4 散策

 メルクが無事に入国し、アンヌの家に荷物を取りに戻ってきた日の夜。近くの酒場の奥の部屋には数人の男女が集まり、厳かな雰囲気で話し合いがとりなされていた。

「まずは確認の意味も兼ねて近況報告してもらう。リーアから頼む」

 上座の議長席に座っているラインを中心に話は進められていく。アンヌは彼のすぐ隣に座っていた。本当ならばもっと部屋の隅の方の目立たない場所に居たいのだが、ラインに居てくれと言われたので断れなかった。

「ゲンズは相変わらず、朝から晩まで酒を浴びるように飲んでいるみたいよ。今のところ国政に関することは、以前とあまり変わらずに行われているわ。ただ輸出入における関税率は再度引き上げることが正式に決定して、さらにお金を搾り取ろうとしていることも変わらないわ。近いうちにこっちにも取り立てに来るかもしれない」

 テーブルを挟んで反対側の椅子に座っていた黒髪に青い目の女性、リーアが淡々と話す。彼女の実家はアンヌの家の近くにあり、アンヌの兄やラインと仲が良かったので幼い頃はアンヌもよく遊んでもらった。今は王都の飲食店で働いているため向こうに住んでおり、ゲンズのことがあってからは王都の状況などを定期的に報告しに来てくれている。

「こんな田舎に来ても農作物ぐらいしか無いだろう。どこまで欲張りなんだ、あのジジイは」

 今の国王ゲンズが玉座についてから真っ先に執り行ったのは臨時税の徴収だった。ゲンズ自ら出向くことはあまりないようだが、ゲンズが操作している従者に監視をさせているので、歯向かうようであれば彼らが取り押さえて連行した。しかし彼らがいなかったとしても、大半の人々はゲンズの力を恐れて無抵抗だった。

「城の内部の動きはどうですか、レドさん」

 ラインが話を振ったのは、メガネをかけたかっちりとした身なりの男性である。

「良くも悪くも変わっていません。憲兵たちも相変わらず言いなりです。一般市民よりも近くで脅威にさらされていることを考えれば仕方ないでしょうね」

「国王様は?」

「以前として牢獄に収監されています。いつも従者の一人がついているようですが、それなりに歳を召されているのでお身体が心配ですね」

「許せねえな」

 ラインは歯ぎしりをする。

「ですが良い話もあります。城に常駐する憲兵の数人に協力を取りつけました。革命決行の際は、内から手引きしてくれると約束してくれました」

「それはありがたい、さすがレドさんです」

「皆、どうにかしてゲンズの暴走を食い止めたいと思っているのは間違いありませんからね」

「当たり前だ。こんなことをして得になる奴なんざ、あの耄碌ジジイ以外一人だっているわけがない。ありがとう、レドさん。アンタが幾多の危険を冒してくれなかったら、計画もこれほどスムーズに進まなかっただろう」

「いえいえ。私は当然のことをしているだけです。早く平和な国に戻って欲しい一心です」

 レドはいたって謙虚な口ぶりで話す。彼は数年前に外からやってきた人間であるにも関わらず、その有能ぶりから国王の側近の一人にまで抜擢され、国王が変わった現在もその役職についているが、こうして情報を流してくれたり城内で画策したりと何かと協力してくれていた。

 それから他の人からも、それぞれ協力を仰いだところからの返事を聞いていく。ほとんどの市民はゲンズのことを良く思ってないので好意的な答えは返ってくるが、それでもやはり彼を恐れ、具体的な支援をしてくれる人はあまり多くない。

「やはり最大の問題は、例の人間を操る力だな。人々が恐れるのも無理はない」

「あれはショッキングな出来事でしたからね」

 国の有力者が集まって行われた報告会。その衆人環視の元、突然現れたゲンズの力によって自らの手で首を絞めていく国王、そして無理やり操られた従者たちによる同士討ちで血まみれになった絨毯、誰一人死者が出なかったのは奇跡としか言いようがない。

「だが、たとえ市民の協力を得られずとも、テーネのためにも絶対に成し遂げなくてはならない」

 ラインは力強く拳を握る。

「そういえば、彼とはお知り合いなんでしたっけ」

 レドが尋ねてくる。

「ええ。武器庫を提供してくれているアンヌの家の長男であり、俺の親友なんです」

 ラインは横に座るアンヌを指しながら説明する。

「なるほど、そうだったんですか」

 レドは口元に手を当てて頷いた。そこでアンヌも口を挟む。

「元々、ラインさんは兄や私たち家族のために立ち上がってくれたんです。ですから私も出来る限り協力したいと思い、離れを使ってもらっています。でも実際私はこの通りただの田舎娘ですし、皆さんのように役に立つことも出来ず、なんだか申し訳ないです」

「いえ、あなたが自分を責めることはありません。悪いのは全てゲンズなんですから。それにもう少しの辛抱です。彼のやり方はどう考えても長続きするものではないし、私たちがそうはさせません」

 さすがに政府の要職を任されるだけあって、レドの言葉には強い使命感が帯びているように思える。だからこそアンヌも含めてここにいる者の多くが彼のことを頼りにしていた。ただ全員が全員同じように思っているわけではない。

「協力を取り付けたとかなんとかご立派なことを言っているが、肝心のあの男の妙な力についての情報はなんかねえのか。なあ、レドさんよう」

 市場の運営をしているキールがしゃがれた声で尋ねる。まだ初老だが、白髪に染まった髪も相まって年齢以上に老けて見える。

「そのことに関しましては、私も分からないことばかりです。探りは入れているのですが、なかなか目立ったことも出来ないので」

「こっちは毎年なけなしの収入から高い税金を納めているんだからな、こういうときぐらいちゃんと働いてくれてもいいだろ、外様の役人さん」

「これはまた手厳しいですね」

 レドは苦笑いを浮かべる。

「まあまあ、キールさん。レドさんは良くやってくれていると思いますよ」

「どうかな、ただビビってるだけじゃねえのか。お偉いさん方は口だけは達者だからな。たまには、アンタらが徴収している税金が我々の生活に還元されているのを実感させてくれや」

 キールはそのままコップに入った蒸留酒をあおる。キールが役人のことを毛嫌いしているのは、いつも市場の運営で得た利益の半分近くを税収で巻き上げられているからである。税制上儲ければ儲けるほど税金が増え、そのことで徴収にやって来る役人と毎月のように言い争っているのは周知の事実である。

「ゲンズの力をどうやれば抑え込められるのか。いつもは従者十人ほどを操っているが、全ての人々を操れるわけではないのは確かだろう。そうでなかったらとっくにこの国は終わっている。だからこそ、そこにつけ入る隙がある。レドさんに限らず、何か気になったことがあったら是非教えてくれ。次の集会日は未定だが、なるべく早くしたいと思っている。あまり遅くなると見回りの衛兵に怪しまれるといけないから、今日はこの辺りで解散するとしよう」

 ラインはそう言って、誰よりも早く席を立った。そしてそれにアンヌも続く。この酒屋の店主はラインの顔なじみで協力してくれているが、万が一にも集会を行っていることがバレないように、別々に店を出ることにしているのだ。

「ありがとう、おやっさん」

 奥の部屋から出てきて、会計を済ませながら店主に礼を言う。

「おお、場所を貸すぐらいはたやすいことよ」

 ねじり鉢巻きを巻いたガタイの良い男はその大きな手のひらで貨幣を受けとる。

「暗いから気をつけろよ。アンヌちゃんをしっかり家まで送ってやるんだぞ」

「分かっているさ」

「暗がりであれやこれやするなよ」

「なっ、何言ってんだよ。するわけねえだろ」

 ラインは酒が入っていないのにもかかわらず、顔を真っ赤にしながら店を出て行く。アンヌも気恥ずかしくなって、その後ろをそそくさと歩いていき、その顔を闇夜に紛れさせる。



「ここが王都か」

 メルクは石畳で舗装された通りを見渡す。道は馬車が四台は通れるほどの幅があり、行商人の馬車や人が行き来している。人通りはあまり多くなかったが、粗暴で悪魔の力を持った反逆者が現れて国を乗っ取っていることを考えると、いささか平穏そうに見えた。ただ、だからといってメルクはそれほど驚きはしない。政治というのはほとんどの市民にとっては天気のようなものであり、初めから自分たちが介在する余地もなく、ひたすらに受け入れていくしかないものなのだ。

「さてさて。そろそろ僕も働かないといけないのかもしれないね」

 横にいたヴァレンチノはその言葉に何度も強く頷いている。

「おや、この匂いはなんだろう」

 メルクはくんくんと匂いを嗅ぐ。何やら香ばしく甘い匂いが彼の元に漂ってきていたが、その元はすぐに分かった。メルクが立っている場所から、数歩も離れていないところにある木組みの建物に入っている飲食店であった。メルクは無意識にそこに歩を進めようとしたが、ローブを後ろに引っ張られて首元が締まり、「うげっ」と声をあげる。

「危ないじゃないか、ヴァレンチノ。突然、噛まないでくれよ。えっ、何だって。寄り道していないでちゃんと働け? 何を言っているんだい、これも立派な仕事だよ。こうやって客として潜入しながら聞き込み調査を行うんだ。決して美味しそうな匂いに惹かれたわけじゃない」

 白々しい言い訳をするメルクを、ヴァレンチノは睨みつける。しかしそこで思わぬ助け舟が差し出された。

「もしかしてウチのお店に御用ですか」

 後ろから若い女性の声が聞こえてくる。

「はい、御用です。香ばしい匂いが誘ってくださってね」

 メルクはヴァレンチノに服を噛まれながらもいたって爽やかに振り返る。するとそこには青色の瞳に黒髪をなびかせた女性が立っていた。

「あれはオーナーの焼いているバウムクーヘンですね。焼き上がったばかりのバウムクーヘンにアイスシャーベットを乗せて食べるんですよ。ウチで一番人気のメニューなんです」

「へえ。じゃあそれを注文しようか、うわっ」

 今度は噛まれて引っ張られただけでなく、メルクの身体を顎で持ち上げて宙づりにしてから、地面に叩き落とした。

「ちょっと。いくら何でも酷すぎないかい」

 しかしヴァレンチノはメルクの整った顔に息がかかるぐらいまで顔を近づけ、思い切り鼻を鳴らす。

「はい、すいませんでした」

 メルクは膝を折ってうなだれるように頭を下げる。

「仲良いんですね」

 女性は笑っていた。

「ええ、まあ長い付き合いですから」

 メルクは頭の後ろに手を当てながら言う。

「それにしても、どうしてご主人様がお店に入るのをそんなに嫌がるのでしょうか。やっぱり構って欲しいんですかね」

「いや、それは僕が仕事をしないからですね」

「あっ、そうなんですね」

 彼女は顔をこわばらせたが、すぐに笑みを浮かべて繕った。客商売の鑑だなとメルクは素直に感心する。

「でも、仕事をしていないという割には、身なりが整われていますよね」

 茶色のローブには歯形こそついているが丈夫で高質な布で縫製されており、黒いブーツも所々擦り切れて傷がついているが丹念に磨かれている。

「僕もヴァレンチノも綺麗好きなんだ。身なりを整えるのは、料理をする前に台所や調理器具を綺麗にしておくのと似たようなものだね。どちらも素晴らしい仕事をするためには欠かせないことだ」

「仕事はしていないと今しがたおっしゃっておりましたよね」

「うーん、それを説明すると長くなるなあ。ここで立ち話をしては店員さんに申し訳ないし、話すのには頭を使うから甘いものがないといけないなあ」

 メルクはこれ見よがしにヴァレンチノの方をチラチラ見る。そのしつこさが功を奏したのか、ついにヴァレンチノが深いため息をついて折れた。

「バウムクーヘンだけでしたらお持ち帰りも出来ますけど」

「せっかくなので店内でいただきますよ、お姉さん。続きは店内でお話ししましょう」

「私は仕事があるので、そんなにゆっくりと話せるかは分からないですけどね。ただ、あいにく今は皆お金を使いたがらないせいか、お客さんもあまり来ないのでやっぱりお喋りできる時間もあるかもしれません」

 彼女は苦笑いする。昼下がりだというのに、客はせいぜい三、四人ほどしか入っていなかった。

「実を言うと、僕の仕事もそのことに関係あるかもしれません」

「何ですって」

 彼女の目の色が変わった。街の人からすれば当然気になるのかもしれないが、メルクの直感では何かあると判断した。急に緊張の糸が二人の間に張りめぐらされる。彼女はこちらをじっと見てくる。

 ぐうー。

 呑気なお腹の音が鳴り響く。

「ひとまず店内に入っても良いですか」

 メルクは彼女に向けて片目を瞑ってみせる。



「うーむ、美味である」

 丁度先ほど通ってきた関所があった地域で飼育されているという牛の絞り乳を使用したアイスが乗った焼き立ての分厚いバウムクーヘンを、メルクはナイフとフォークで綺麗に切り分けて食べる。

「お気に召されたのでしたら光栄です」

 お盆を持ったまま丁重に頭を下げたのは、先ほど店頭で話しかけていた女性。今はウェイトレスとして、白いブラウスに黒いスカートとニーソックスを着用している。店内の装飾と同様に素朴で飾り気はあまりないが、そんな店の雰囲気もメルクは気に入っていた。

「いやあ、はむ、本当に、もぐもぐ、美味しいね、ここの、うーむ、バウムクーヘンは。どんどん手が、伸びてしまうよ。リーアさん」

「食べてから話してくださって大丈夫ですよ」

 リーアが笑顔を崩すことなく言う。

「それで、何をなさっているのですか?」

「何の話だっけ」

「メルクさんがなさっている仕事ですよ」

 リーアは声を潜めた。

「なんでそんなに知りたがるんだい」

「いや、それはあなたが初めに言い出したことじゃない」

「まあ、それはそうなんだけどさ。でも、さっきから妙に落ち着きがない気がするし、てっきりお姉さんも反政府派の人間なのではないかと疑いたくなっちゃうよ」

「今の政権を支持している人なんているはずがありません」

 メルクは試しに探りを入れてみたが、彼女はまるで臆さずハッキリとそう言ってのける。

「じゃあ、革命でも起こすのかい」

「そういう話も聞かなくもないわね」

「ふーん」

 メルクはそこでまたバウムクーヘンを口に含む。アイスはバウムクーヘンの熱で溶けてしまっているが、皿に垂れたアイスもバウムクーヘンで拭きとりながら綺麗に食べきる。それから、彼は優雅な所作でコーヒーを飲んで一息ついた。

「いいのかい、仕事の方は」

「見てわかるでしょ、お客さんもほとんど入っていないから暇なのよ」

 先ほどメルクが入ってから新しい客が来店することもなく、広い店内にはメルクと白髪の老夫婦と何かの商売の帰りなのかテーブルの上で紙幣や金貨を数えている男しか客はいない。ウェイトレスはリーアの他にも二人ほどいるが、特に仕事をするわけでもなく楽しそうに話し込んでいる。

「僕の仕事はですね、異能を奪い去ることなんです」

 唐突に彼の放った言葉に、彼女は目を見開いた。

「異能っていうのはもしかしてゲンズの力のことを言っているの?」

「いいんですか、国王様のことを呼び捨てにしてしまって」

 メルクは至ってマイペースに喋る。

「魔石の怖さを知らない人間が不用意にその力を使ってはいけない。彼らは無意識に契約を交わしていて、いつか必ず代償を払わなければならなくなる。だから出来るだけ早く撃ち抜かないといけないのさ」

「魔石? 代償? それに撃ち抜くって何よ?」

 リーアにはメルクの言葉がまるで理解できない。

「水は高いところからしか流れて来ない。キミたち庶民が知らなくても何らおかしいことじゃないんだ」

「あなたはいつもそんな風な喋り方をしているのかしら。そういう人を食ったような、自分だけが何でも知っているような言い方をしていると友達を無くすわよ」

 リーアが非難する。しかしメルクは「大丈夫。僕に友達はもういないから」と笑う。

「近しい人がいないからこそ、こうして身軽に動けるんだ。知らない国の知らない人たち、余計なことを考えなくて済む。人間関係が薄い方が事はスムーズに進むものさ」

「寂しい生き方ね」

「そうでもないよ、ヴァレンチノもいるからね。それに、僕が何もしなければ遅かれ早かれ悲劇は免れないし、仕方ないところもある」

「ねえ、あなたが先ほどから言っている悲劇とか代償って何なのよ」

「言っても信じてくれないだろうし、それを取り除く方法を話せば反発を受けるかもしれない。すでにこの国でも最もゲンズのことを憎んでいるであろう男から反対されたばかりだしね」

「ちょっと待って。あなた、ラインに会ったの?」

「おや、ラインの知り合いなのかい。ここからあの辺まではそう遠くなかったけど」

「ラインの家は酪農を営んでいるの。ここで出てくるアイスなんかは、彼の家の牛の乳も使っているわ」

「へえー。こんな濃厚でまろやかなアイスに使われている牛乳を、あの厳つい男が絞っているとはね」

「顔は関係ないでしょ」

 リーアの顔がひきつる。

「だとすると、さっき革命をしようとする人たちの話を聞いたというのはラインからなのかな。それともキミも彼に情報を提供してるとか」

 さすがにそれには彼女も答えなかった。

「何でもいいけどね、所詮僕は外から来た人間さ。でもだからこそ僕はこの国の様相にどことなく違和感を覚えているのかもしれない」

「違和感?」

 メルクの無関心ぶりにはむっとした表情も見せたリーアであったが、その言葉には引っかかったらしい。

「ああ。昨日今日と各地を回っていたんだけど、どこも特に異常事態とは思えないぐらいあらゆることが滞りなく行われていた。国王が代わったところで、普通の人たちの日々の生活に劇的な変化をもたらすとは限らない。でも今回は、先行きの見えず、いつ重税が課せられるかも分からないと人々が怯え、経済が滞りかねない状況だ。この店に人が来ないのもそういう理由でしょ。ただ一方でその闇雲さゆえに、実際に行われた徴税には地域ごとにかなり差があった」

「それは当然のことじゃない。王都が経済の中心だし、地方にはそれほど貨幣は出回っていない。それでも農作物や醸造酒なんかも税の対象にはなるわけだから、額面や量としては少なくても生活はひっ迫されかねない。彼の力と横暴さを知っていれば、いつだって危惧すべきことでしょ」

「でも、今のところは大打撃を受けたわけじゃない。ゲンズとやらが国王になってからそれなりの日数が経過しているのにも関わらず、彼のやっていることはせいぜい自分が贅沢して不定期に一部の場所で税を徴収しているだけ。国政を危うくしているのは事実だが、彼のしていることは王にならないとできないことではないように思えるんだ」

「それはあなたが知らないだけよ。彼に歯向かう者は従者たちによって投獄されているから、何もなかったように振る舞われているだけ。一昨日もこの店の三軒隣に店を出している宝石商が連れていかれたわ」

「ああ、そうなんだ。それじゃあ、僕の表向きの入国目的が果たせないじゃないか。いや、むしろ居座る口実になるから好都合か。他に連れていかれた人はいるのかい」

「もちろんいるわよ。この国随一の行商人のドル、王都でカジノを運営している資産家のズルメグ、この国で唯一の炭鉱の所有者であるゲイルなんかも挙げられるわね」

「揃いに揃ってお金を持っていそうな人たちだね」

「それもそうよ。持っている人こそ気安く巻き上げられるのだから。それに彼らはその財力や人脈を使えば、国を動かすことだってできるような存在。実際、ドルとズルメグが手を組んで厳罰化の風潮にあった風営法を作らせるのを阻止したり、一部の輸入品の関税を無くしたりと影響を及ぼしている。ゲンズが警戒して然るべき人たちだわ」

「なるほどね」

「あなたが何に違和感を覚えたのかは知らないけど、ゲンズを倒せば全て解決することでしょ。それ以外に何を考える必要があるのよ」

「さあ」

 メルクは肩をすくめる。

「そんなの旅人の僕に聞かれても分からないよ。でもさ」

 余計なことを喋る必要がないことは分かっていた。しかしメルクは目の前の真面目そうな女性の頭の中をひっかきまわしてみるのも、そう悪いアイデアではないかもしれないと思った。

「人間社会で起きた事で、それがたった一人の人間が原因となることってまずありえないと思うよ。各人がそれぞれ持っている願望や欲求があらゆる因子を並べ立てた上で、ようやく現実に帰結していく。大河の流れを変えるにはとても一人では賄いきれない体力が必要で、その体力っていうのは人間の抱いた願いが作りだしていて、誰かが周囲に影響を及ぼすのではなく、実は周囲が誰かにそう仕向けているんじゃないかって」

「なんだか小難しい上に偉そうに言うわね」

 リーアは眉をひそめる。

「偉そうなのは否定しないよ。昔から僕は偉かったからね。皆が尊敬と羨望のまなざしを向けたものさ」

「それも冗談なの?」

「もちろん」

「いまさら言うまでもないけど、あなたって見た目は悪くないのに口が台無しにするタイプなのね」

「僕の上品な話ぶりを華やかな顔が彩っているんだよ」

「この変人ぶりをあの子たちに教えてあげたいぐらいよ」

「ああ、さっきから僕のことを見ているよね。きっと僕の見てくれが良いから」

「自分で言ってしまうところがまた残念なのよね」

「自覚してないふりをする方がよっぽど嫌味で不誠実だとは思わないかい」

「それは、そうかもしれないけど」

 先ほどから軽快に話していたリーアが少し言葉を詰まらせる。思った以上に、彼女は試してみる価値があるかもしれない。

「キミがさっき話してくれたことの中に、この国で起こっている騒動の真相へのヒントがあると僕は考えている」

 リーアが目を見張る。人は聞きたい話しか耳に入れようとはしない。こうやって彼女が話を聞いてくれるようになるまでに、今までの過程は全て必要なものだったのだ。もちろんアイスの載ったバウムクーヘンを注文することも。

「だけどそれを証明するには僕には明らかにピースが足りていないし、僕の勘違いという可能性もある。だからもう少し調査を続けるつもりだ」

 メルクはカップの中のコーヒーを全て飲み干してから立ち上がった。

「リーアさん、ラインに伝えておいてくれ。キミのやろうとしていることは失敗に終わる。成功したと思っても、それは多分見せかけだけなんだ。結局キミも盤面を一つ先に進めるための駒に過ぎなくて、良くてもせいぜい次のマリオネットにされるのがオチだろうとね」

「全く意味が分からないのだけど」

「分からなくても、このまま伝えてくれたらいいよ。あと、最近キミに近づいてきた人には、特に気を付けておいた方が良いということもね。それじゃあ、ごちそうさま。とても美味しかったよ」

 メルクは明らかに支払いよりも多いチップを置いて、店を出て行く。背中に彼女の戸惑いと迷いの混じった視線を感じていた。

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