8 決着

 決着がついたのは一瞬だった。

 扉を蹴破るように勢いよくラインは飛び出した。

「何だ?」

 屋上で一人、月明かりに照らされるゲンズがラインの方を振り向く。しかしラインは構わず拳銃を向けて、引き金に手をかける。

 そして迷わず、その引き金を引いた。

 誰も何も言う暇など無かった。ゲンズの胸元から花が咲くように鮮やかな赤色がシャツに広がっていくのがみえた。ゲンズは何が起こったのか分からないといった表情を浮かべて胸を抑え、そのまま前のめりにうずくまるようにして倒れ込んだ。

「よくやってくれました、ラインさん」

 レドが後に続いて屋上に出てきた。

「あなたは英雄だ。この国の窮地を救った。これでこの国は新しい国へと生まれ変わることができます」

 レドが両手を広げながら褒め称える。人が撃ち抜かれた現場にしてはいささか明るすぎる声だった。

「ゲンズについているはずの従者はどこだ」

 ラインは屋上に出てからゲンズ以外の者の姿を見ていない。しかしその答えはすぐに与えられた。

「ここにいる」

 ラインはその声のした方に振り向く。先ほどラインたちが出てきた扉の反対側にあった塔の影から彼は現れた。

「テーネ」

「ああ、そうだ。僕だ」

 暗がりからテーネが現れた。

「久しぶり、でもないか。あの田舎まだしばらくも経っていないな」

「俺は、おまえと話をしにここまで来た」

「話?」

「俺たちのこれからの話だ」

 ラインが言い放つ。ラインは強い意志を持った眼差しを、テーネは少し冷めた眼差しを、互いに向け合う。

 わずかな静寂。

 しかしそれを破ったのは二人ではなかった。

「茶番はその辺で終わりにしたらどうですかね」

 レドはやはり明るい声で言った。

「ああ、終わりにしよう。二人とも」

 ラインは頷くと、手に持っていた拳銃をレドに向けた。

「一体何の真似でしょうか」

 レドの顔が引きつる。

「俺が気づいていないとでも思ったか? 田舎の馬鹿な農夫なら簡単に騙せると考えていたんだろう」

「何を言っているのかさっぱり分かりませんね」

「今更取り繕うとしても遅い。アンタが自分で言っただろ、茶番は終わりにすると。だから俺もそれに乗っただけだ。今回の計画、失敗などありえなかった。何故なら初めから俺にゲンズを撃たせるために全て仕組んだものだったから」

「バレてしまっているならば、仕方がありませんね」

 先ほどからすでに化けの皮が剝がれかけていたとはいえ、一応の体裁は保とうとしていたようだったが、もはやそれすら無くし、レドは背筋の凍るような意地の悪い笑みを浮かべた。

「ただ一つだけ、聞きたいことがあります。どうしてあなたは私たちの計画に乗ったのですか。やはり名声や権力が欲しくなったのですか」

「違う。話をつけるためだ。俺は一介の農夫、政治のことはよく分からない。ただ、大事な親友を取り戻しに来ただけだ。これからのことだってアンタらが勝手に決めればいい。仕組んだ理由なんかをいちいち問いただすつもりもない」

 ラインは真面目に答えたが、それを聞いてレドは一笑に付した。

「あなたは何も分かっていませんね。まさかゲンズを殺して、そのまま帰れると思ったのですか」

 ラインは拳銃を構えたまま、眉をしかめた。

「アンタたちが手を汚さないで済むようにと俺にやらせたのだろう? ゲンズを撃つのに失敗したときは、その責任を俺に被せれば良いしな。その後に俺の口を封じれば良いとでも思っていたんじゃないのか」

 レドにはこれほど城内の状況をコントロールする力があるのだ。自分のような愚かな人間に先陣を切らせ、自身は安全が確保出来てさえいたらそれでよかったはずだ。その後で自分の口を封じておけばゲンズ討伐の功績も得られて、レド自身が王の座に就くこともできる。そういう話だとラインは思っていた。だからこそ、レドが次に発した言葉は予想だにしていていなかった。

「よく聞いてください、ラインさん。次に玉座に座るのはあなたです」

「は?」

 聞き間違いかと思った。

「あなたが新たな国王になるのです。どうですか、農夫から国王になる気持ちは。こんなことは滅多にない。田舎の酪農家ながら暴君に立ち向かった勇敢な青年。これならば民衆からの支持も十分に期待できるでしょう」

 ラインは拳銃を向けたままではいたが、さすがに戸惑いを隠せなかった。

「話が見えないぞ。おまえたちはゲンズに操られているふりをしていた。それは傾いていた国の財政を立て直すためだった。だから前政権の関係者や経済界の上層部がグルとなり、ゲンズの機嫌を損ねないように気を付けながら、玉座にけしかけた。そして奴が王座に就くや否や、金のある王都を中心に臨時徴税を何度も行い、時には直接赴かせて奴の横暴さを国民に印象付けさせた。これは推測だが、おそらく今の政府には金がなくて、金銭トラブルか何かで揉めていたのではないか。キースのおっさんみたいな商人たちは以前から政府の方針に不満を抱いていたし、今回も宝石屋の主人や炭鉱のオーナーも捕まっているが、それも関係があるんじゃないか。もちろん、そうだったとしても俺はそのことに首を突っ込むつもりはない。ただそこに巻き込まれている親友を助けに来ただけだ」

 レドは顎に手を当ててラインの話に耳を傾けていたが、やがて口を開いた。

「なるほど。まさか田舎の農夫にそこまで看破されるとは思ってもみませんでした。いやはや、素直に感心しましたよ。しかしやはり考えが浅いようですね。どうせならば、その情報を餌に私たちを脅迫するぐらいのことをしても良かったと思いますよ。そうすればあなたもより多くのものが得られたかもしれない」

「何度も言わせるな、俺はアンタみたいな人間とは違う」

 しかしレドは首を横に振る。

「そういうことではないのですがね。計画のあらましを把握していても、どうしてこれほど回りくどい計画を立てたのかは分からなかったらしい。さっきも言ったことですが、この計画はゲンズを葬って終わりではありません。あなたが国王になることで初めて完了するのです」

「本気で俺が国王になるとでも思っているのか」

 ラインにはレドの言っていることが理解できなかった。どうして俺が国王にならなくてはいけない。そんなのはいくらでも適任がいるだろうし、そもそも農夫に務まるはずがない。

「ラインさん。あなたは一つ重大な勘違いをしています」

「何を、だ」

 ラインは尋ねようとした。しかしその口が突然動かなくなり、再びあの心臓を鷲掴みにされるような感覚が蘇ってくる。無理やり世界から引きはがされていくような痛みに、額や背中から冷や汗が滲み出る。

「まさか」

 それでも凄まじい精神力で耐え抜きながらラインは口を開いた。

「おっしゃる通り、衛兵たちが演技をしていた、それだけのことではあります。あたかもゲンズによって操られ、それに屈しているようにみせていた。しかし実際のところはその真逆、我々がゲンズを操っていたのですよ。彼は異能を使わずとも、少し脅せばもうその後は操り人形として働き、我々に背くようなことはしませんでした。助けを求められる人もおらず、酒に逃げ込むしかなかった哀れな男です。ただ、やはりゲンズでは役不足だったことに我々はすぐに気付きました。あなたのように謀反を企てる輩が後を絶たなかったのですからね。そしてこちらの芝居がバレてしまうのも時間の問題だった。そんなところで、あなたを利用する計画を思いついたのです。そう、つまり初めから異能は我々の手にあったわけです。いや、我々と言うのは語弊がありますね。力を持っておられるのは、これからこの国の真の支配者となるテーネ様です」

 レドはその場でテーネに向かって恭しく頭を下げる。テーネはラインに右手を向けて、ただ無表情にラインのことを見ており、レドには一瞥もくれない。先日この異能を受けた際、そばにいたテーネがやはりこちらに腕を伸ばしていたことをラインは思い出す。

「そういうことか。全てがつながったぜ、テーネ」

「あなた、どうしてまだ喋れるのですか」

 レドが驚いてラインのことを見た。確かに彼の口は未だに動かせていた。身体は相変わらず自由が利かないが、寒気も少し引いている。

「いいか、テーネ。おまえはきっと強大な力を手に入れて、おかしくなっちまったんだろう。でもまだ間に合う。こんなことはもうやめるんだ」

「口を慎め。テーネ様を呼び捨てにするな」

「うるせえ、眼鏡野郎。俺はな、馬鹿やっている親友を一発ぶん殴ってやらなくちゃ気が済まねえんだよ」

「テーネ様、筋書きを変えましょう。ゲンズを倒そうとした勇敢な農夫のラインは、銃弾でゲンズを撃ち抜いたが、不運にもゲンズの魔法によって操られたことで城から転落してしまった。そういうことにすればいいんです。そいつを完全に操れない以上、今後支障が出かねません。代わりのマリオネットを探しましょう。頑なに固辞していた前国王の方が、まだこの男よりは扱いやすいはずです」

「おまえに俺が殺せるのか?」

 ラインは塔の陰に立って無表情を貫くテーネに問う。

「本当にそんなんでいいのかよ。周りはお前のことを持ち上げるだろうが、同時に畏怖の対象として孤立していくことになるはずだ。今ならまだ間に合う。一緒に俺たちの故郷に帰ろうぜ、お袋さんやアンヌも待っている」

「相変わらずどうしようもない馬鹿だな、ラインは」

 そこでようやくテーネは建物の陰より出てくる。

「何だと」

 ラインは眉をひそめる。

「俺はあんな田舎町に帰りたいとは思わない。毎日退屈だった。大した刺激もなく、どこまでも狭い人間関係に縛り付けられる日々にうんざりしていた。事あるごとに、どうしてそんなくだらないことで笑えるのかといつも思っていたさ」

 テーネはラインのことを見下して言う。

「お前のことももちろん嫌いだった。馬鹿みたいに真っすぐな正義漢で、向こう見ずなくせに周りからは好かれる。正直疎ましくて仕方なかった。だからもう俺には関わるな。これが最後の警告だ。お前に選択肢はほとんど残っていないが、黙って従うなら命までは取らないでやる」

「やっぱりそうだったのか」

 ラインがしたり顔で頷く。

「何のことだ」

「最後ということは、これまでも俺に警告してくれていたんだろ。あの時、おまえは俺に警告のつもりで力を使った。おまえは俺のことを嫌いだと言うが、それもきっと巻き込まないようにするためなんだろ」

「違う、ただ腰抜けどもを脅すためだ」

 テーネは即座に否定するが、ラインはさらに続ける。

「それもきっと俺だけじゃないんだろうな。そうやって、各地であえてその力を見せつけることによって、今の俺みたいにゲンズを倒そうと目論む輩をけん制していた。それはきっと新たなマリオネットを作らせないようにという、せめてもの抵抗だったんだ」

「抵抗とは、あなたは馬鹿なのですか。全てを掌握されているのはテーネ様だというのに」

「力を得た者はただ力を得ただけでは済まないと変な旅人が言っていたぜ」

「もういいです、これ以上は時間の無駄でしょう。彼をマリオネットにするのは諦めて、さっさと始末してしまいましょう」

 レドがそう言うと、ラインの足が勝手に動き出した。

「後悔、しても……知らねえ……ぞ」

 さすがにへばってきたのか、ラインは息絶え絶えだった。しかしそれでもテーネは無表情で彼の足を前に進める。そしていよいよ、ラインの足があと一歩で石床の無いところまでやって来た。

 ゆっくりと右足があがる。

 ラインの上体が前のめりになる。ラインはそこで初めて下を見た。そしてそこで彼の目に入ってきたものに驚愕した。

「やあ。こんばんは」

 降ろされた右足がその声の主によって支えられていた。

 すでにバランスを崩して落下していかなくてはおかしいはずのラインが、右足を宙に浮かせて止まっているので、テーネとレドは揃ってぎょっとした顔をみせる。

「よいしょー」

 わずかにテーネが気を抜いたのだろう。メルクはその右足を放り投げるように屋上へと押し戻し、そのままラインは仰向けに倒れた。

「やあ、元気そうで何より。言いつけも守ってくれていて嬉しいよ。これこそが信頼ってやつだね。僕たち、もう友達かも。そもそも友達の定義ってどこにあるのだろう。少しでも意思の疎通が出来たら友達と呼んで良いのであれば、旅人である僕は友達バトルでかなり有利になるけど」

「相変わらず雛鳥のようにぴーちくぱーちくうるせえ奴だな」

 ラインは憎まれ口を叩きながらも、城の外壁を命綱もなく、平然とよじ登ってきていたことに驚きを隠せなかった。メルクが完全に登り切って、一息ついていたときでさえ、まだ他の二人は唖然としていた。

「いやー良かったよ。これで一気に形勢逆転だね。二人対二人だけど、こちらはそれぞれ拳銃を持っている。そして異能の対象者は一人だけというのもお見通しさ。カモフラージュの仕方としては、大勢で演技するというのは悪くなかったと思うよ。でも、いささか手を込ませ過ぎたね。策士策に溺れるということわざを知っているかい。普通に考えて、街の人たちに異能の恐怖を教えたかったのなら、もっと誰彼構わず力を行使すべきだった。テーネとか言ったかな、キミは王様には向いてないよ。王様は大事なところで冷酷にならないといけないけど、キミにはそれが足りない。もし殺るつもりならさっさとラインの頭を床にめり込むぐらい打ち付けておけば良かった。とはいえ王様なんて貧乏くじのようなものだからね、どちらにしてもおすすめはしないかな」

 メルクは自分の言いたいことだけ言い連ねると、袖の下から高貴で美しく光る紫の銃を取り出してテーネの方に向ける。

「この国に来てから何度ともなく言っているのだけれど、僕はこの国の内政には全く関心はない。ただその力を使い続けるのはとても危険だから、回収させてもらいたいだけなんだ。誰が政権を握るかなんてのは些細なことさ」

「些細なことですか」

 レドが眉をひそめるが、メルクは気にも留めない。きっとそういうところが友達が出来ない所以なのだが、本人は気付いていない。

「ああ。くだらないしどうでもいいね。だって、彼が石を使い続ければどちらにしてもこの国は滅びてしまうのだから」

「ふっ、何を言いだすのかと思えばくだらない戯言を」

「魔導書のことは知っているだろ。実際この国の王室図書館にも関連の本が置いてあったし、キミたちが炭鉱を必死になって探し回っているのは、伝説を知っていたからに他ならない。魔石は炭鉱や隕石の落ちた跡、クレーターなんかに出現しやすいと言われているからね。ここから一番近い炭鉱はとっくに十分掘られていてずいぶん前に閉鎖されているのに、今更再開発をするなんてありえない。しかも国の財政が厳しいさなかに。これだけでも状況証拠になりえると思うけどな」

 メルクは淀みなく喋り、いつの間にか自分のペースに引き込んでいる。

「まさか、悪魔の業火は本当にあるのか」

 テーネがメルクに尋ねる。

「ああ、残念ながらね」

「テーネ様、あんなものは作り話です。こんな胡散臭い男の言うことを鵜呑みにするのはどうかと思いますよ」

「その通り。他人のいうことは簡単に信じてはいけない。大抵、彼らは自分の利益のことしか考えていないからね。ましてや僕のようないかにも胡散臭い人間の言うことなんて、絶対疑ってかかるべきだろう」

 ラインは何故敵の意見に賛同するのかと言いたくなったが、その後の言葉の衝撃によってそれどころではなくなる。

「でもね、本当なんだ。だって、僕は一国が業火に焼き尽くされて滅んでいくところをこの目で見たからね」

 しばしの沈黙の後、最初に口を開いたのはテーネだった。

「そういえば、まだ子どもだった頃、王立図書館で世界の有名な国々について書かれた本を読んだな。昔、ここよりも西方に古くからあったといわれる国について記述されていたのを覚えている。歴史上で何度も返り咲いてその度に繁栄してきたその国では魔法を使える者たちがいたという。ただその国があったという痕跡はまるでなく、近隣諸国とされている国の者たちでさえ、その国についてほとんど何も覚えていない。まるで初めから無かったみたいに。だから、今では誰かの作ったおとぎ話の魔法の国だなんて云われている」

「そんなに昔の話でもないんだけどね。人間はたえずして過去を忘れていくものだけど、もちろんそんな話じゃない。それはともかく、キミの言った通りだよ。彼らが古くより幾度となく存亡の危機に晒されながらもその度に繁栄することができたのは、秘匿されてきた魔石のおかげだった。でも魔石を取り込んで異能を得るということは、悪魔と契約を交わすことに他ならない。キミも石を手にしたとき、声を聞いたはずだよ。悪魔と呼んでいるのは便宜上に過ぎないのだけど、奴らは実際に存在している」

「たしかに石に触れたとき、身体中に轟くような声は聞こえた。だが契約なんて話は聞いた覚えがない」

「だけど、代償を云々みたいな話はしていたはずだ。異能を使った副作用はなにも体に刻まれた痣が痛むことだけじゃない。力を使い過ぎていくと、徐々に記憶が塗り替えられて思考が蝕まれていって理性が失われ、正常な判断が出来なくなる。そうして徐々に歯止めが利かなくなり、やがて強大になり過ぎた力に呑み込まれ、最後には破滅のときを迎えるというわけさ」

「破滅のとき?」

「理性の最後の一滴まで無くしたとき、身体から灼熱の青い炎が噴き出すんだ。そしてその炎はその人だけではなく、村一つぐらいは軽く巻き込むほどに広がっていく。周囲の人や建築物が燃やし尽くされ、炎が三日三晩燃え盛った後、全てが消滅する」

「だが、街一つ程度ならば国が滅びることもないのでは」

 テーネがもっともな質問を繰り出す。

「簡単な話だ。その国には魔法使い、もとい石の所持者が数十人もいた。一人が出した青い炎に別の異能者が巻き込まれると、精神も加速的に蝕んでいき、青い炎が噴き出して炎がさらに肥大化していく。その連鎖が止まらなくなった結果、国ごと飲み込まれることになったわけだね」

 特に深刻ぶることもなく、メルクは軽い調子で語る。

「だからさ、キミの取り込んだ魔石を回収させてもらってもいいかな。なあに、心配することはない。引き剥がされるときに痛みで苦しむだろうけど、多分まだ今の段階なら命に別状はない」

「心配になる言い方をするな」

 予想していた以上の話を聞かされて絶句していたラインであったが、彼の言い方には呆れる。

 メルクは構えていた紫色の拳銃の引き金を引こうとした。しかしそれは叶わなかった。

「ダメだ。それでも、この力を奪われるわけにはいかない」

「おっと、これは困ったね」

 相変わらず全く困った様子もなく話すメルクだが、すでにテーネの異能によって行動の自由を奪われていた。

「いいのか、俺はおまえを撃ち殺しちまうぞ」

 ラインはレドに向けていた銃口をテーネに向け直す。

「お前に引き金は引けまい。そもそもゲンズが死んでいないことだって分かっている。さすがにこれだけ放っておけば、この豪華絢爛な城に相応しくない漂うトマトの匂いにも気付く。田舎出身だけあってな」

「いやあ、あれは会心の出来なんだよ。濃厚なトマトジュースを調合した弾。あれも特別製で作るのに苦労したんだ」

 ラインの持っていた拳銃は、レドから支給されたものではなく、メルクから借りたものだった。元よりラインには人殺しなどする気はなかった。

「でも気絶はするだろ。ゲンズのように」

「やってみればいい。確かに今のところ異能で操れるのは一人だが、最大限の出力を発揮すれば彼を肉壁にすることができるかもしれない。銃弾とどちらが早いか、試すか」

「ライン、撃っちゃ駄目だよ。たぶん僕が気絶するから。そうすると本当に話が進まなくなってしまうでしょ。それに力は使えば使うほど、身体に負荷をかけるほど、青い炎を呼び起こす可能性がある。しばらくは大丈夫だと思うけど、そういうわけだから控えてほしい」

「テーネ、どうしておまえはそこまでそんな力に固執するんだ」

 ラインはうるさいメルクを無視し、テーネに向かって言う。

「俺にはこれしか無いからだ。おまえのように人望があるわけでもない、ただの下っ端に過ぎない。血筋も後ろ盾もない田舎者は、周りの権力争いに振り回されるばかりで、いつまで経っても良い地位になんざ就けるはずもない。それを俺はここに来てよく思い知らされたんだ。偶然でもやっと手に入れた力なんだ。みすみす手放すわけにはいかない。最大限利用させてもらう」

「国が滅びるかもしれないんだぞ」

 ラインが叫ぶ。

「それは大げさだ。その男の話を信じたとしても、一個に対してせいぜい街一つ分だ。それに、俺がどこまで行けるのか、試したくなった」

「お前はそんな奴じゃない」

「いいや、俺はこういう奴さ。昔からずっとな」

「力を得ると、その人の性質が拡大されていくものだ。良くも悪くも、といっても大抵は悪い方に転がりやすい。それは悪魔との取引のせいではなく、人間の性なんだ」

 メルクはいう。

「交渉は決裂かな。でもそうなるといよいよ埒が明かないね。僕は指を動かせないから撃てないし、ラインが引き鉄を引く前に、テーネが僕をラインに襲い掛からせるかもしれない。もしかすると素早くラインを操るように切り替えて、僕を撃つかもしれない。その間に僕が撃った一発をテーネが避けて、僕がラインの撃った弾を避けきれなければ僕らの負けだ。急に出力をあげることで異能の暴走が始まり、大事になるかもしれない。均衡した状況だ」

「ホントに良くしゃべるよな、アンタ」

 呑気にぺらぺらと喋るメルクに、ラインは冷めた目を向ける。

「こう見えて、意外とおしゃべりなんだよ、僕」「見た目通り、軽薄で口が軽い」「酷いなあ」

 緊迫した場面であるはずなのに、どこか緊張感のないやり取りをかわす二人だった。

「今アンタが説明した通り、持久戦の様相なのは事実だが、だとしたらこちらの勝ちだな。この後すぐに下の閣議室を使って、会議が執り行われる予定だ。そこには計画関係者たちが集まる。すでに面々が到着している頃だし、衛兵も駆けつける。そうなればやがては俺たちが上にいることに気付き、数の力で圧倒できる。おまえらが仮に助けを呼んでいたとしても、城内には余計な人物を入れるなと指示しているから援軍は来ないぞ」

「なるほどね。でもそれなら、一体どうして僕は入ってこられたのだろうか」

 メルクは大げさにとぼけて見せる。

「それは、おまえがあまりにも突飛なところから入ってきたからだろう。いや、そういえば最近外から来た人間が石のことを知っていたのでとりあえず牢獄に入れておいたとは聞いていたが、そもそもおまえはどうやって抜け出せたのだ。まさか裏切り者がいたのか」

「正解だね。その裏切り者さんのおかげで僕は悠々と牢屋を抜け出し、同じく牢獄で悠々と過ごしていた国王様にも会って事情を説明しておいたよ。そこでラインが屋上におびき出されていることを親切に教えてくださったから、一刻も早く向かうべく城壁をよじ登ってきたわけだ。だから、すでに国王様が各方に話をつけに行っているのさ。一連の計画に加担していた人たちだって、さすがに国が滅びる危険性があると知れば動揺し、不安がる。彼らの家族だってこの国に住んでいるわけだからね。さあ、これでキミたちの野望は終わりだ」

 メルクは勇ましく言い放ったが、「なんてね」とまたすぐにいつも通りの気の抜けるような顔つきに戻る。

「見た目麗しい僕が格好良いことを言うととても画になるけど、やっぱりキミたちの野望が終わろうが終わるまいがどうでもいいんだ。ただ、今回は魔石を回収するために、彼らを利用する方が得策だと考えただけのこと。だから僕のことを恨んだりしないでよね。復讐とか怖いからやめてよ」

「台無しだな、本当に」

 ラインは苦笑いをする。そこでメルクは身体が軽くなり、術が解けるのを感じた。テーネが力を使うことをやめたのだ。

「聞き分けが良くて助かるよ。さあ、覚悟は出来ているかい。命の保障はしてあげるけど、ちょっとばかし苦しむことになるよ」

「いいさ。これまで多くの人間を苦しめてきた罰だ」

 テーネは力なく両手を下げる。ところがそれを合図にするように、これまで黙りこくって存在感を消していたレドが身を翻しながら懐から黒光りするものを取り出し、まもなく発砲音が夜の闇に響き渡った。

 しかし、倒れ込んだのはレド自身であった。

「遅いぜ、悪代官様よ」

 ラインの拳銃はレドの方に向けられていた。レドは引きつった顔のまま気絶する。ラインはそこで安心して思わず息を吐き出すが、そこでラインの腕が勝手に動き、その銃口がメルクへ向く。ラインが気づいた時にはすでに引き鉄に指がかかっており、指先に力が入っていた。しかしその引き鉄が引かれる直前、「やめて!」という女性の声が聞こえ、すんでのところで指が止まった。

 ラインは声の聞こえてきた方を見る。そこにはヴァレンチノに乗ったアンヌの姿があった。

「もうやめて、兄さん」

 アンヌは泣いていた。

「アンヌ、どうしておまえがここに」

「ごめんなさい。私、本当は前から知っていたの」

「知っていたって何のことだよ」

 ラインが尋ねる。

「魔石を持っていたのがテーネだってことを、だよ」

「あれ、喫茶店の店員さんもいたんだ」

 アンヌの背後でリーアが降り立つ。

「居たら何か悪いわけ」

「いや、別にそんなことはないよ。パーティーは大人数の方が楽しいからね」

「アンタは相変わらず間の抜けたことばかり言うのね」

 リーアはため息をつく。

「それよりも知っていたってどういうことだよ」

 ラインが問いただす。

「ごめんなさい、ラインさん。私、実は見ていたんです。ラインさんが兄さんに操られた後、去り際に馬車の中で兄さんが苦しそうな顔をしているのを。前にメルクさんから異能には必ず副作用があると聞いていたから、もしかしたらゲンズじゃなくて兄さんが能力者なんじゃないかと、薄々勘づいていたの。でもそれをラインさんたちに伝えることができなくて」

「そうか、どうりで今も苦しそうにしているんだ、彼は。その状態になるとちょっと危険になってくるね」

 メルクは青ざめた顔のテーネを見て言う。

「兄さんが苦しんでいたことだって知っていたのに、何もしてあげられなくてごめんなさい。以前私が兄さんにお城まで忘れ物を届けに行ったときも、私の姿が田舎娘の格好だったから、兄さんの同僚に兄さんまで馬鹿にされていたものね。兄さんはとても優秀なのに」

「それは別にアンヌのせいじゃないだろ」

 テーネがそこで焦りの表情さえ浮かべる。

「でも、もっと早く話していればこうなる前にどうにかできたかもしれないわ」

「もうやめてくれ、俺が悪かった。大人しく降参するよ」

 そう言ってテーネは両手をあげる。ラインにも身体の自由が戻ってきたが、激しい疲労感に襲われてその場でよろめいた。しかし、それでも彼はその場で踏ん張った。

「さすがに何度もやられていると堪えるぜ。おまえのこと、殴りつけてやろうと思ったがその気力すら湧かねえよ」

「きっとテーネも同じぐらいの疲労を感じているはずだよ。そうやって心身ともに疲れ切っている時に、大切な家族や友人に囲まれたら情にほだされてくれるかなと思って、彼女を連れてきてもらったんだけど、上手くいって良かったなあ」

「そんな言われ方をすると複雑な気持ちにさせられるな」

 テーネが苦笑いを浮かべると、メルクを除く他の者たちもそれにつられて似たような表情を浮かべた。

 メルクは改めてテーネにその紫色に光輝く拳銃を彼に向け、そのトリガーに力を込めた。

 放たれた銃弾は空気を震わせながら飛び出すも、その実像は人の目からはぼんやりとしか捉えられなかった。しかしそれがテーネの額の真ん中に到達すると、その銃弾は頭を貫くこともなくそこに突き立ったまま眩く光り、辺りは真っ赤に照らされた。

「うっ、うああああ」

 テーネは頭を押さえて絶叫する。

「あっ、ああ、熱い! 熱い痛い熱い痛い! 死ぬ、死ぬううう」

「お、おい。大丈夫かよ」

 頭を抱えながら叫んでいるテーネをみて、ラインたちは慌てる。

「思ったよりも平気そうで良かったよ。立っていられるだけ、だいぶマシさ」

 しばらくその状態が続いていたが、ほどなくしてテーネの身体を取り巻く光は青色に変わっていき、少しずつ剥がれ落ちるかのように、妖しい煌めきを放つ霧のようなものが昇天していく。それが完全にテーネの身体から離れると、二つの目と裂けたような大きな口を形取り、低い声を轟かせた。一同は思わず耳を塞ぐ。そしてそのもやはテーネの額に刺さっていた見えない銃弾に集約されていくと深くて暗い青色の石となり、床にポトリと落ちた。そこでテーネが倒れる。

「テーネ!」

 ラインは拳銃を放り投げて、彼を支える。テーネはすでに意識がなかった。メルクも近づいていき、転がっていた石を拾いあげるとそれを夜空に浮かぶ月の光に透かした。中心部は全ての光を閉じ込めるように黒くなっているが、外側は落ち着いた紫の光沢があった。

「よしっ、回収完了。これでまた少しだけキミに近づけたかな」

 メイクはそう呟いた。

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