなくて血筋も高貴だったものだからね、言い寄ってくる女の子は無数にいたさ。全く驚きはない。いや、本当に僕って驚くほど完璧な存在だよね」
「そのおしゃべりな口が全てを台無しにしているのよね」
「なんにしても、一緒には行けないよ。僕たちについて来れば、キミもまたろくな目に遭わないし、最悪死んじゃうよ」
メルクはあっさりそんなことを言う。
「どうしても駄目なの」
「ああ。キミと親しい人のためにも行かないべきだ。職人として成長するために、国を出るというのは立派な志だと思うけど、少なくとも僕と一緒に行動するべきではない。僕はもう目の前で自分の大切な人が死んでいくのは見たくないんだ。許してくれないかな、お嬢さん」
メルクは諭すように彼女に言った。
「分かったわ。突然変なことを言い出してしまってごめんなさいね」
「謝ることじゃない。キミが悪いことは何もないさ」
リーアの目には一筋の光がきらめいたのを見えた気もしたが、正直なところメルクとしては諦めてくれたことにほっとしていた。
「でもね、ちょっと嬉しかったわ」
リーアはすぐに顔をあげる。目元にはすでに何もなかった。
「最後にようやくちょっとだけでも本心を見せてくれた。いつも胡散臭いことばかり言って煙に巻いていたけど、今はちゃんと答えてくれた。仕方ないから今はそれだけで満足してあげるわ」
「じゃあ、お別れだね」
メルクは再び荷物を背負い直す。ヴァレンチノも道草を貪るのをやめて顔をあげる。
「そうね。今度会う時は、美味しいバウムクーヘンを振る舞ってあげるわよ」
「おおっ、それは楽しみだ」
「今日一番の笑顔ね。まあいいわ、だから、あなたもそれまで死なないでね」
「努力するよ」
メルクは曖昧な返事をする。きっとリーアもなんとなく分かっているのだろう、それ以上は言及してこなかった。
そして一度前を向いてまた歩き出せば、もう振り返ることはなかった。
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