5 異能

 メルクが女性店員と楽しいお喋りに興じながらバウムクーヘンを食べていた頃、アンヌが暮らす村では一騒動起きていた。

「この前も言った通り、税金を納めてもらう」

 ラインの前には一人の青年が立っていた。

 彼の名前はテーネ、アンヌの兄であり現国王直属の従者の一人である。ラインとは旧知の仲であるが、その顔は以前よりこけていて目にも隈ができており、何よりその諦めに満ちたまなざしを向けてくる彼の様子には、傍から見ていたアンヌも眩暈がするほどであった。

 しかしラインは毅然としていた。自分が不安げにしているところを見せては士気に関わると考えているからだ。そのことを彼が口に出して言っていたわけではないが、いつもそばで見ているアンヌには彼の責任感の強さは良く分かっていた。そしてだからこそ、アンヌは心配だった。その責任感の強さがいつか彼が耐えきれないほどの重荷を背負わせるのではないかと。

「俺たちが金を持っていないのは分かっているだろう。近年は豊作で農作物は多く採れているものの、市場に収穫物が出回りすぎて値段は下がっていく一方だ。そもそも収穫期はまだ先だ。俺たちが渡せるものがないことぐらい、おまえが一番よく分かっているはずだろ」

「国王様の命令なんだ。分かってくれ、ライン」

 テーネはやはり疲れた表情で言う。

「だが、こんなことを許すわけには」

「いいか、ライン」

 ラインの言葉をテーネが遮った。そして声を潜める。

「今、俺の身体は俺のものではない。この目は王の目であり、この耳は王の耳、そしてこの口は王の口なんだ。それ以上の言葉を発すれば、俺はおまえを逮捕しなくてはならない。そうしなければ俺の首が飛ぶだけではなく、おまえたちにも危害が及ぶことになる。それを俺は望まない。ここは穏便に済ませてくれないか、ライン」

「くそっ」

 ラインが握った拳はぶつけるあてもなく、ただ空を切るだけだった。

「大丈夫だ。おまえは俺が必ず助け出す。あの忌々しいクソジジイなんかには絶対に屈しねえ」

 ラインは力強くテーネの肩を叩いて励ました。しかしそれに対して、テーネはひどく顔をしかめた。それを見てラインは驚くが、すぐにその理由を察する。

「忌々しいクソジジイとはワシのことか」

「ゲンズ」

 後ろにあった馬車の陰から顔を出したのは、たった一人でクーデターを行った現国王のゲンズその人であった。以前は辛うじて軍人としての面影を残していたが、今やブクブクに太り、顔もパンパンで腹にはたっぷりとぜい肉を蓄えている。ゲンズは身体をゆっさゆっさと揺らしながら酒瓶を片手に歩いてくる。

「ゲンズ国王様と呼べ、このクソガキが」

「そのようにおっしゃるのであれば、国王としてふさわしい身の振る舞いを心掛けていただきたいです」

「おい、バカ」

 テーネが慌ててラインの方に手を向けて止めるように促したが、すでに遅かった。

 陽気で暖かい日だというのに、アンヌはまるで心臓を掴まれたかのように委縮し、身体の芯から急激に冷えていく感覚を味わった。

「うっ」

 傍から見ても分かるほどにラインの首筋や額からは冷や汗が噴き出し、呼吸が浅くなる。それだけではない。ラインの両手は明らかに彼の意思に反して一人でに動きだすと、ラインの首元を押さえて親指から徐々に力が入っていく。

「や、やめっ」

 ラインはゲンズに向かって話そうとしたが、それはすでに叶わない。息が漏れるだけで、顔を青くして苦しがっている。ゲンズは片方の頬だけひきつらせ不気味な笑みを浮かべている。

 周りにいた村人たちもその力に恐怖し、身をすくめている。ラインは必死で抵抗しようとしているが、ヒューヒューと喉の音を鳴らすだけだ。

「もういいでしょう、ゲンズ様」

 そこで声をあげたのはテーネだった。

「国民を殺してしまっては、その分の税収が減ることになります」

「ふんっ」

 ゲンズは鼻を鳴らす。するとラインの首元から手が離れた。ラインはそのまま地面に倒れ込んだ。

「ライン!」

 アンヌは地面に手をついているラインのそばまで駆け寄ると背中をさする。ゲンズは、「次にワシに対して無礼な言動をしたならば、命は無いと思え」と吐き捨てると、またのっそのっそと馬車に戻っていった。

「そういうわけだ。今日だけの話じゃない。余計なことをするのはもうやめろ。城内でも噂になっているぞ」

 テーネはまだ咽込んでいるラインを見下ろしながら、特に助けることもなく言う。

「徴税は来週に延期しておく。これから国王様を鷹狩りに連れて行かなくてはならないからな」

 そのままテーネもゲンズと同じ馬車に乗り込むと、発車して行ってしまった。最後にアンヌに一瞥をくれたが、言葉さえかけてこなかった。

「大丈夫、ライン。いえ、大丈夫なわけがないよね」

 アンヌは真っ青なラインの顔を間近で確認する。他の村民たちも、ラインのことを心配して近寄ってくる。

「俺は、何もできなかった」

「仕方ないじゃない。身体が動かせなかったのだから」

「俺が屈したのは奴の力じゃない。自分の中にある恐怖心だ」

 ラインは肩を震わせている。

「力が解かれた瞬間、奴に飛び掛かれば良かった。たとえ死ぬことになったとしても、俺は立ち向かうべきだった」

「死ぬだなんて、そんなこと言わないで」

「テーネはこの苦しみにずっと耐えているんだ。俺たちがやらなくて誰がやるんだ」

 ラインはまた拳を握りなおす。

「ライン、もうやめよう」

 しかしそこで集まってきた群衆の中から出てきたのは、ラインたちが集会所にしていた酒場の店主だった。

「無謀だ。あれでは死にに行くようなものだ。もしかしたらゲンズの力にも限界はあるのかもしれないが、奴を止めるまでに一体何人を犠牲にすればいいのだ。俺たちは誰一人として動けなかった。お前と違って操られてさえいなかったのにも関わらずだ。皆、命は惜しい。税さえ納めれば生かしてはくれるんだ。テーネだって、俺たちを守るためにああして余計なことをせずに従ってくれている。命は大切にすべきだ」

「そうかもしれないが、しかし」

「俺も降りる。家族がいるんだ。俺が死んだらあいつらを食わせられなくなる」

 そう言った農家の男はその場を後にする。「私も、ごめんなさいね」今度は金物屋を営む未亡人の夫人。それらを皮切りに他の村人たちも次々とその場を去っていった。

「計画は無くなってしまったわね」

「ごめんな、アンヌ。俺がもっとしっかりしていれば」

「ラインのせいじゃないわ。私だって皆と同じことを考えていた」

 アンヌはラインを慰める。しかし、ラインは「バカ野郎、強がっているんじゃねえよ」と、アンヌのことを抱きしめた。アンヌも目に浮かぶ涙を隠せていないのは自覚していた。ラインも耐えているのに自分だけ泣きたくない。しかしそう思っても止めることはできず、彼の胸をしばらく借りざるを得なかった。

「異能とはなんだ」

 ラインはアンヌの頭を優しく撫でながら呟く。

「どうやってアイツはそれを手に入れられた? それとも先天的なものがあって、何かのきっかけで目覚めたとでもいうのか。もっと詳しく知る必要がある。しかしそれを知るにはどうすればいい。そんなことを知っている奴なんて一人も」

 アンヌはハッと顔をあげる。ラインと目があった。ラインは苦々しそうに口の端を上げた。

「あの野郎は今どこで何をしてやがるんだ」



「日当たりは良好、少々手狭なのは仕方ないにしても、思うほど悪くない場所だよ。これで美味しいものでも運ばれてくれば文句なしだけど」

 メルクは裸足で床を踏み鳴らす。せいぜい一部屋分ほどの広さ、そこに一枚の薄い掛け布団が無造作に置いてあるだけ。壁は漆喰で打たれており、上方には窓がある。もちろん窓といっても雨の日でも閉じることはできないので、風の方向によっては雨水が入ってくることが容易に予測できるし、当然ながら通り抜けることができないように鉄格子がはめられていた。

「まあ、少しだけ手順を間違えてしまったのかもしれないね」

 メルクは先ほどの出来事を振り返る。

 勝算はあった。ただ、いささか性急に事を進ませようとし過ぎた。

 すでにこの国にやって来てから四日ほど経っている。滞在日数は七日と申請しているため残りは三日ほど。目的を達成するまではこの国から出て行くつもりはなかったし、のらりくらりと逃げられるとも思っていた。だから急いだのは別の理由だ。

 聞くところによると国王とその従者たちは各地に赴いて、反発勢力を抑え込もうと力を誇示しているそうだ。異能の力というのは使えば使うほどその効力が増していく。そうなれば術者としては、力を使いこなせるようになって成長している手応えを感じさせられ、ますます力を乱用するようになる。

 先ほど行ってきた炭鉱は山がなくなりそうなぐらい奥底まで深く掘り進められており、どうやら魔石はその炭鉱から出てきたようだ。魔石は石であるだけに鉱山などから見つかった話はよく聞くが、実際に魔石の出現する場所に関しては多様であり、今回はたまたまそうだったというだけに過ぎないだろう。だからこそ魔石の回収を目指すメルクは毎度面倒な調査をしなくてはならない。

「前国王様と面会させてもらえないでしょうか」

 メルクは王都のすぐ近くを流れる川を渡った先にある牢獄に来ていた。この国には大きな牢獄が二か所あり、こちらの方が身分の高い者が入るそうで前国王様もここに幽閉されているようだ。

「それはできません」

「なぜですか。国事に忙しいというわけではないでしょうに」

 その皮肉めいた言葉に看守は顔をしかめた。

「国王様による命令です」

「そこをなんとか」

「無理です」

「ほら、じゃあせめてこのバウムクーヘンを渡すだけでも」

「基本的に食べ物の差し入れは受け付けていませんし、どちらにしろ会えません。どうしてそこまで会いたがるのだ」

「一国民として心配に思うのは当然でしょう。僕は前国王様に御恩があるのです」

「そもそもおまえは何者なんだ」

 看守は訝しげにメルクの顔をじろじろ見ている。

「じゃあ、これだけ伝えてもらえないかな。あなた方の素晴らしい計画には全く興味はないしどうでもいいけど、石の使い方についてはもう少し考えた方が良い。少なくともキミたちよりは僕の方がその石については詳しいから、是非一度お話出来ないだろうかってね。少なくともそちらにとって損になることは無いと思うよ」

 衛兵はまるで取り合おうとしなかったが、メルクがあまりにもしつこかったので、ついに衛兵の方が折れて牢獄内に入って行った。

 それからしばらく戻って来なかったのでメルクは手土産に持ってきたバウムクーヘンを取り出しかけたが、食べる直前に衛兵が戻ってきた。

「どうだい、僕に会ってくれるのかな」

 呑気に尋ねるメルクに対して、衛兵は何も言わず、突然飛びかかった。

「うわっ」

 バウムクーヘンを手に持ったメルクには食べ物を投げるという選択肢はなかったので、何もできなかった。

 結局そのまま組み伏せられ、連行され、投獄されてしまった。何も言われることは無く、ただ拘束された。もしメルクが流浪人ではなく他の国の民であれば国際問題にもなりかねない。これだけでも現体制の異常性と危うさが垣間見える。

「こんな状況が長く続くはずない。いたずらに強権を振り回して人々を従わせようとしても、終わりは早々にやってくる。何故なら国家というのは人間の集合体であり、彼らの力なくしては成り立たず、その構成体が疲弊していけば国家自体の強度が弱まるからだ。どうしてこうも似たような光景になるのだろう。人間はいつまでも成長することなく、歴史を繰り返している。でもそれも仕方ないことなのかもしれない。人間の性質というのはもっとずっと長い単位でしか変化しないのだから」

 やることもないので、メルクは一人ごちる。

「でも僕も他人のことは言えないね。いつまでたっても成長せず、同じ過ちを繰り返している。本当に彼女の言う通りだ。心が無ければ人は動かない。やっぱり僕は他人の心情を想像するのが苦手みたいだ」

 メルクは自分の両手の平をみる。そしてその両手を握った。

「でも、おかげでこの国で起こっていることはおおよそ把握できた。くだらないほどに悪知恵を働かせて己の利益や体裁を守ろうとしている。絶対的な権力は絶対に腐敗するというらしいけど、まさにその通りだね。だけど、腐った果実がいつ落ちるのかはまた別の話。さて、どうしたものか」

 その時、窓の鉄格子の間を何やら丸いものが飛んできて、メルクの頭部に当たった。

「なんだ」

 特に強い風が吹いてもいなかった。メルクは床に転がったそれを確認する。丸められた布切れであった。

「布団の差し入れにしてはさすがに小さいかなあ」

 メルクは布切れを広げる。するとそこには荒々しい文字が黒インクで走り書きされていた。

『あんたの賢い馬が捕まったことを教えてくれた。助けに行く代わりに協力を頼みたい。あの魔法のことを詳しく教えてくれないか』

「へえ」

 すぐに手紙、もとい手布の送り主は分かった。

 牢獄の周りにも衛兵はいるはずだが、その目をかいくぐって投げ込んでいるらしい。そして意外にも酪農家であるにも関わらず、彼は正しい綴りで文章が書けるらしく、メルクは感心した。しかし実際は感心している場合ではないだろう。あまり待たせるのも可哀想だ。

 しかしすぐにメルクは気付く。書くものがない。自分の血をインクにすることも考えたが、軟弱なメルクとしては少しの痛みも避けたい。先ほど衛兵に掴みかかって来られたときも、怪我をするのが嫌であっさり捕まることにしたふしもある。そもそもメルクは武闘派ではなく、唯一扱える武器は拳銃しかないので抵抗する術もなかった。さすがに元国王に面会するともなれば身体検査も行われるはずで、拳銃を携帯しているのは好ましく思われないだろう。小型拳銃自体、一般には普及しておらず、入手経路や出身を質問されると面倒なので、ヴァレンチノの背中の上にリュックサックごと置いてきていた。そのヴァレンチノはといえば、飼い主の危機に助けに来るなどということもなく、衛兵がメルクを拘束したときにはすでに姿をくらませていた。

「何かあったら捕まらないように逃げろとは言ってあるけど、ああもあっさり見捨てられると心に来るものがあるよ」

 メルクはため息をつく。ラインに知らせてくれたので文句は無かったものの、それでも割り切れないものはある。いっそのことこのまま投げ返そうかと思ったが、床をみると豆粒ほどの大きさの黒鉛が転がっていた。これもおそらくは布切れの球に内包されていたのだろう。おかげで血を出さずに済み、ようやくメルクもやる気が出てきた。

『僕の手は借りたくなかったのでは? それにキミたちの計画自体は間違いなく成功するから大丈夫だよ』

 鉄格子の隙間から外に投げ返した。向こうには茂みがあり、そこに隠れているのだろう。腕力に自信はないが、勢いよく投げたので届いているはずだ。

 返事はすぐに返ってきた。

『計画は消滅した』

『へえ。それはまたどうして』

『皆がゲンズの力を目の当たりしたからだ。それより石について教えてくれないか。そうすればすぐにでも救い出す』

『そういえばさっきおやつに食べる予定だったバウムクーヘンを没収されちゃったんだよね。あれはこの国の名産品にしてもいいぐらいだ。おかげでお腹が空いて仕方ないよ』

『無駄なことを書くな。協力するのか、しないのか。答えは二つに一つだ』

『こうやって投げ合っているとキャッチボールみたいでちょっと楽しいね』

『ふざけてんのか、てめえ』

 明らかにこちらに当てる気で思い切り投げこんでくる。おかげで危うく牢屋の通路に飛んでいくところだった。

『僕はいたって真面目さ。だから真面目なアドバイスを送らせてもらうよ。ちょっと長くなるから、新しい布と少しの時間をちょうだい』

 まもなくまっさらな布切れの球が飛んできた。メルクはこれまで得た情報とラインにやってほしいことをしたためる。このような長い文章を書くときは、テーブルについて優雅にバウムクーヘンでも頬張りながらのんびりと書きたいものだとメルクは思った。

 ともかくたっぷりと時間を費やしていると、先ほどの布切れの球で催促してきたが、メルクはマイペースに書き続け、最後まで書き終えてさらに見返し、ようやく外に放り投げた。

 そしてメルクは返事を待つこともなく、配給されていた毛布にくるまって昼寝を始めるのだった。

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